喜多見修也
「ただいま」
普段よりも幾分遅い時間での帰宅。幸からの小言が待っていると思うと少し憂鬱だが、それはまぁ許してくれると信じるとしよう。
「ん、幸?」
いつもはある出迎えがない。別に毎回わざわざしなくてもいいのだが、それでも普段と違うとやはり違和感を感じてしまう。
「あぁ、電話中か」
リビングに顔を出すと、幸が誰かと電話をしていた。なるほど、邪魔をしないようにしなければ。俺は物音を立てないようにして、疲れを流すべくお風呂場へと向かった。
ーーーー
「あ、今お兄ちゃんに替わるね」
そんなことを言って幸は、シャワーを浴び終えてリビングに戻ってきた俺に、自分の携帯を差し出してきた。
「え?誰?俺?」
「その、おじいちゃんから。えっと、とりあえず用件は話せばわかると思う」
そう言う幸の顔は、どこか浮かないものだった。まるでこれから、嫌なことが起きるのがわかっているかのような、そんな表情をした。
少し気を引き締めて、電話を代わる。いや、別に怖かったりは全然しないんだけど、一応だ。
『もしもし?修也だけど』
『おお修也、久しぶりだな。……元気か?』
確かに久しぶりかもしれない。最近はあまり連絡を取ってなかったからな。最後にあったのはいつだったっけ?
『うん。元気だよ』
まぁ色々ゴタゴタはしてるが、健康だし元気だ。
『そうか。なら、いいんだが』
なんて風にかえしてくる。おじいちゃんの言葉はどこか含みがあるように感じられたが、気のせいだろうか。
『それでどうしたの?用がなきゃダメってことは勿論ないけど、なんかあった?』
『あぁ、そのことなんだが』
おじいちゃんの声が一段低くなり、俺は自然と身構えてしまった。
そして先程気のせいと思っていたことは、見事に的中してしまった。
『幸と一緒に、うちで暮らさないか?』
ーーーー
『なんで、そんなこと』
と思った俺の脳裏で、一つの可能性が浮かんだ。
もしかしてと思い、幸の方を一瞥する。
「ううん。私は言ってないよ、お母さんのこと」
その視線の意図を素早く汲み取り、幸はそう答える。なるほど、となれば。
『一応どうしてか聞いていいかな?』
半ば分かりきった理由を、俺は問いかけた。
『今日、多恵子さんがうちに来た』
やっぱりそうか。それで母さんはきっと、全てを打ち明けたんだろう。
『聞いたよ。今までどんな仕打ちを修也が受けてきたのかを。そして、今どんな仕打ちを受けているのかもね』
俺はその言葉に、引っ掛かりを覚えた。
『今って?母さんはなんて言ってたの?』
過去のことはともかく、今はそんな態度を取られていない。まぁうまくいっていないのは間違いないけど。
『今なお修也をひとりにして、幸ちゃんにも距離を置かれた。そんなふうに言っていたが?』
『それは……』
違うと思う。だけど思うだけで、言葉にはならなかった。
別に一人じゃない。今は俺がそうしているだけ。幸だって母さんと距離を空けているわけではない。俺に寄り添ってくれているだけ。多分この部分はおじいちゃんの誇張だ。
だから違う。だけどやはり言葉にはならなかった。
代わりに浮かんだのは、こんな言葉。
「本音、か」
誰にも聞こえない、小さな呟き。だけど、俺の心には深く深く突き刺さっていた。
後先考えるのは、ひとまず置いておこう。何かあったら、まぁ幸がなんとかしてくれるだろう。
なんとも情けないが、これが今の精一杯だ。
『そうなんだよ、ひどいんだよ』
「……お兄ちゃん?」
会話の内容がある程度予測できてるのか、俺の言葉に幸が驚いた表情を見せる。
だけど俺の表情を確認した後、どこか安堵したかのような顔をしたのは、きっと気のせいじゃない。
それだけで、この選択が間違えでもなんでもいいと思えた。
吐き出す言葉は、止まらなかった。
『俺さ、ずっと寂しかったんだよ』
口から出る言葉は、選んだものではなかった。それはせき止められていたものが、一つ一つ溢れてきたかのようだった。
『中学、最後までちゃんと通えなかったこと、すごい後悔してる。何か違う道があったんじゃないかって思う。周りが怖くて引きこもってしまったこともすっごい未練なんだ』
俺が1年間の引きこもりを経て、高校入学が叶ったのはこの未練があったからかもしれない。
今度こそは、その思いがあったから勉強も頑張れた。
だけどやっぱり、1番の理由は。
『独りで生きていかなきゃって、ずっと思ってた』
「お兄ちゃん」
頼れる人がいなかった。友達も失い、家族にも信頼されず、母さんへの発覚を恐れておじいちゃんにも頼らなかった。
『友達もいなくて、信じてくれる人も信じられる人もいなくて、なんというか真っ暗だったよ』
これはただの愚痴だ。別に苦しみをわかって欲しくて言ってるわけじゃない。
ただ人にぶつけているだけ。だけどきっと、無意味じゃない。
あの日母さんにぶつけた言葉が、何も意味のないことだったとは思えない。いや、意味のある言葉だったと、今なら思える。
相手を想うだけが、正しいことじゃないと教えてもらった。
『いっぱい辛いことがあった。高校生活だってうまくいかないことばっかで、今だって問題が山積みで大変なのに、それでも、それでもやっぱり……!』
根底は変わらない。俺の根っこにあるのは、この一つの事実だ。
『母さんに信じてもらえなかったのが、俺にとって一番辛かった』
気づけば俺は泣いていた。その声は、絞り出すように発せられていた。
学校のことなんて、それこそ園田に裏切られたことだって小さなことだ。
何よりも家族に信じてもらえなかったのが辛かった。
『どうしてだよ!俺だって辛かったよ!父さんが死んで、それでも頑張らなきゃって思ったんだよ!それなのに、ずっと幸のことばっかりだ!』
一度溢れたものは、簡単には止まらない。
『本当はサッカーを続けていたかった。ゲームだってしたかった。漫画だって読みたかった。遊びにだって連れて行って欲しかった!でも、全部それは俺じゃない!全部幸のものだった!』
「お兄ちゃん……」
泣いている俺の、そんな姿を見てか幸まで泣いてしまっていた。近くに寄ってやると、抱きつく形で無言で俺の胸に頭を押し付けてくる。
その頭を優しく撫でてやる。別に幸を責めているわけじゃないことは、幸もちゃんとわかっている。
それでもきっと幸は、自分にも責任があると感じているのだろう。
『だったら、やっぱり一緒に暮らさないか?修也は大学、幸は高校とこれからも大事な時期じゃないか』
確かにおじいちゃんの言う通りだ。特に幸は高校受験を控えている。家族問題はないに越したことはない。
だけど、俺の答えは決まってる。
これは幸の、いや、ここまできて他に理由を求めるのはやめよう。
これは俺がしたいことだ。ちゃんと本音で話そう。
『ごめん。それはできないや』
『どうしてだ?』
そりゃ、疑問に思うだろう。
ここまで不満を、苦しみをぶつけたんだ。そこからの解放を望むと思ったのだろう。
『変わりたいから』
『変わりたいから?』
そうだ。俺は変えたいんだ。今のこの家族関係を。
そしてそう思ってるのは、俺と幸だけじゃない。
そうだ。それだけで十分じゃないか。
『今さ、母さんと喧嘩中なんだよ』
ぎゅっと、幸が背中にまわしている腕に力が入る。
でもそれは緊張からくるものではなく、どこか安堵からくるものだと俺にはわかった。
『ちゃんと母さんは俺と向き合ってる。そりゃ方法は色々問題があるのかもしれないけど、それでも俺は向き合ってると思えてる。だから、それから逃げたくない。だから俺と幸の二人でお世話になる気はないです。ごめんなさい』
幸の考えは実際に聞いてはいないけど、きっと同じだろう。胸に感じる暖かさを答えとさせてもらおう。
『そうか。わかった。でも何かあったらすぐに言いなさい。いいか?』
『うん。ありがとう。あー、早速なんだけどいい?まだ俺の中で考えてるだけで、色々問題ばっかなことなんだけど』
『当たり前だ。なんだ?』
『あー、メールする。幸にも相談してからがいいから』
流石に俺の一存で決められることじゃないからな。
『わかった。じゃあ、またな』
『ん、ありがとね。お休みなさい』
そうしておじいちゃんとの通話が終わった。
「幸?落ち着いたか?」
「もうちょっと」
やはり泣き顔を見られるのは少し恥ずかしいのか、幸は俺を離さずそのままだった。まぁお兄ちゃんとしては、甘えられるのは悪くないしな。
「ん、もうだいじょぶ。で、話って?」
「あぁ、そのことなんだけどな」
そうして俺はゆっくりと話し始めた。
これから俺はきっと、幸を驚かせることになるだろう。
願わくば、反対されないことを願うばかりだ。
ということで、ここまでが6章ということで。章題は「本音」で。
修也の方向性が大体決まった章となりました。
本格的にあの子も参戦ですね。作者の精神安定剤。
章分けしてる理由は、作者が書きやすいからです。基準はまぁ色々です。
ということでこれからもどうぞよろしくです。
評価等々よろしくです!