アフターストーリー 榊原汐音 1
「口元、ソース付いてるぞ」
「んえ、あ、ほんとですね」
ナチュラルに口元をティッシュで拭われ、赤面する間もなかった。
なんだろう。本当に私は、目の前の好きな人と付き合えているのだろうか。距離感がなんか、彼女に向けるものとは何か違う気がするのだ。
「先輩、私のこと妹かなんかだと思ってます?」
「え?思ってないけど」
本当だろうかこのシスコン。まぁ距離が以前と比べて縮まったのは間違いないのだけれど。
「なんか変だった?」
「いえ、別に変じゃないんですけど、なんかその、アレなんですよね」
「アレってなんだよ」
アレはアレだ。最近急に、なんか変に女の子慣れしているような気がするのだ。先輩の初めての彼女が私なのは確認済み。なのにこうも自然にイケメンアクションをされると、逆になんだか女の子扱いされてない気がしてくるのだ。
「先輩、幸ちゃんの頭とかよく撫でます?」
「あー、最近はよくな。あいつが目で訴えてくるんだよな。撫でろって」
このシスコンブラコン兄妹め。私の預かり得ないところでイチャイチャしおってからに。
だけど、まさかね?まさかですよね、先輩?
「まさかとは思いますけど、その感覚で私のことも撫でてないですよね?」
「…………」
「おっと?」
最近やたらと、頭を撫でてくると思ったのだ。
そりゃ、私だって先輩に甘えたい時がある。意識的に身を寄せたり、手を繋いでみたり、腕を組んでみたり。
だから頭を撫でられるのは嫌じゃない。むしろ好きだ。なんだか落ち着く。
だけどそんなとき先輩はいっつも緊張してた。自己肯定感が低いからか、ボディタッチにかなり慎重になってた。それはわかる。別に変なことじゃない。こっちだって無遠慮に触れられたら嫌だ。丁寧に扱ってほしい。
だけど、だけどだ!!
最近やたらとナチュラルにボディタッチできるようになったと思ったら!
「まさか!私のこと幸ちゃんと重ねることで緊張ほぐしてるとか言わないですよね???」
「……イワナイヨ?」
「ギルティ!!絶対嘘!ありえない!いくらなんでも信じられないんですけど!?」
彼女を妹扱いとは、この男。
「先輩!お説教です!正座!」
今日の矯正は長くなりそうである。
ーーーー
先輩という人物を、私はこれまで甘く見ていた。
散々優しいところは見てきたし、心の痛みに関しても、鈍いところがあることは理解していたつもりだった。
だけど実態は少し違ったようである。
(本当に、興味無かったとは)
度々見られた自身を蔑ろにするような発言。例えるなら篠原とかいうあのクズに噂を目の前でバラされたとしても、むしろそれを認めたと捉えられかねない発言をしたりと、そんな言動を私は今まで、行き過ぎた優しさゆえの自己犠牲からくるものだと思っていた。
だけど、違った。
『いや、別に学校とかどうでもいいっていうか、別に困らなくない?』
別に退学になるわけじゃないとか、理解してくれている人がいたからとか、耳障りのいい言葉はすらすら出てきたが、当然私には納得できるわけがなくて。
つまり先輩にとって、「特別」と「その他大勢」の二つの括りがあって、「特別」が占める部分が極端に大きいのだ。
それが良いことなのか、悪いことなのかは正直測りかねている。先輩にとっては良い方向に働いたとも言えるだろうから。
つまり先輩にとって、家族と新しい生活を始めて、一歩を進み始めた時点で、自身にまつわる(先輩にとっての)問題はほとんど解決していたのだ。
自分にとって悪い噂が流されるのも、自分が周りから浮いてしまうことも、問題にはなり得ていなかった。先輩自身、それに気づいたのは問題が解決してからだったようだが。
これの何がやばいって、家族が最初から信じてくれていれば、そもそも先輩が落ち込むことすらなかった可能性があることだ。不登校とかそのレベルじゃなくて、平気で登校しちゃってたような気がするのだ。
それゆえに先輩の数少ない「特別」に入り込んでいる「あの先輩」を、私はいまだに警戒しているわけだががが。がるるるる。
悔しい。あの人にはしてやられた。
まるであれでは、先輩との交際を「認められた」みたいではないか。よくて引き分け。見ようによっては惨敗である。
あれから2年。先輩は無事志望校に合格。私は大学受験の真っ最中である。ちなみに追っかけます。先輩がどう思ってるかは知らないけれど、死ぬまで一緒にいるつもりです。
悪い虫が近づこうものなら、ですよ。
なんて目を光らせていたものの、大学生活を四六時中監視なんてできるわけもなく(流石にそこまでする気もない)、とはいえ放っておいたら先輩の魅力にいつ気づかれてしまうかもわからない。
一人で勝手にハラハラしていた私だったが、そんな私には、ある強力な味方ができていた。
「え、なに?喜多見、また怒られてるの?」
「ええ!お説教ですよ!板倉先輩!」
それはなんと、あの板倉先輩である。
お店(ちなみにバイトは二人とも続けている)で長々とお説教をしていたところに、来店した彼女は席につきながら呆れた視線を送ってきた。
なんとこの人、先輩と同じ大学に進学しているのである。
『喜多見が浮気しないか見張っとこうか?』
『先輩は浮気なんかしません!でも、でも!万が一先輩に言い寄ってくる女がいたら!その時はお願いします!』
背に腹はかえられぬとはまさにこのこと。彼女が修也先輩にしたことを許す条件に、監視カメラの役割をお願いしているのだ。
実は結構実績がある。修也先輩からのアプローチはなくとも、他の女からのアプローチはそれなりにあるらしい。
そう、先輩はモテるのだ。そりゃ、私(と幸ちゃん)好みに、日々自分磨きをしてもらってるので当たり前ではあるのだが。
「で、今度は何したの?」
「この、おバカさんは!あろうことが私を妹扱いしてたんですよ!」
「あちゃ〜それはアウトだわ」
「ですよね!?ほら!先輩聞きました!?」
「わ、わかったからもう許してくれ……」
しなしなになっている先輩を見て、板倉先輩が笑う。おい、なんだそのあたたかな視線は……?
「勘弁してよ?私が喜多見のこと狙うわけないじゃん」
「本当ですか……?なんか怪しいですね」
「そんなことしたら、あの子に怒られちゃうもん」
そう言ってどこか懐かしそうな表情を浮かべる先輩。いや、まるで死んだような風に言うのは流石に可哀想でしょうに。
「福村も、元気にやってるかな」
「なんですか、気になるんですか?浮気ですか?目の前で宣言とはいい度胸ですね」
福村舞香。通称「あの子」。私の最大のライバルだった女の子。
「安心しなよ、喜多見。多分私たちの中で一番生き生きしてるから」
「それならいいけどさ」
「今や有名人ですもんね。今どこにいるんでしたっけ?ドイツ?」
「まさかの配信者とはね……人生何があるかわからないもんだわ」
私はビッグになるんだと言って、海外に飛び出したと思ったら、一年足らずで有名なYouTuberに成り上がってしまった。女一人でいろんな旅をしながら、その様子を投稿しているだけなのだが、これがまた身内贔屓抜きで面白いのだ。チャリティー活動なんかにも手を出していて、今やテレビにラジオに引っ張りだこだ。
「生産者はここにいます。あれ、先輩が作り出したモンスターです」
「ちょ、俺のせいにするな!」
「ダメだよ喜多見。何かあったら責任取らなきゃ」
「おい、睨むな汐音。そんな目で見るな!今のを浮気判定されたらもう何も話せないだろ!」
いいえ先輩、そこじゃありません。
彼女の前で他の女の話をした時点でギルティです。執行!




