諦め
休み明け、喜多見は学校を休んでいた。だけど私は心配をしていない。
(仲直り、できてよかった)
送られてきたメールには学校を休むこと、そして家族との関係に進展があったということが記されていた。
(明日は学校来るみたいだし、本当に良かった)
なんでも住居を元に戻すとかで、借りている一人暮らし用の部屋をどうするかなどは後回しにして、もろもろの準備に今日一日使うらしい。そういう理由での休みなら安心だ。
まぁなんというか。会えないのは少し寂しいものがあるのだが。
「おはよ、舞華」
「うん、おはよう」
クラスメイトと挨拶を交わして。なんでもない日常が流れる。少なくとも私にまつわる問題は鳴りを潜めていた。恵美からのはぶり行為もなくなっていたし、恵美と話さなくなったこと以外は元通りといってよかった。当然各々、心の中ではいろいろと思うところはあるのだろうが。
(これ、本当に喜多見は何にもしないかも?)
恵美はもちろん、今は白河たちもある程度の事情を知っていて、そのことは瑞樹も絡んでいる。少なくとも白河や篠原だってそれは承知だろうから、もう下手な行動はとれないはずだ。
だからこのままだど、本当に何もなかったことになるのかもしれない。
(私は、別にそれでもいいかな)
当然納得いかない部分もあるのだが、それをどうするのかを決めるのは結局喜多見だ。
本人が何も言わない限りは、私から何かを言う必要はない。当然声を上げて彼の味方をする覚悟はできているのだが。
恵美も学校には来ている。瑞樹からの連絡では、説得は無理だったとのこと。瑞樹には悪いが、正直そんな気がしていたことも事実だ。
表面上は何ともなくふるまっているように見える。その内面が実は落ちこんでいるとかなら、まだこちらとしても嬉しい誤算であると言えるのだが。
だけどそれは、やはり誤算と称するのが正しく、彼女にとってありえないことだった。
「なぁその、ちょっといいか?」
「何の用?」
昼休み、声をかけてきたのは白河だった。篠原はおらず、私が一人になったタイミングで話しかけてきた。様子からして厄介ごとであることは間違いなく、喜多見がらみの案件であることは明白だった。
「場所、変えたいんだけど」
「まぁ、いいけど」
正直その用件がどんなものなのかは気になるので、特に反論することもなく白河についていく。場所は喜多見とよく話していた空き教室だ。
「これ、見てほしい」
そう言って白河から差し出された携帯には、有名なSNSが映し出されていて、誰でも閲覧できるような状態でこんな一文が公開されていた。
【oo高校のサッカー部の篠原ってやつが、同学校の男子生徒をいじめてた!!】
そんな文面が、すでに時間にして一日間も公開されていた。反応も一つ二つではなく、今から消したとしても手遅れなほどには拡散されていた。
「これ、やったの喜多見だと思うか?」
「絶対に違うわよ」
私には確信があった。こんな回りくどいことをするなら絶対私に一言言ってくれるし、汐音ちゃんがGOサインを出すとも思えない。
「やっぱり、そうだよな」
そんな返答が返ってくるのは予想済みだったのか、白河は驚く様子を見せることはなかった。
「それで、なんで私に確認するのよ」
「や、知ってるとしたら福村だと思ったし、それに、謝っておきたくてさ」
「それは、何を?」
「全部だよ。福村にかけた迷惑、全部だよ」
思い当る節は、あの突然な告白ぐらいか。直接的な干渉はあまりなかったが、それでも白河は全部といった。
「少しでも罪を軽くしたいってこと?」
「いや、それは違う。だから福村が俺を許さなくて、俺から与えられた苦痛をどこかに訴えるなら、それは甘んじて受け入れる。それは当然喜多見に対しても同じだ。これが大問題になって、裁きが必要ならそれも受ける。正直に言うとさ、もう諦めてるんだ。そういうことをしちゃって、こうした形で返ってきた。言い訳のしようもない。悪いのは俺たちだ。それはもう、謝ったってどうしようもないことだ」
白河はどこか遠い顔をして、そう告白した。そこに噓を言っているような素振りはなく、少なくとも私はそう感じなかった。
「じゃあなんで、わざわざ謝罪なんてするのよ」
許してもらわなくてもいいなら、謝罪なんてする必要なんてない。謝罪が自己満足からくるような、身勝手な行動であるという側面を持つことは重々承知だが、それでも白河の行動は理解できなかった。
「なぜってそれは……確かになんでだろうな。使命感?いや、違うな……ああ、わかった。罪悪感だ。そうしないと罪悪感で辛かったから、そうしなきゃって思ったんだと思う」
「罪悪感、ね」
きっとそれだと思った。あの子に、恵美に足りていないのはそれだ。
彼女はきっと、許す許さないの次元にいないのだ。だって自分が悪いなんて思っていないのだから。
だからこんなことができる。
「なんか、それもごめん。どうするかは本当に任せるから、俺はなんも抵抗しない。何なら自首しようかとも思ったけど」
「それは、ちょっと待って」
「そうなんだよな、喜多見がどうしたいかなんだよな」
ともかく、と彼は続けた。
「ことが大きくなったら、例えば事情聴取とかだな。そうなったら俺は隠し包まず全部を正直に話す。だからそこに関しては心配しないでほしい。俺たちを潰そうというなら、それは絶対に成功するよ」
「そう、わかったわ」
「きっと、夏の大会は出れなくなるんだろうな。俺、みんなに殺されちゃうかも」
白河はそう呟いて教室を去り、空き教室には私一人が残った。
(喜多見にとっては、いい報せに違いない。だけど、なんか)
嫌な感じだ。なにかもやもやするというか、当然ただでは済まないだろうという漠然とした確信。
それに情報を拡散した人物ーーーーおそらくは恵美だと思われる。恵美はもう、決心がついたということだろう。
今度は篠原たちを裏切った。その末に彼女はどんな結末を迎えるのだろう。
私にはわからない。だけどまずは喜多見に報告だ。こんなことを聞かされても困っちゃうだろうけど、隠しておく選択肢もない。
(いや、確か夕方にはお店に顔出すって言ってたっけ)
それなら直接話せばいいじゃないか。
実際はそんなの都合のいい口実であったのだが、それは内緒だ。
負けないと決めたのだ。だから自分にぐらい正直でいたっていいだろう。
ーーーー
「お疲れ様です」
「おつか「お疲れ様でーす!先輩!」」
俺のあいさつに、店長の返事を遮って榊原が返してくれる。
ある程度ミニ引っ越しも落ち着いたので、俺はバイト先に顔を出していた。シフトはもともと入っていなかったが、直接報告したいこともあったためこうして顔を出した次第だ。
「ちょうど上がるところだったので、ちょっと待ってください!」
どうやら店もそろそろ閉めるようで、店長はもう入口の札をひっくり返していた。
ある程度落ち着いて、私服に着替えた榊原が対面に腰掛ける。
俺はこの土日にあったことと、家族との仲に進展があったことを報告した。もともと家族とのことまで子細に話していたわけじゃないが、彼女に報告しないのはあまりに筋が通っていないと思ってのことだ。
「そうですか。よかったですね、先輩」
「ああ、本当に。いろいろとありがとうな」
何がとは聞いてこなかった。少し照れ臭かったので、それは正直にありがたかった。
「あとは、学校のことですね」
「そうだな、ま、そっちに関しては正直なぁ」
福村に対して何かをされなければ、ひとまずはどうする気もない。本人によれば、現状は園田と喧嘩しただけ(それだけでも気にはなるが)とのことなので、正直自然消滅はあり得ると考えていた。こちらが何かをしなければ、あちらも何かをしてくることはないだろうから。
でもそれも、目の前の彼女からしたらご不満であろうが。
「ま、どうするつもりもないんですよね?」
「え、あ、まぁそのなんといいますか」
やはり見透かされていたようで、言葉が詰まる。後輩相手に少し情けない。
「別に怒ってないですよ。そうしたいならそれでもいいと思ってますって。別に私の意見が絶対ってわけじゃないんですから」
「ほんとにそう思ってる?」
「ええ、思ってますとも」
「本当に?」
「本当に」
どうやら本当は思うところがある様子。まぁ、怒っていないのは本当みたいなので、ひとまず話題を変える。
「それでさ。話は変わるんだけど、俺、バイトにはいる回数減らそうと思ってるんだよね」
「え!?ど、どうしてですか?」
俺の言葉に驚いた様子を見せる榊原。まぁ、そんなに驚くような理由ではないのだが。
「俺、大学進学することに決めてさ。今まで結構入ってたっていうのもあるんだけど、時期的にも受験生だし、生活もいろいろ変化があったしさ。どうせ進学するならいい大学に入学したいし、余裕を持つって意味での選択だから」
「確かに、先輩多いときは毎日入ってましたもんね。それに確かに、もうそんな時期なんですね。受験かぁ、まだ考えたくないなぁ」
そういって難しそうな顔をする榊原。
「まぁそれなら止めるのもおかしな話ですね。やめるって話でもないですもんね」
結局は店長に相談してからの話ではあるので、いったんこの話はここまで。
なんて思っていたら、意外な来客があった。
「汐音ちゃん!!来ちゃった!!」
「わ!さっちゃん!!来てくれたんだ~~!!」
もう閉まっていたはずの店の扉を見やると、そこには妹の姿があった。
「え、幸?何してるんだ?」
「汐音ちゃんに誘ってもらったの!お兄ちゃんいるならせっかくだしって」
なるほど、あいわかった。あれ、でもこの二人いつ知り合ったんだ?
「二人に面識ってあったのか?そういえば温泉の予定決める時も榊原に聞いたって言ってたけど」
「前にお兄ちゃんの職場見学にこっそり来た時に、汐音ちゃんが私の正体を見事看破したんだよ」
「先輩に妹ちゃんの写真見せてもらったことがあったじゃないですか。それで分かったんですよ。さっちゃん可愛いからすぐ気づいちゃった」
も~汐音ちゃん、なんて言って妹が後輩に抱き着いている。なんだろう、変なむずがゆさを感じる。とはいえ、二人が仲良くして困ることなんてないので文句は言わない。
「聞いてよ汐音ちゃん!温泉でお兄ちゃんがね!」
「おい!恥ずかしいからあんまり変なこと言うなよ!?」
やっぱり厄介かもしれん。けど仲良くするなとも言えないし、ぐぬぬ。
「店はまだ開けとくから、ゆっくりしていていいからな」
「ありがとうございます、店長」
私服に着替えた店長がそう言ってくれる。まだやることがあるのは本当みたいなので、素直にお言葉に甘えることにする。
「いろいろあったみたいですけど、ひとまず落ち着いたようで安心しました。さっちゃんもよかったね。また三人で暮らすことになって」
「うん、ありがとうございます!ほんとに良かったです!」
噛みしめるように、お礼の言葉を紡ぐ幸。俺も気持ちは同じだった。本当に、良かった。
「デートは楽しかった?」
「いや~お兄ちゃんのエスコートがまだまだかな~?」
「こう言ってますけど、先輩?」
「勘弁してくれ」
ニヤニヤとしながら、二人がからかってくる。何の罰ゲームだよ……。
「「照れてる」」
「照れてない」
なんてくだらない会話が続く。とはいえこうして、ゆっくりと家族以外の人と話すのも久しぶりで、そんな時間に心地よさを感じているのも確かで。
(少しは、変われたのかな)
自分の考え方に変化があったのは疑いようがないだろう。最初はその変化を嫌い、否定した。
だけど今はその変化を、喜ばしいものとして受け入れることができている。
そのきっかけをくれたのは、幸で、榊原で、そしてーーーー
「ーーーー喜多見!!」
福村だった。彼女たちが俺にきっかけをくれた。
そんな彼女の声だった。切羽詰まった声で彼女は呼んだ。
「福村.……えっ?なんでここに……?」
その声に振り返る。そこには息を切らした福村がいた。
「ごめん、喜多見」
福村が謝る。なんで福村が謝る必要があるのだろうかと、そんな疑問を口にする前に、もう一人の望まぬ来客は口を開いた。
「よお、喜多見」
「篠原......」
先ほどまでの穏やかな時間は、まるで嵐の前兆だったと。
嫌な笑みを口元に浮かべて、篠原はやってきた。
ーーーー
「だから!!結局喜多見さえ黙らせれば、俺達の勝ちだって言ってんだろ!!」
「それができなかったらどうするんだよ!!これ以上ことを大きくしてどうすんだよ!!」
私がそれに気づいたのは偶然だった。学校の正門をくぐり、喜多見のバイト先に足を向け、通り道の公園の端で白河と篠原が口論をしていたのだ。わたしはとっさに隠れて、聞き耳を立てた。二人の声量は大きく、近くに寄らなくても十分にその内容を聞き取ることができた。
「大丈夫だって!あいつがどんな奴か分かってんだろ!?」
「分かっててもだ!もうこれ以上は何をしたって意味がない!もう詰んでんだよ!どうしようもないんだよ!」
話の内容は、途中からでも簡単に理解できた。要は篠原は喜多見をどうにかして事を収めようとしていて、それに白河が反論しているようだ。
白河の言い分は正しい。彼らにはもう退路などないのだから。
だからこそ、篠原も腹を決めてしまったのだろう。
「あいつのバイト先は知ってんだよ。お前も見ただろ?喜多見が女子を泣かせてたあの写真。あそこ行ったことがあるんだよ」
「んなっ!?今から押し掛けるつもりか!?本人がいるかもわからないのに??」
「あいつはいるさ。勘だけど、俺の勘がよく当たるのは知ってんだろ?それにいなかったら明日朝一で待ち伏せするだけで、なんも変わらねぇよ。今日か明日か。早いほうがいいってだけだ」
止めなきゃ。こいつを喜多見に会わせるわけにはいかない。
私は走り出した。こういう日に限って自転車じゃない。
篠原の隣には自転車があった。早くしないと、あいつのほうが先に着いてしまう。
振り返ってみれば、電話すればよかったのだ。そうすれば隠れる時間ぐらいは普通にあったはずだ。
だけどそうしなかったのは、どこか予感していたからかもしれない。
きっとこれが決定的な出来事になると。彼にまつわる問題が、やっと一つの結末を迎えるのだと。
そう無意識のうちに期待してしまっていたからかもしれない。
ーーーー
「ちょっと、もう店は閉まってるんですけど?」
内心、怖かった。怖かったけれど、店内に駆け込んできて息を切らしている福村先輩を見て、ただ事ではないことはすぐに分かった。大丈夫、先輩もいる。きっとこれは火種だ。大きくすることが修也先輩にとってどう転ぶかわからない以上、私がするべきはまずは仲裁だ。
福村先輩の様子からして、これは急な出来事。ひとまず状況を整理したい。
「福村先輩、こっちに来てください!早く!」
「う、うん!ありがとう、汐音ちゃん」
なんか危ない雰囲気をまとっている男から、福村先輩を遠ざける。これで大人しくご帰宅いただけたら満点なのだが。
「なぁ、用件はわかってるよな?」
そうもいかないらしい。周りのことなどお構いなしに、その男は修也先輩に問いかける。
「わからないけど」
先輩はその問いかけに答える。どうやら話し合いは避けられないし、避けるつもりもないみたいだ。
店長は間が悪く買い出しに出ちゃってるし、帰ってきたらお説教決定だ。
「幸、いったん裏「イヤ」……さいですか」
兄妹は兄妹で仲良しを見せつけてくるし。ああもう、暴力沙汰とか本当にやめてくださいよ!?
「ごめん喜多見。学校でいろいろ起こってて、すぐに報告すればよかったんだけど……」
「その前に押しかけてきたってことか。いや、別に福村は悪くないだろ」
学校でいろいろ。一体何が起きたというのだろうか。
「しらばっくれんなよ!俺たちがお前をいじめたとか、ありもしないことを吹聴したのはお前だろうが!!」
「え、そうなんですか先輩」
「いや、そんなわけあるか。そんなことになってるのかよ、学校」
そんなわけは、別にあってもおかしくはないのだが。そんなツッコミは先輩には無意味なので飲み込むが、ともかく先輩はそんなことをしていない。
「嘘つくんじゃねぇ!じゃあ誰がそんなことするっていうんだよ!!」
「園田だろ。他にいないだろ」
あれ、これは意外。先輩がそんな簡単に断言するのは珍しい。まぁ話を又聞きしているだけの私でもそう思うけれど。
「……やっぱりそうなのか」
「たぶんな。てか、他にいないだろ」
私もそう思う。というか、あんな風に問い詰めてきた割には、あっさり認めるのか。
「そうだよなぁ」
「……まぁ、そうだろ」
私は何を見せられているのだ?急に押しかけてきた男が、あっさり説き伏せられて意気消沈している。先輩も何を考えているのだろ。こんなやつ、もっと言い返してやればいいのに。
そう思って、修也先輩の顔色をうかがう。
(なるほど、そういうことですか)
表情を見て察した。先輩は同情しているのだ、こんな男相手に。
裏切られて詰んでいる相手に、それがたとえ迷惑をかけられた相手であっても、こんな表情を向けられる。
行き過ぎた優しさだ。正直今すぐにでもお説教をしてやりたい。でも我慢だ。それはすべてが終わってからでも遅くない。
そう思っていた。
「でもよ、それって結局喜多見が納得してくれればいいんだよな?」
結果として修也先輩は、その優しさに付け込まれることとなってしまった。
目の前の男は最低で、性根まで醜かった。
「喜多見が黙ってくれれば、噓をついたのは園田だけってことになるよな!?」
この段階で気づければよかった。そうすればそんな脅し、止めることができたかもしれないのに。
「なぁ喜多見、このままだと俺たちのサッカー部、部活停止処分になっちまうかもしれなくてよ」
「っつ!!黙って!!そんなの通るわけないでしょ!!」
その最悪な発想に気づいた。だから私は止めようとしたけれど、もうすでに手遅れだった。こいつは園田も裏切り返すつもりだ。もう手段を選ぶつもりはなくて、なんだってする覚悟ができてしまっている。
「なぁ、このままだと、関係ないやつまで巻き込みそうなんだよ。な、わかるだろ?だからさ喜多見」
それは悪魔のつぶやきだ。一方的で、身勝手で、そして修也先輩のような人には、大きな傷跡を残してしまう最悪の懇願。
「助けてくれよ」
 




