軌跡
歩き慣れた道を往く。いや、歩き慣れていたはずの道か。
程なくして、目的の場所に辿り着く。目の前には一つの墓跡。
今は亡き、夫の墓だ。
私はしばらく、この場所を訪れていなかった。
後ろめたかったからだ。自分が修也にしている仕打ちを、あの人が望んでいるわけがなかったから。
手入れは行き届いていた。幸のおかげだ。あの子は一人で、私が本来担うべき役割を果たしてくれていた。
駅前で買った花を供える。真っ赤に輝くサルビアは、私の好きな花だ。
膝をつき、向き合う。あの人が見たらなんて声をかけられるだろうかと、想像してみる。
『大丈夫だよ』
そんな想像が、どれだけ都合のいいものかと思いながらも、きっとあの人ならそう言うって確信があった。
あの人は底抜けに優しくて、修也はとても父に似ている。
だけど修也は子供だ。その優しさは、時に自分に不利に働いてきたことだろう。
だから導いてあげなければいけなかった。その手を握って、私は寄り添ってあげなければいけなかった。
そんな間違えを犯しておきながら、私はまだ親でありたいと願っている。そう願うことを、あの子たちに許されている。
応えなければいけないし、何より私が応えたい。
「もう、帰らないと。また来るからね」
そろそろ修也たちが、小旅行から帰ってくる。食事の準備をして、2人を出迎えなければ。
そして、いつかは、3人でーーーー
「あれ、お母さん?」
「……幸?修也?」
「母さんも来てたんだね」
振り返ると、幸と修也がいた。反応からして、この出会いは偶然のようだ。
「2人も、お父さんに会いに来たのね」
「うん。俺もしばらく、来てなかったから」
父の墓参り。それすらも満足にさせてやれなかったことに、胸が苦しくなる。
「久しぶり、父さん」
修也はそう呟いて、目をつぶって手を合わせた。
どれぐらいそうしていただろうか。ゆっくりとした時間が流れる中、幸と私は、静かに空を見守っていた。
「掃除とかは、必要なさそうかな」
やがて立ち上がった修也は、綺麗に掃除されているお墓を見て、そう言った。
「ありがとうね、修也」
口から出た言葉は、謝罪ではなく、感謝だった。
何故かはわからない。ただ、そうするべきだと思った。
こうして真っ直ぐにお礼を言えたのは、一体いつが最後だっただろうか?
気づく。
私が向き合っていなかったのは、何も修也に対してだけじゃなかった。幸にも、そして愛した人の死とも、私は向き合えていなかった。
私の時間は、ずっと止まったままだったのだ。
それを動かしてくれたのはーーーー
「ありがとう、ありがとう、2人とも」
こんな私をお母さんと呼んでくれる2人が、愛おしくてたまらない。こんなに大切なものを、手放していた自分が恨めしい。
色々な感情が、頬を伝って流れ落ちる。
私に何ができるだろう。こぼれ落ちたものを、掬い上げる術は残されているのだろうか?
知りたい。私は知らない。私はまだ、修也のことを何にも知らない。
母として、私に今更できることなんて無いのかもしれない。
でも、だからって、諦めたくない。
『そんな簡単に諦めんなよ!!』
他ならぬ、目の前の息子に言われた言葉は、色褪せることなく胸に刻まれている。
だから、情けなくても、不甲斐なくても、みっともなくても、私は母であり続けたい。
母であることを、諦めるなんてしたくない。
「ねぇ、修也」
「なに、母さん」
家族として、母として私は向き合うんだ。
「家に、帰ろう?」
失ってしまった時間を重ねる。
家族という軌跡を、この4人で刻みたい。
ーーーー
(ありがとう、か)
以前、3人でおじいちゃんの家に行くと決めた、あの日に言われたものとは、音は同じでも込められた想いが違って聞こえた。
いつか幸が言ったように、俺は母さんを許したくない訳じゃなかった。
単に許せなかった。納得ができなかった。
でもこうして母さんと向かい合って、浮かんでくるのは同情だった。
母さんも辛かったのだ。
まさに不幸だと思う。父さんが死んで、前途多難なんてものじゃなかっただろう。
でも母さんは、きっとそれを認めない。同情なんて求めない。それを自分自身が認めないだろう。
人は赦される生き物だ。決して自分では自分を赦せない。
「俺、行きたい大学があるんだよね」
「そうなの……じゃあ絶対行こう」
子として、母に語りかける。
「やり残したこと、たくさんあるんだよ。サッカーもしたい。専攻したい分野だってあるし、本当は友達もたくさん作りたい。たまには何でもなくサボったり、そしてそれを……怒られたり。バイトは続けたいな。バイト先、すごい気に入ってるんだよね。店長も、その、後輩もすごい良い子で、いろいろ助かってる」
「そう、なのね」
あの日、信じてもらえなくて、孤独という絶望を味わってから、生きるのに必死だった。
楽しいと思えることもなく、その場しのぎに毎日過ごしていた。
家族としての足跡は、あの日から刻まれていなかった。
「ありがとな、幸」
「こっちこそ、ありがと」
俺たち家族を繋ぎ止めたのは、幸だ。幸がいなかったら俺たちは、ずっとずっとバラバラのままだっただろう。
きっかけが必要だった。俺も、母さんも、心の底では、変わるきっかけを待ち望んでいた。
だからこれは奇跡じゃない。
「帰ろっか」
4人で刻んだ、家族の軌跡だ。




