トモダチ
私にとって恵美は、大切な友達だ。
だから今、恵美が置かれている状況を、黙って見ているだけなんてしたくない。
昔のこと。今のこと。未来のこと。
聞いて、話して、恵美のことを知りたい。
だから。
「恵美、本当のこと、教えて?」
だからまずは、話を聞こう。
目の前の友達が、一体何を想っているのか。
ーーーー
喜多見は、私の想像していた人物像とはかけ離れていた。
それは当たり前か。全部嘘だったのだから。
それは偶然ではなくて、私はそれを見抜くことができなかった。
『明日、いつもの場所で待ってる』
メッセージを送っても、恵美から返事はなかった。
だけどきっと恵美は来るって、そんな確信があった。
いつもの場所。それは待ち合わせ場所だ。本当だったらそこには舞華もいて、そこから行きたいところに行く。
私たちはどこにだって行けたはずなのに、私たちは間違えてしまった。
喜多見は変わってる。
私だって自分が、めちゃくちゃ言ってる自覚はあるのだ。
自分に迷惑をかけた相手に、なぜああも冷静でいられるのだろうか。
喜多見の後輩、榊原さんが言っていた通りだ。きっと彼には、私にはない基準があるのだろう。
「恵美」
胸中に思い浮かべるのは、喜多見が転校した後、彼女が何度も見せた悲しげな表情。
「嘘なんかじゃ、ない」
恵美だって、辛かったはずなのだ。彼女だって被害者であったはずなのだ。
恵美は、間違えてしまっただけだ。
「おはよう、恵美」
「……おはよう、瑞樹」
話して、語って。
そしてーーって
私たちには、それができるはずだから。
だって、私たちは、友達だ。
ーーーー
まただ。また、私は問われている。
これは分岐点。彼女と私のこれからについて、決定的な瞬間になる。
どうして。どうして私ばっかり選ばなきゃいけない??
どっちだ?目の前の彼女は、どっちだ?
私の味方か、それともーーーー
瑞樹は口を噤んだままの私を、ただ黙ってじっと待っていた。私の選択を、彼女はただただ待っている。
瑞樹との付き合いは長いから、彼女の性格はよくわかってる。
彼女は自分の信念を曲げないタイプだ。自分のことを客観的に見て、その上で自分の直感を信じる。
私はそんな彼女のことがーーーー
「私は、嘘なんか、ついてない」
そんな言葉も嘘じゃない。
私は嘘なんか、ついてこなかった。
瑞樹が喜多見から、あの一件をどう聞いているかは知らないけれど、私だってあんなこと、したくてしたわけじゃない。
「怖かったの」
そうだ、怖かったのだ。いじめられるのが怖いことが、どうして責められようか。そこから助かりたくて、逃げようとして、私は自分を守ったんだ。
「馬鹿にされるのが辛くて、悲しい思いをするのも怖くて、それを我慢するのも辛くて、独りになるのが怖かった」
「どうすればいいのかなんて知らなかった。そんなこと知ってるわけない。先生に言えばよかったの?クラスで問題ってことにして、誰かを私が断罪すれば良かったの?それで解決したの?その後は?どんな顔して教室にいればよかったの?ただそこにいただけで、なんでこんなことで悩まなきゃいけなかったの?」
「別にあいつらに理由なんて無くて、誰だってよかったのよ。たまたま私が標的になって、それは私にとってとても辛いことで、本当に何もかも投げ出したくなってた」
だから、本当は私だって。
「本当に心底ほっとしたの。ああ、自分は助かったんだって。本当に辛くて、怖くて、でもそこから抜け出せて、本当に嬉しかった」
彼には、感謝している。だから、だから。
「だからこそ私はーーーー」
心に決めた。
「だからこそ、もう二度と同じ目には遭わないって決めたの」
ーーーー
「だから私は、あのときーーーー」
恵美から語られたのは、私が喜多見から聞いていたよりも一歩踏み込んだものだった。
(恵美をいじめから助けたのが喜多見?)
恵美が加害者となって喜多見をいじめていたのは知っていた。だけど、そのきっかけまでは知らなかった。でもたしかに、その流れのほうが自然で、過程としてはありがちなものだ。
だけどそんなの、喜多見からは聞いてない。本来それは隠す必要のないものだ。
だけど、だからこそある意味で納得もできる。
やっぱり、喜多見は。
「そのあとは、瑞樹が知っている通りよ。喜多見は転校して、私は親の都合で一度地方に行って、こっちに転入してきた。そして彼と再会した」
「それで舞華が色々と気づいて、私も喜多見に会って、今に至る……と」
神様がいるとして、なんと意地の悪いことか。その縁は途切れることなく、壁となって2人の前に現れた。もっとも再会しないことが、2人にとって良かったことなのかは、私にはわからないけれど。
特に、彼にとっては。
「ごめんね、瑞樹」
「恵美……!」
ついで発せられたのは、謝罪の言葉。
「隠し事してて、ごめんね。全部話して、嫌われるのが怖かったの」
そんなことはいい。そう言おうとしたのを寸前で止めた。これは、彼女にとって必要なプロセスのように感じたから。
恵美はきっと今、過去と向き合おうとしている。
時間はあるのだ。ゆっくりと、恵美の言葉を聞きたい。
「あの時は、自分のことを考えることで精一杯だった。ひどいことをしている自覚はあった。でも仕方ないって、全部いじめてきた奴らが悪いって、そうやって自分を守るしかないって、追い詰められてて何もわからなくなっちゃって」
彼女が語ったことは、ある意味でありきたりなものだった。
よく聞く話だ。辛くて、怖くて、追い詰められて。
その果てに間違った選択をしてしまった。
だから、彼女は。
恵美は特別なんかじゃない。
今まで隠していたことを、こうして話してくれたことを嬉しく思う。それと同様に、今まで一緒に背負ってあげられなかったことに、不甲斐なさを感じる。
私は彼女にとって、それに値する存在でありたい。
だからこれからは、決して独りにはさせない。
「ねぇ、恵美。一緒に喜多見に謝ろう?」
私には確信があった。
喜多見はきっと、恵美のことを恨んでいない。
だから彼は言わなかった。彼自身がいじめられることとなった、そのきっかけを。
だからまだ間に合うのだ。罪を償う時間は残されているのだ。
尤もそれは、他に方法がないということでもあるが。
もう、謝るしかないのだ。私たちに残されていることは。
私だって彼に迷惑をかけてしまっている。しかも今だって、彼にわがままを通してもらっているようなものだ。
自己満足だろう。謝るというのは、許すという行為の強要だ。
でも、それでも。
そうしないと選択肢はない。私たちにはもう、謝って許してもらうしか、前に進む道は残されていないのだから。
ずるいと思う。彼の優しさに甘える選択だから。
それでも、その痛みを胸に刻む行為は、絶対に避けてはいけない領域だから。
だから、だからーーーー
「え、なんで?」
恵美から告げられた疑問に、私は動揺を隠すことができなかった。
ーーーー
「なん、で?」
瑞樹から発せられた提案に、私は疑問を隠せなかった。
どうして、そうなる?
「な、なんでって……悪いことしたから、じゃないの?」
私の疑問に、瑞樹も困惑した様子で返してくる。
「悪いことって、なに?」
確認の意を込めて、私は瑞樹に問いかける。
「それは恵美が喜多見のいじめに加担しちゃったことで、いじめは悪いことで、だから……?」
瑞樹は言葉を選ぶように、ゆっくりと話す。
だけどやっぱり、私には理解できない。
「なんで私が、謝るの?」
だって私は、いじめられてて被害者だったんだから。
どう考えたって、仕方なかったことなのに?
「なんで謝らなきゃいけないの?仕方なかったことじゃない。悪いのはあいつらでしょ?私だって被害者なのに、なんで私だけ悪者にされなきゃいけないの?」
「ち、違うよ!?別に恵美のことを悪者にしたいわけじゃない!」
「じゃあなんで?隠してたことは悪いと思ってるよ。でもそれだって仕方ないじゃない。でもそれは、もう謝ったじゃない。これ以上、何を謝ればいいのよ」
理解できない。だって私は悪くない。
悪いのは、あいつらだ。
「それに、さ」
一番大事なことが残ってる。
「彼がそうして欲しいって、言ったの?」
ーーーー
言ってない。確かに言ってないよ。
でもそれは違う。違うんだよ、恵美?
「確かに、喜多見の口からは聞いてないけどさ」
そういうことじゃない……!
「謝るって、そういうものじゃないんだよ?」
「じゃあ、どういうものなの?」
どこか気の抜けたような、そんなやり取りに思えてしまった。致命的なすれ違いを感じているのに、それの正体に気づけないことへの焦燥感が募っていく。
「謝るっていうのは、相手が望んでるからすることじゃなくて、そうしなきゃいけないからで……!」
続けようとして、詰まる。言語化が難しい。わかっているのに、言葉にできない。
「だってそうしないと、何も解決しなくて、お互い嫌な思い出だけが残っちゃうでしょ?それじゃダメなんだよ。だってそうしないとーーーー」
「結局それって、自己満足じゃない?」
後に続く言葉を探す私を、恵美の一声が遮った。
「自己、満足」
「そうよ。だって今、瑞樹が言ったんじゃない。お互いに嫌な思い出が残るって」
そう言われて気づく。すれ違いの正体が露見する。
その先を言わせてはならないと警鐘が鳴るが、遅かった。
「そんなの私には関係ない」
「恵美!!」
「だってそうでしょ?仕方なかったんだから!!謝るって、結局ただの清算じゃない!その清算はもう済んでるの!いいえ、違うわ。もともとそんなの存在しないのよ!!」
恵美の言葉は加速する。せき止めていたものが溢れるようだった。
「謝ってどうするのよ!それで喜多見は嬉しいの!?過去のことを納得できるの!?それで全部すっきり?そんなわけないじゃない!」
「仮にそうだとしても、なんで私なのよ!!もっと彼に謝らなきゃいけない奴がいるでしょ!?喜多見をいじめたのは、私をいじめたやつと同じなのよ!?なんであいつらと同じ尺度で測られなきゃいけないのよ!!」
「この私の気持ちはどうすればいいの?自分を悪者って認めて、あの苦しみを無かったことにしろっていうの!?そうまでして、彼を救ってあげなきゃいけないの!?」
これは、駄々だ。なにか高尚な思いがあってこうしているのではなくて、ただ認めたくないんだ。
私よりも悪いやつがいるから。私は仕方なくやったことだから。私だって被害者なんだから。
それは子供が並べる言い訳そのもので、そのことに彼女は気づけていない。
そうじゃなきゃ、私の話は冷静に聞けるはずなんだ。
だって私の話は最初から、喜多見のためなんかじゃないのだから。
だから彼女は気づけない。私は一度だって、恵美を悪者になんかしていないのに。
「ーーーー帰る」
「っ恵美!!」
まるで疲れたといわんばかりに、恵美は冷静さを取り戻した。実際にはそう見えるだけで、胸の内ではその感情が渦巻いているのだろう。
その証拠に、とっさにつかんだ彼女の手は震えていた。
「っ離して!!」
その手は、あっけなく振り払われてしまった。掴んだその手に力を入れられなかったのは、あまりにそれが小さく折れてしまいそうだったからか。
「結局、瑞樹もそうなんだね」
「え、恵美?」
耳をふさぎたかった。その後に続く言葉がわかってしまったから、それを受け入れたくなかった。
でも、全部手遅れだった。
「トモダチだと、思ってたのに」
それはあまりにも、お互いにとって致命的な一言だった。
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