家族
席を立って声を張り上げた俺を中心に、少しの間沈黙が流れる。二人は俺の言葉に、その態度に驚いたのか声を発せずにいた。
そんな母さんを責めるように、俺は構わず声を発する。俺の想いを訴える。
「俺、前会った時に言ったよね。辛かったって」
あの日、頭に血が上っていたのか漏れ出るように出た言葉。あれもまた、俺の本音の一つだった。
そしてその気持ちは、今もまだ消えることなく傷としてこの胸に刻まれている。きっと簡単には消えないであろう傷だ。
前までは消毒もせずに、上から布を被せただけだった。
だけどそれじゃダメなんだ。だから言うんだ。
言え。臆しちゃだめだ。
つい、でもたまたまでもなく。自分の意思で伝えるんだ。
「いつも独り。寂しかった。遊びにも行けなくて、幸とも距離ができて、寂しいし悲しかった。何を間違えたかなんて、俺にはわからなかった。というか、俺はなにも間違えてないのに、間違いって言われたことが悔しかった。だけどそんなのどうしようもなかった」
言ってることはあまりあの時と変わらない。だけど今回は少し冷静だからだろうか、言葉の一つ一つに意味がこもっている実感があった。
ちゃんと自分の言葉で話せてる。
「今だって辛いまんまだよ。多分この傷はずっと忘れない。ずっとずっとこの胸の中に居座り続けるんだと思う」
ふとした時に思い出すのだろう。それはきっと辛い時だけじゃない。楽しい時にだってだ。
だから俺はーーーー
「ごめん……ごめんね、修也」
俺の目の前には、母さんのつむじ。頭を下げた状態だ。途中までは何とか我慢していたようだが、ついに決壊してしまったようだ。顔は見えないが、きっと泣いているのだろう。声が震えていることからそれは明確なことだった。
だけど違う。俺が聞きたいのは、言って欲しいのはそんなことじゃない。
「そんなのいらない」
「……修也?」
母さんが顔をあげて、俺の表情を伺うように見上げてくる。
「別にさ、母さんが反省してるなんてこと、その、俺だってわかってる」
当たり前だ。罪の告白なんてそうそう簡単にできるもんじゃない。
これはたらればだが、別に俺はおじいちゃんたちに、これまでのことを言うつもりはなかった。母さんが言わなければ、ずっとこれは俺たちだけの問題だったんだ。
それをした母さんを見て、母さんが何とも思ってないなんて、そんなことは思わない。そんな気持ちはとっくに伝わっている。
「それでも割り切れなかったから、今日ここにきたんだよ。だから俺が聞きたいのは謝罪なんかじゃないんだよ」
別に謝られたいわけじゃない。そう、俺が今日したいのは。
「俺は会話がしたいんだよ。今までできなかった分。俺は聞きたいんだよ、母さんが今までどんな気持ちだったのか、俺のことをどう思っていたのか、俺が何を間違えたのか」
「違う。修也は間違えてなんかいない!」
母さんはそう言う。だけどきっと俺は、何かが間違っていたんだろう。
善悪とか正義とか、そんな問題じゃなくて。
きっと正解はあった。3人で仲良く暮らしていける未来だって、きっとあったのだろう。俺の態度次第で、それが叶っていたかもしれないのだ。
だけど間違えたこと。それを悪いとは思わない。
そう、言ってしまえば運がなかった。決定的に噛み合わなかった。
だから俺は聞かなきゃいけない。何が違くて、何がすれ違ったのかを。
と、言うのが半分。いや、建前か。
「ちゃんと母さんの本音が聞きたいよ、俺」
「本音?」
きっとこれが全てだ。
俺が聞かなきゃ、きっと母さんは話せない。
だってそれは、俺を責める行為だからだ。
俺の何が母さんにとって嫌だったのか。それを話すのはきっと、今の母さんの想いが許さない。
だけどそれを聞きたい。そうしないと前に進めない。
「今まで母さんが俺に対して思ったこと、全部が聞きたい。取り繕うことないありのままで」
おそらくこれが、母さんにとって一番辛いことかもしれない。
現に母さんは今、自身の中で迷いがあるのだろう。表情からはその葛藤が見て取れた。
「大丈夫だよ、お母さん」
「……幸」
その母さんの手を、幸が優しく握る。きっとそれは何よりも力強く、母さんのことを支えるものだ。
「私は、お母さんはね、修也の笑顔を見ていられなかったのよ」
そして意を決したかのように、母さんは話し始めた。弱々しくもありながら、たしかに意思のこもった言葉だった。
「あの人が死んで、もう訳が分からなくて、頭の中もぐちゃぐちゃでいつまでも整理がつかなくて、そんな時修也は笑ってた」
文面はまるで俺を責めるようだが、その言葉の紡ぎ方からは全てが自責するものだと言うことがわかった。
「あの頃幸が塞ぎ込んじゃって、母さんには悲しんでる暇なんて無かった。私だって、母さんだって辛かったのに」
涙が母さんの頬を伝う。
「一度そう思ってしまったら、もう止まらなかった。なんで修也は平気なんだって。なんで笑顔でいられるんだって。母さんはこんなに辛いのに!って、そう思っちゃった」
「次第に幸も笑顔を取り戻し始めて、なんだか母さんだけ辛いまんまな気がした。修也のおかげで幸は元気になれたのに、それでも考えちゃう。なんで私ばっかり辛いんだって」
「辛くて辛くて、正直心が押しつぶされてた。なのに平気な修也を見て、その」
「ちゃんと言って」
言葉が途切れた母さんに、俺はそう言った。その先の言葉を、聞かないなんて今の俺には考えられないから。
「ーーーー嫌気がさしちゃったの。正直、修也の顔を見るのが辛かった」
「そっか」
「分かってる。修也がそんなつもりなんかじゃ無かったこと。それでもその時は、そうやって理由をつけて苦しみから逃げた。目を逸らした。そうやって別の問題を作ることで、悲しみを全部修也のせいに……しちゃった」
「うん」
「だからーーーー本当にありがとう、修也。こんなお母さんを見捨てないでくれて」
「ーーーー!!」
急激に涙腺が緩むのを感じた。というか、少しでもこれ以上緩めればすぐにでも決壊してしまう。
あぁ、そっか。やっと分かった。
我ながら単純だと思う。こんなに文句を言って、拒絶して、ちょろいと思う。
たった一言ありがとうと言われただけで、俺は嬉しいと思ってしまった。
それはずっと待ち焦がれたものだった。
幸も母さんも、流れる涙を堰き止めるのはやめたようだ。ただあるがままにしている。
「どういたしまして、母さん」
見捨てられるはずがなかったんだ。
そうさせなかったんだ。他でもない、最愛の妹が。
俺たちを繋ぎ止めてくれたのは、幸だ。
「ありがとな、幸」
「ううん。こちらこそ、だよ!」
しばらく俺たちは何も言わずに、ただ泣いていた。なんだか、懐かしい感じがした。
間違いなく俺たちは、新しい一歩を踏み出した。
だから、これを一つの門出としよう。
「ーーーー母さん、提案があるんだ」
「提案?」
これが今日来た本来の目的。幸には許可をとっている。これは一つの決断だ。
「俺と幸は、おじいちゃん達と暮らすよ」
「っ!そ、そうよね。うん。分かったわ」
明らかに落胆の表情。まぁまだ話は終わっていない。
母さんは何にも分かっちゃいない。それに俺は言ったはずだ。
「だから、そんな簡単に諦めないでよ」
「で、でも!」
「でもじゃない」
有無を言わさない表情で、そう言う。母さんは少したじろいだが、すぐに口を開いた。
「本当は、本当は嫌よ!また、また一緒に3人で……」
そう言う母さんは、今までに見たことのない顔をしていた。まるで子供がわがままを言うかのような、そんな姿を想起させた。
「じゃあさ、提案があるんだけど」
あらかじめ用意していた返答。母さんがそう言ってくれるなら、もう問題はないだろう。
「3人でおじいちゃんのところ行かない?」