親の心と孫のこと
正直に言うと、あの頃の多恵子さんは見ていられなかった。
私の息子ーーーー多恵子さんにとっての夫である修二が、交通事故で死んだことによって、彼女は失意のどん底に落ちていた。
あの無気力で力のない目を見るたびに、私の心は痛くなった。大事な存在を無くした者として、とてもその痛みが他人事とは思えなかった。
だから援助は惜しまなかった。それに直縁となる肉親は、息子が残した二人の孫のみ。その力になってやることが、息子の生きた証を繋ぐことだと思ったからだ。
だからこそだ、多恵子さんの告白を、いや、あれは懺悔と言うべきだろうか。ともかくそれを聞いた時は怒りを通り越して憎しみが湧いてきた。
決して許せない、取り返しのつかないことを彼女はしてしまっていたのだから。
謝って済む問題ではない。彼女が修也に残した傷を考えると、とても平静を保ってはいられなかった。
私は怒鳴った。年甲斐もなく、子供のようにがなりたてた。ただただ目の前にある小さな背中を責め続けた。
とうとう手を出してしまうかというところで妻に止められて、そこでようやく我を取り戻した。
多恵子さんが帰った後に、幸に連絡をした。修也と一緒にうちに来ないかと。
話は聞いた。だからうちに来なさい。進学のことも心配しなくていいと言った。
「お兄ちゃんを信じてるから、私は行かない」
幸から返ってきたのは、意外にもそんな言葉だった。
当然驚いた。理由が意外すぎるものだったからだ。
被害者である、修也を信じているから。言葉の意図を私は掴みきれなかった。
その答えはすぐに得られた。他ならぬ修也の言葉によってだ。
「変わりたいから」
その言葉を聞いて、私はやっと自分の間違いに気づいた。
この家族は今、足掻いているんだ、と。
幸も、修也も、そして多恵子さんも、なんとか変わろうとしているのだと。
修也との電話を終えた後、私は一人静かに涙を流していた。
修也に、修二の影を見たからだ。
修二は負けず嫌いだった。よくわがままを言う子だった。
それが今、孫である修也から感じ取れたのだ。
それがたまらなく、嬉しかった。
力になろう。改めてそう思った。
この家族が元通りとは言えなくても、新しい一歩を踏み出せるように、力の限りを尽くすのだ。