絵が巧くなりたいと思うと、世界の見えかたが変わる
自分の作品であったり、
あるいは、純粋にイラストでも
絵が巧くなりたい!と願うかたはいらっしゃるのではないでしょうか。
自分の作品でも、あるいは、お気に入りの作家さんの作品でも、素敵なファンアートを描きたいとか、
あるいは、コミカライズは夢のまた夢でも
だったら、せめて自力でマンガにしてネットに投稿できないか!?と野望を抱いたり
そんなかたもいらっしゃるのではないでしょうか。
絵が巧くなりたい。
きちんと描けるようになりたい。
そんな思いで周りの風景をみていると、
これまでなんとなく流していた景色の見えかたが変わってくる。
光にも色があること。いろんな角度から色んな色の光が照射して、素材によって反射のしかたもちがう。
それが質感の違いとして認識されるのだということは理解できるものの、では描けるかというとまた別である。
これまで(漫画と違い、速読できないため、時間をとられるのが嫌で)避けてきたアニメのなかの
作画がいいと評判のもの、そのカットをみて、
すごさを実感するようになった。
自分がどれだけ描けないかを感じさせられもする。
パースとか構図とかもちろんあるけれど
画面の構成のしかたも
色彩も 圧倒的に足りていないものがどんどん見えてくる。
描きたい思いと、圧倒的に不足するものを
身につけるべきモノの多さを嫌でも感じさせられながら
改めて周りをみる。
何でもなく見えていた路面の。なんでもなく通過していた、「横断歩道」の白線の見える間隔から、
気にも留めていなかった、道路の形状――たとえば、なんとなくカマボコ状になっているのは、雨水が効率的に掃けるための知恵なのだろうかとか、そんなことも初めて気付かされたりする。
光と影、リアル、ってこんなにも難しいのか。
本格的に学んだ人は、精密に描けても、それから先を悩むこともあるようだが
精密に描けるだけでもすごいではないか。
その技術が羨ましい
本格的に学ぶ時間も、金も割くことはできないけれど
独りのちからでどこまでやれるか
時間的制約も大きいなかで、果てしない無理ゲーに思えても
この美しさを表現できたらと思う。
退屈に見えていた世界も、そうして見ると新鮮な驚きに満ちて、自分自身の未熟さや小ささをイヤでも実感させられるけれど、
世界とはこんなにも美しいものに満ちていたのか、とも思う。
見渡せば素晴らしく絵が上手い人は本当にたくさんいる。
未熟な身で、それを職につなげられるなど思ってもいない
それでも表現したい世界がある
描きたくて描けなくてもがく
絵が巧くなりたい。
そう思うと、世界の見えかたが変わるのだ
乱文を読んでくださりありがとうございました。