09 グレンの実家
ドタバタと走り続け、寮の部屋に戻ると、急いで鍵をかける。廊下から何も聞こえないことを確認すると、その場にへたり込んだ。
「はー、はー、はー」
グレンは黙って荒い呼吸を続けた。
(やばいやばいやばい)
しかしこの時グレンは、全速力で走ったことによる疲れよりも、女子生徒の悲鳴が頭の中を反響し恐怖で頭が爆発しそうだった。
「はぁ、どう、したんだよ……グレン?」
グレンよりももっと苦しそうな呼吸を続けて、レナードが問いかけてくる。けれど彼の問いかけに応える気力がなく、グレンは部屋に備え付けの水道でコップに水を汲むと一気に煽った。
ようやく荒かった息が落ち着く。流れ落ちていた汗も引いた。
「グレン? っと、ありがとう」
コップをもう一つ出すと、今度はレナードに向ける。戸惑ったレナードだが疲れていたのか、受け取ると同じように飲んだ。
それを横目にグレンはベッドにダイブした。伏せになった状態のまま、深くため息を吐く。水を飲み終わったレナードは、そんなグレンを見ながら首を傾げた。
「ありがとう……落ち着いたよ。それで、どうしたんだよグレン」
「…………」
「グレン? 何か言ってよ」
伏せていた顔を横に向けると、レナードはコップを持ったままグレンを心配そうに見下ろしていた。
(なぜ咄嗟にコイツを連れてきてしまったんだ)
今更ながらに、レナードを部屋まで連れてきたことに後悔した。あの時一人で図書館を後にしておけば、こうやって何があったのか聞かれなくて済んだはずだ。
(けど、あのままコイツが図書館にいたら、彼女の悲鳴を聞きつけたかもしれないし……)
そうしたら余計に面相臭いことになっていたかもしれない。結局どちらが正しかったのかは分からないが、一つ言えることは。
「あの様子だと、特別室で何かあったんだよね? もしかしてアデルさんが「先にいる」って言ってた人が問題?」
敏いレナードに下手な嘘は難しいということだ。それに何か適当な言い訳を考えようとしても、彼女の悲鳴が頭の中をグルグル回ってしまい、考えがまとまらない。
「グレン、何があったんだい? 話してみてよ」
レナードの性格を考えると、何も答えないでこの場をやり過ごすのは難しいだろう。彼は、厄介者だと教師からも言われていたカースティン家の人間の世話をみてくれるような特異な人間だ。
諦めたグレンは、大きなため息をつきながら起き上がった。立ったままだったレナードに勉強机の椅子を勧めて、憂鬱な気分を抱えながらなんとか言葉を絞り出す。
「……………………オレ……何か処罰されるかもしれない」
「え、処罰!? どういうこと……? 誰がいたの?」
「……星貴族」
「えっ!?」
グレンは星貴族の一人の女子生徒に会ったことを話した。
彼女が自分の姿を見たとたん突然怒り始めて、階段を踏み外し咄嗟に助けたこと。だけれどその後悲鳴を上げられて、恐くなって逃げ出したこと。
黒モフのことは省いて全て話した。
「ちなみにそこにいたのは星貴族の誰だったの?」
「名前は分からない。ただ女子生徒で、金髪ストレートの長い髪に、紫の瞳してたすげえ美少女」
「……ナタリー・ブロンデル様か」
レナードはグレンの上げた特徴だけで誰がそこにいたのか直ぐに分かった。
彼女はナタリー・ブロンデルという侯爵家の令嬢だという。他四名に比べれば地味だが、かなりの秀才で、大人しい性格だという。噂では本を読むのが好きらしい。ちなみにもちろんグレンの目的の人物でもない。それは女子生徒であるという時点で分かっていた。
「そうか、アデルさんが僕らを特別室に入れるのをちょっと戸惑っていたのもそのせいか。確かに本好きと聞いていたけど、まかさ図書館の特別室にいるなんて、考えてもみなかった」
「オ、オレ……処罰されるのかな」
「? なんで処罰?」
「だってあの子悲鳴上げてたし」
「いや、処罰なんて簡単にはされないよ。彼女が悲鳴を上げたのは疑問だけど……そもそもなんで逃げてしまったの? 悪い事したわけじゃないのに。階段から落ちたのを助けたんでしょう」
「悲鳴を上げられてつい……」
本当に『つい』としか言いようがなかった。もう反射的に逃げ出してしまったのだ。理屈ではない。
「……グレンはもしかして、女の子が苦手?」
「いや、女子が苦手ってわけじゃない。普通に話せるし、可愛いって思うし……けど、なんていうか、悲鳴を上げられるのがちょっと。悪いことしてなくても、こっちが悪者になる……かもしれないから」
グレンには苦い記憶があった。だからこそ普段から黒モフを祓うとき、女性である場合は細心の注意を払っている。
「何があったの?」
大いにあった。三年ほど前、依頼でとある貴族の妻の黒モフを祓うために何度か触れていたのだが(頭部など)、それで大きなもめ事になったのだ。その時の切っ掛けがその妻の――女性の悲鳴だった。グレンは冤罪を被せられ、投獄されるところだったのだ。
そのせいでその日以来女性の悲鳴が苦手だった。またあの時みたいにやってもないことを真実にされそうになるのではないかと思ってしまうからだ。勝手に身体が硬直して、脳が混乱してしまう。
(――なんてレナードに言えるわけがないからな)
三年前のことなので、ある程度吹っ切れているし、対応策も練っているので今では笑い話――とまではいかないまでも苦い思い出だ。けれどこれを話すにはグレンに雇い主がいること、また黒モフの存在も明らかにしないといけないので、話せるわけがなかった。
「まあ、いろいろとあって……聞かないでくれると嬉しい。ともかく、そんなわけで反射的に逃げちゃったんだよ」
頭の中で過去のことを思い出したおかげか、少しだけ気分が落ち着てきたグレンは、重要なところは言葉を濁すことにした。さすがにあからさまに言葉を濁せば、レナードもそれ以上は突っ込んでこないだろう。
「でも、誓って悲鳴を上げられるようなことはしていない――はず」
ただし、自分の潔白はきちんとレナードには伝えた。絶対と言い切れないが、女子生徒――ブロンデル嬢には下手に触れてはいないし、悲鳴を上げられるようなことはしてない。
「じゃあ、大丈夫だよ。彼女だって助けてもらった相手に対して“処罰”なんて簡単には出来ないし。それに、何か言われたらグレンがそんな人間じゃないって僕がちゃんと言うから」
「……相手は星貴族だぞ? 現場も見てないのにオレの味方していいのかよ」
貴族社会にいる限り名門貴族にたてつけば、レナードの立場が悪くなるのじゃないかと伺えば彼は笑った。
「前にも言ったけど僕は彼らに興味はないし、そもそも家を継げない次男だからね。そこまで影響はないよ。それに二人のどちらか嘘をついているって言うなら、イティア語の教科書を一緒に探そうって提案してくれたグレンを信じたい」
「そっか……ありがとよ。じゃあ忘れるわ」
「そうしなよ」
レナードの言葉で少しざわついていた気分が落ち着いた。
(こいつ本当にいい奴だな)
レナードが”今は”本気なのがグレンにもわかった。だから本当にその状況になったとき、結果的にレナードが発言ができなかったとしても、決して恨まないようにしようと思った。階級社会では仕方のないことだ。
「それにしても、グレンの部屋って初めて見たけど……殺風景だね」
「え? ああ……そっかな」
急に話を変えられて驚いたが、レナードの気遣いだと思って話に乗っかることにした。
確かにグレンの部屋に物はほとんどない。制服と少しの私服と、勉強道具のみ。ほかは最初から部屋に置いてあったものだ。コップや魔法ポットだって、寮支給のものをそのまま使っている。
「レナードはわりと私物は多いのか?」
「普通だと思うけど……コップやポットは私物を使ってるね。家具も少し入れてるし」
「へえ」
人によっては内装をガラリと変えてしまう猛者もいるらしい。天蓋付きベッドにしたり、ソファーを持ち込んだりとやりたい放題だという。
シャワー付きの洗面所にベッドや勉強机、それにクローゼットまである個室がひとりひとりに与えられている時点で、グレンとしては『金持ちだな』という感想なのだが、本物の金持ちはもっと上らしい。
「でもこの部屋に天蓋付きのベッドなんて入れたら、身動き取れなくならないか?」
グレンからすれば個室があるだけで贅沢だが、この部屋はけっしてそこまで広くはない。ベッドと机がそれなりに場所を取っているので、床に人が一人横になるのでいっぱいくらいだ。
「……あー……僕もグレンの部屋に来て初めて気づいたんだけど。多分この部屋は予備室だと思う」
「予備室?」
「何かの事情で部屋に戻れない人が一時的に使う個室で、本当の寮の部屋じゃないってこと。……その、僕の部屋はこの部屋の二倍以上はあるんだよ」
「二倍!?」
現実を知ってしまい驚愕する。どうやらグレンの部屋がある一階は予備室だけで、本当の寮の部屋は二階以上だということだ。入れた寮費によって階数があがり、部屋のグレードが上がっていくという。噂によると星貴族がいる十階の部屋は中でさらに三部屋に別れていて、侍女や執事まで一緒に住んでいるという話だ。
「三部屋……侍女……」
「なんでグレンが予備室にいるのか分からないけど、もし狭いと思っていたら、カースティン卿にお願いして、部屋のグレード上げてもらいなよ」
「いや、オレは十分だと思っているからここでいい」
寮費が部屋のグレードに比例すると分かっているなら、そんな願いは出来るわけがない。そもそも自分の机があるだけで十分に満足しているのだ。実家には自分の部屋どころか机も存在しない。
「グレンは謙虚だな……ってあれこれは写真? グレンのだよね? 小さい子がいっぱいで可愛いね、友達……知り合い?」
「え、なに、が……」
レナードが手にしているものを見て、グレンは凍り付いた。
それは机の上に置いてあったグレンの家族写真だ。両親に兄姉弟妹とグレン自身――十人の大家族が写っているものである。グレンがガルディウス魔術学園へしばらく行くと聞いて、嫁に行った姉まで呼び寄せて、奮発して魔法写真機のある写真館で撮ったものだ。唯一グレンの真実を明らかにする私物である。
「でもみんな、どことなくグレンに似て……あれ、この男性どこかで――」
レナードがそれ以上言う前に、グレンはその写真を無理矢理机へ伏せた。
「……グレン?」
「………………」
突然見ていた写真を伏せられたレナードは心底不思議そうな顔をして見上げてきたが、グレンは何も言い訳せずに笑顔を張り付けた。というか何も言えるわけなかった。下手なことを言えばボロが出てしまう。
しばらく妙な沈黙が続く。
「………まあ、カースティン卿の噂はいろいろ聞いてるから、深くは追及しないでおくよ」
「ありがとう」
レナードはきっと真実とは違った形で勘違いをしてくれた。それでもグレンは訂正しなかった。
この時初めて、正妻が一人、妾が三人、愛人が五人いて、貴族界で名前の知られていない子どもが十人はいると噂されている、女っタラシのカースティン伯爵に感謝した。
だからこそ、顔や名前の知られていないグレンがカースティン家の名で学園に編入してきても「カースティン家の子なら」と誰も不振に思わなかったのだ。なお、カースティン伯爵はそんな状況にも関わらず、黒モフがほとんど付かない稀有な存在だ。
「ここじゃ勉強なんてできないから、談話室行こうぜ。イティア語の勉強だ、勉強だ!」
「ああ、うん」
グレンは笑顔を張り付けたまま、レナードの背を押すと、追い出すように共に部屋の外に出た。




