かつての
仮に彼女が180度意見を変えて、喜多見の味方になると言っていたとしたら、私は彼女を信じることができるのだろうか。
多分、私と彼女は友達になれた。きっと条件が、出会いが違えば仲良くなれた。
一つずつだ。私たちは間違えたんだ。
過去につけた傷は消えない。傷は癒えても、たとえ被害者が忘れたとしても、過去の事実は消えないから。
目の前の女の子ーー板倉瑞樹さん。そしてもう一人。彼がこの場に招かれたのはきっと必然だ。
全部全部繋がっている。過去はどこまでも追ってくる。
願わくばそれが、彼にとって脅威であればいいのだが。
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時刻午後5時。天気、曇り。心模様、大荒れの予感。
重い足取りで歩く私ーーーー宮島加奈は待ち合わせ場所へとゆっくりと歩を進める。
余裕を持って家をでたから、まだいくばくかの時間はある。どこかで時間を潰そうかとも思ったが、心には余裕がなかったようで、およそ30分前には待ち合わせ場所に着いてしまった。
「あ、もういる」
待ち合わせ場所であるカフェに着いた私は、店内に板倉さんの姿を見つけた。彼女も早く着いていたようだ。もう一人はまだ来ていないようだ。
「こんにちは。今日はありがとうね。突然だったのに」
「こんにちは、宮島さん。別にそれは、私もこのままじゃだめだってことぐらいは、その、わかってるつもりだから」
立場は違えど、私たちはもう部外者ではない。どう動くのか、どう思うのかは別にしても、もう無関係ではいられない。
自身の行いの後悔が、喜多見への罪悪感がそれを許さない。
この期に及んで、動く理由は義務感だ。どこまでも醜いと自己嫌悪。
だからこそ、ここで引き返すなんてできるはずがなかった。胸元に忍ばせた頼りない希望に、私はみっともなく、水面に顔を出そうと、必死に必死に手を伸ばす。
ーーーー
「「……」」
気まずい沈黙。まあ仕方ない。私たちは互いに顔を知っている程度。どこまでいっても友達の友達以上の関係ではない。
私はここに呼んだもう一人の存在が、時間になっても現れないことに焦れていた。もしかして、約束をすっぽかすつもりだろうか。
目の前に座る板倉さんを見るに、彼女もしきりに店の入り口を気にしている。彼女にとっても不安なのだろう。
そして約束の時間から20分。彼は来た。
その顔を見るなり、あの嫌な記憶が鮮明によみがえる。
「久しぶりだな、宮島、板倉」
「うん、久しぶりだね、岡島君」
岡島太一。もう会うことはないと思っていた存在。
かつて恵美をいじめ、私とともに喜多見をいじめていたグループのリーダーだった男だ。
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「で、いったいなんで俺は呼び出されたんだ?」
岡島君は板倉さんの隣に座ると、そう切り出した。その瞳は私たちを捉えてはおらず、手にしたメニュー表に注がれていた。
彼は返答を待つことなく店員を呼び注文をした。
まるで何でもないかのように、質問を投げかけておきながらその答えに興味が無いかのように。不自然なほどに自然な様子だった。
だってわからないはずがないのだ。この面子で、しかも板倉さんは用件をほのめかして呼び出しているはずだから。
つまり彼にとってこの集まりは、どうでもいい日常の一コマなのだと私は悟った。これからされる話も、彼に取って何ら気負うことの必要がない事柄ということだ。
私はその態度に、無性に腹がたった。理由はわかっている。その姿が少し前の自分と重なるからだ。
「岡島君はさ、喜多見のことを覚えてる?」
覚えているに決まっている。なんせ彼があの偽装メールを拡散した張本人なのだから。
すこし周りに聞いたらすぐにわかったと、板倉さんの談。だから今日呼び出した。彼の話は、絶対に聞かなければいけないと思ったから。
こんな聞き方をしたのは、きっと彼の態度に対する反抗心だ。
「あー。確かにそんな奴いたっけか?」
一応の肯定。白々しい。
「もういいんじゃない?宮島さん、さっさと本題に入ろ?どうせこいつが恵美をいじめてたっていうのは、揺るがない事実なんだしさ」
そう板倉さんは切り出してくる。やはり彼女の立場はあくまで恵美サイドのようだ。
とはいえ、その攻撃的な態度も納得かもしれない。
彼女にとって岡島は、大義名分をもってして責められる相手なのだから。それに十分な裏付けも取れている。
もちろんそれは、私である。
「覚えてるよね。あのとき恵美ちゃんをいじめていたこと。その後、喜多見のこともいじめていたこと」
言い逃れの出来ぬよう、はっきりとそう告げる。彼もさすがにここまで言われたらはぐらかすことが難しいと感じたのか、観念したように言う。
「ちっ。あー覚えてるよ。確か中学二年の頃ぐらいだったっけか?」
しかしそれで彼は止まらない。
「で?それが一体何なんだよ」
その態度が当たり前であると錯覚してしてしまいそうになるほど、彼は憮然とした態度でそう言った。
カッと血が上りそうになった。どうしてそんなに悪びれずにいるのか、申し訳なく思わないのか、そう問いただしたくなる。
その衝動を遮ったのは板倉さんだ。
「ふざけないで!そのせいで今も恵美は苦しんでるの!それなのに何なのよその態度は!」
声は抑えつつも、力のこもった言葉だった。
そこに喜多見の名前がないのが、いかにもらしいと思ってしまった。でもはっきり言ってくれてありがたいのも確かなのでここでは飲み込んだ。
そしてその言葉に対する答えは、いかにもという返事だった。
「あ?そんなの今更だろ。つーか、そもそもあいつも加害者だろうが」
論点をずらされる。恵美が加害者の一人なのは関係がないのにだ。
「別にそれで岡島君がしたことが消えるわけじゃない。単に加害者が一人増えているだけだよね?」
「てかさ、そもそもお前は何様なの?お前だって同罪だろ」
「それは」
胸が締め付けられる錯覚を覚える。いや、現に握りしめられているのだろう。過去の罪に、後悔の念に。
「それにさ、今更何?あいつに謝れってこと?それをあいつが望んでるわけ?わざわざそんなことを言うために呼び出したんなら、さすがに迷惑なんだけど?」
早口に捲し立てられ、言葉に詰まってしまう。何か言わなければ。
これは決して、「そんなこと」ではないのだから。
「てかさ、板倉ももう知ってるんだろ?俺だって恵美に脅されてたってこと」
「それは」
「わかる?もうみんな加害者で被害者なんだよ。まー確かに?喜多見は可哀そうかもしんないけどさ、別に昔のことじゃん?」
「昔のことって、そんな」
「だって事実だろ?あいつは何も訴えずに学校を去ったんだ。その意味は分かるよな?」
「そ、それは私たちが嘘をついたからで……!」
彼は訴えていた。その言葉を踏みにじったのは私たちだ。
「そんな事実はないんだよ。それをしたのはお前だって一緒だろ?」
てかさ、と彼は続ける。
「何で宮島はさ、自分だけ違う立場だとか思っちゃってるの?」
「そ、それは!私はそんなつもりじゃ……!」
「あるでしょ。あれか?自分だけは反省したから。自分は喜多見の味方だから。そう言って自分のことを許してるんじゃないの?それってすごい自己満足だよね」
「それは……」
自己満足。その言葉は私の胸に深く深く突き刺さる。
他人に言われったって関係ないはずだ。私の行動原理がそうであるのはわかっているのだから。自覚があるのだから。そのうえで彼の助けになりたいと、そう思えているのだから。
何よりも、この気持ちを喜多見に隠していないのだから。
それなのに突き刺さる。自分の行いが浅ましく思える。結局はすべて自分のためなんだと、そう再認識させられてしまう。
何よりすべて見透かされているようで悔しかった。悔しいと思う自分が、さらに矮小なものに思え負の循環を巻き起こす。
「もう遅いんだよ。なのになんで今更掘り起こすかなー。無言で去ったあいつがさ、本当にこんなこと望んでいるわけ?」
それはわからない。今日のこの集まりは、私と板倉さんの独断だ。彼には伝えていない。
迷惑だったんじゃないかと、余計なことをしてしまったのではないかと頭をよぎる。
「お前だって同じくせに、偉そうにご高説とか勘弁してくれよ」
言い返さなきゃ。このままじゃ変わらない。
変える?何を?私が彼と同じなのは変わらないのに?
言い返せることなんて、何にもないくせに……?
「そもそもそんなことを女子に言わせてるとか、喜多見のやつダサすぎるだろ(笑)」
ーーーーバシャ。
「ーーーー何のつもりだよ、板倉」
「だったら何よ。あんたがクズなことに変わりないでしょうが」
そんな私を救ったのは、凛とした声でそう言ったのは板倉さんだった。彼女は水を岡島にぶっかけていた。
「は、何言ってーーーー」
「そもそも恵美をいじめたのが発端じゃない。それを棚に上げて何言ってんのよ」
「だからその恵美だって喜多見をいじめたんだから同罪でーーーー」
「そんなわけないでしょ!それであんたたちの罪が消えるか!喜多見基準で言えば、あんたが無罪なわけないでしょうが!!」
意外だった。それは明らかに喜多見を擁護する発言だったから。
「い、いいのかよ!それじゃあ恵美のやつだって悪者になっちまうぞ?」
「だったら何よ!そしたら反省させるだけよ!別に私は、恵美の罪をなくしたいわけじゃない!」
彼女の言葉に、つい惚けてしまっていた。彼女はただただ恵美の味方だと思っていたから。喜多見の味方ではないと思っていたから。
「それにもう十分よ!いこっ、加奈!」
「あ……私は」
差し出された手を掴むか、一瞬の逡巡。しかし彼女は私の手を強引につかんだ。
「喜多見に恩返しするんでしょ?行くわよ、早く」
「ーーーー!う、うん!」
心にかかっていた霧が晴れるような、そんな一言だった。
そうだ、自分がどうであれ関係ない。許すとか許さないとかの話じゃないって、他ならぬ喜多見が教えてくれたのではないか。
私の言葉を、彼は受け入れてくれた。その恩返しだ。
「じゃあ、そういうことだから!」
単純だと、自分でも思う。背を押してもらえることが、こんなにも頼りがいのあることなのが悪いのだ。
私たちは店を出た。少々苦しい展開だったが、目的は達することができた。
「ありがとね、瑞樹」
「別に私は……何でもないから」
彼女には彼女なりの思いがあるのだろう。
少し朱のさしたその横顔は、見ていなかったことにするとしよう。
ーーーー
私は恵美の味方だ。
それでも、それでもだ。喜多見には悪いことをしたと、素直にそう思っている。
事実でないことを広めた。事実でないことで彼を責め立てた。
喜多見は私を許さないだろう。
それはいい。今更許してもらおうなどと思っているわけではない。
私は気づいているのだ。かつて恵美が間違いを犯して、今なお間違い続けていることを。
気づいていてなお、恵美の味方でいようとしている。
今の恵美は被害者ではない。立派な加害者だ。
恵美が今していることは許されることじゃない。だって舞花を傷つけた。友達を自分のために切り捨てた。
私は岡島を許せない。そして同時に、恵美だって許せない。
元を辿れば恵美は被害者だ。だから私は、いつまでも恵美の味方でいてあげられる。
でもそれとこれとは別物だ。許せないことは許さないべきだ。
無条件の信頼を寄せることが、味方になることではない。
恵美が悪くないなんて思わない。恵美は間違えたのだから。
だけどまだ間に合うはずだ。恵美はまだ戻って来られる。
許してもらえるかは……いや、見逃してもらえるかは喜多見次第。可能性は限りなく低いだろう。
いや、喜多見だけならそうでもないのだろう。私でもわかる。彼はどこかズレているのだろう。
きっと喜多見の周りがそれを許さないだろう。
じゃあ何もしなくていいのか。そんなはずがない。
恵美はきっと裁かれる。どんな形で、誰にかは分からないけど、その現実から目を背けることはできないだろう。
罪はどこまでも追ってくる。それは私も同じだ。
岡島に水をかけたのは、あくまで加奈のためだ。決して喜多見の味方をしたわけではなかった。
彼女のあり方が正しいかは分からない。彼女が罪滅ぼしに行動しているのはわかっている。それが岡島の言う通り自己満足であることも。
「何が悪いのよ、それの」
自分のために行動して何が悪い。100%人のためになんて行動できるわけがないのだ。
私には加奈がカッコよく見えた。
元を辿れば、決してそんなことはない。マイナスからゼロに戻す行為だ。褒められるようなことじゃない。くだらない綺麗事にすら映るほどだ。
だけどそれを誰かに指摘されてもなお、折れずに突き通す彼女のことを、素直にすごいと思ったのだ。
赦される人間というのは、こういう人のことを言うのだと理解した。
彼女は決して美談にしないのだろう。きっとそれを戒めとして抱えて生きていくのだ。
憧れた、なんて高尚なものじゃない。ただ少し、その姿に近づきたいと思った。
自分は恵美にとってのなんだろう。そもそも、恵美にとって友達ってなんだろう。
恵美は今、何を考えているのだろう。正しく罪を認識しているだろうか。
怖い。彼女にとって私が、取るに足らない一個人であることが怖い。
恵美は優しい。恵美といると楽しい。そう思った事実を過去にしたくはない。
この選択を、私は後悔するだろうか。傷つくことを恐れる私に、その資格はあるのだろうか。
どうであれ私は、一度恵美と話さなければいけない。




