一人と独りの静電気
「助けてくれよ」
最悪だ。本当に最低だ。
これじゃ修也先輩は、何を選んだって納得なんてできない。
この男の提案をすべて無視して、全てを断罪してもだめだ。
私が先輩の立場ならそうする。こんな奴らの都合なんて知ったことか。私が一番納得できる形がそうなんだから、同情する余地なんてない。
だけど修也先輩は違う。とてもやさしい先輩は、他の部員を盾にしたら絶対にこの男の提案に乗ってしまう。
むしろもう、提案に乗るしか選択肢がないようなものだ。
「ふざけないで!そんなの脅しみたいなもんでしょ!!」
「脅し?やめてくれよ人聞きの悪いことを。俺はお願いしてんだぜ?許してくださいって、助けてくださいってさ!!」
そんなの詭弁だ。これはただの脅しだ。
どうしたって先輩には、納得のいく答えなんてでるわけがない。
目の前の男の提案に乗れば、この男の思い通りに事が運んでしまう。そんなの納得できるわけがない。この男がのうのうと何事もなかったかのように生活していること、それ自体が先輩にとってマイナスだ。
だけどこの男を助けないと、その他大勢を巻き込むこととなった。そうされてしまった。
先輩は優しいから、そうしたら自分が傷ついてしまう。自分自身がそのことに気づいているから、どうしても非情になりきることができない。
そうだということを意識させられてしまった以上、先輩はその選択を絶対にできない。
そうでなければやりようはあった。慎重に、ゆっくりと、ことを運ぶことだって可能だったはずなのに。
賽は投げられてしまった。
「なぁ、喜多見?このままじゃみんなに迷惑かけちまうんだよ。わかるよな?そこにいる福村にもめいわくかかっちまうよな!?だから許してくれよ、な?」
「そうだな……」
顔を伏せて、どうするべきか考える様子を見せる修也先輩。だけど多分、答えは決まっているのだろう。さらりと福村先輩まで巻き込むつもりだと宣言する屑。こうなったら、先輩はもう。
「いいよ、許すよ」
顔をあげた修也先輩、短くそう告げた。それはわかっていたことだけど、その決断に胸が締め付けられる。
「先輩」
「あー榊原?その、なんというか、本当に無理はしてないから」
そうでしょうね。きっと先輩は本当に無理をしていない。
でもそれは、先輩が我慢することに慣れているからだ。
我慢していて、それが痛くないわけがないのだから。
「本当か喜多見!!」
「ああ。俺は特に関わるつもりもないから、勝手にそっちで処理してくれよ。そうだな、聞かれたらこう答えるよ。俺は何にも知りませんって」
「おお!それでいい!変に否定されてもややこしくなるからな!知らないって言ってくれれば、それはもう根も葉もない噂話として終わりだ!だって噂を流した奴は、自分が流したってことになると困っちゃうもんな!!それはなかったことになってるんだから!」
その通りだ。園田って人は、もう打つ手がなくなってしまう。先輩とこの男の間で話が済んでいる以上、嘘の噂を流したって意味がないから。
「よし!ありがとな喜多見!じゃあ、俺は帰るから!」
先ほどまでの気の沈みようが嘘かのように、意気揚々と店を去ろうとする男。
視界の端には、穏やかな表情を浮かべる修也先輩が映る。
ああ、本当に自覚はないのだろう。自身の痛みには本当に鈍い人だから。
(絶対にこれで終わっちゃだめだ)
確信にも近い予感。このままじゃ、修也先輩のなかに消えない痛みが残ってしまう。
(でも、一体どうしろって)
この状況を変えられる存在なんてもうーーーー
「ちょっと、待ちなさいよ」
彼女しか、いない。
(なんだ、かっこいいじゃん)
凛とした声が隣から響く。
その音には芯が通っていて、私は心の底からほっとした。
もうそろそろ諦めるべきなのだ。どんな選択をしたって、いくら何かを手放したって。
我慢して我慢して、何もかも捨て去ったその先でも決して。
悪意と失意と、どんな苦難のその先だって。
「そんなの、私が納得できない」
先輩はもう、独りになんてなれないのだから。
ーーーー
俺は独りだった。
人を信じるのが嫌で、それはいつか、自分の期待が裏切られるかもしれないっていう不安の表れで、それが悪いことなんて今だって思ってない。
だって、独りになるのは怖いことだから。
それはきっと、ありふれた感情だ。
誰だって、自分にとっての特別がある。
だけどそれは、他人にとってはとるに足らない事柄で。
俺にとってのそれは、きっと「信頼」だったのだろう。
俺はきっと、他人のことを心の底から信じたかったのだ。憂いも、期待も、一切の感情を持つことなく、ただ信頼したかったのだ。
「そんなの、私が納得できない」
彼女が誰のために声をあげてくれたのかぐらい、さすがに俺にだってわかる。
俺は独りだった。
きっかけは何でもよかったのかもしれない。彼女だったからこそ、なんてそれは結果論かもしれない。
だけど俺は、そのきっかけが福村で良かったと、心の底からそう思う。
独りには、一人じゃなれない。
その二つに、火花散る瞬間は訪れないはずだった。
きっかけが必要なんだ。どんなに小さくてもいい。目に見えなくたって、感じ取ることができなくたっていい。
帯びた熱は伝播する。重なった二つの力は、決していい方向に向かうとも限らない。
それでも、それでも。
その行動に意味はあるのだと、がむしゃらに腕を伸ばす。
だって俺はすでに、かつて貫いた信念は間違っていなかったのだと、そう教えてもらったのだから。
俺は独りだった。
きっとあの日から、自分のことを信じることができなくなってしまった日から、俺はずっと独りだった。
一人になんかなれてなかった。
「ありがとう、福村」
彼女の意図を確かめずにお礼を告げることができたのは、彼女のことを信頼できているから。
綺麗ごとに聞こえるかもしれないけど、俺が求めていたのはそういうことなんだ。
(もう、十分すぎる)
こうして声をあげてくれただけで本当に救われた。救われて初めて痛みに気づけることもある。
本当に無理はしてなかった。篠原や園田がどうなっても心底どうでもよかったから。だけど篠原の提案に、その他大勢が含まれていて、その人たちを巻き込むのには胸が痛んだ。
だから提案に乗った。べつに篠原が得しようが損しようがどうでもよかったから。
だけどやっぱり、心のどこかで悔しかったんだと思う。それが胸に深く突き刺さることになっていたかはもう分からないけれど。
だってもう、そんな気持ちも霧散してしまった。福村の一言で、わずかに沸いていた衝動もすっかり消えてしまった。
声をあげてくれる人がいる。たったそれだけで十分だったのだ。
十分だった。十分だったはずなのだが。
彼女はそこで止まらない。
これはきっと、彼女にとっても「きっかけ」だったのだろう。
「ごめんね喜多見。これ、喜多見のためなんかじゃないから」
「え、福村?」
つまるところ、だ。これは彼女にとっての特別だったわけで、それは何をおいても譲ることができないことで。
彼女はただ、俺のためにだけ声を上げてくれたわけじゃなかった。
「あんたたち、全員地獄行きだから」
そんな姿が、どこまでも輝いて見えた。




