これも一つの選択
「先輩、そこに正座してください早く」
「いや、その前に説明させてほs「いいから早く!」は、はい!」
もう先輩としての威厳など微塵もなかった。今まさに、バイト先の後輩によるお説教が始まろうとしていた。
や、まぁ予想はできていたけれども。
「別にですね?余計な口出しはしないほうがいいかもですけどね?それでもそんな重要なこと、少しぐらい相談してくれたっていいじゃないですか」
「それは、ごめんな」
といっても相談する時間がなかったのも事実。決断してからは早かったからな。
「で?いつまで実家のほうへ?その、もう帰ってこないんですか?」
「や、一応帰ってくるつもりはあるよ」
「そ、そうですか。それはよかったですけど」
ホッと安堵したような表情を見せる榊原。
「まぁ俺にとっていいきっかけだったんだよ。その、家庭の事情的な?」
「別にいいって言ってるじゃないですか。私はその、黙ってどっか行ってほしくないだけです」
いや、まだどこにも行っていないんだけど。ちょっと心配しすぎでは?それを口に出すのがまずいのは俺でもわかるので、決して口にはしないが。
「福村先輩は知ってるんですか?」
「ああ、今日は学校を休んだから電話でだったけどな」
今日は週末、金曜日。学校休んでバイト出る。まぁ仕方ないね。
「ふーん。私は後ですか、そーですか」
「や、待て待てそういうつもりじゃないって。榊原はバイトで会えるだろ?だから後になっちゃっただけだって」
「別に気にしてないですよー」
それは気にしている人間のセリフなんだよな。
「それで、結局本当にいいんですか?」
「ああ、もう決めたことだしな。それになんなら今日すでに実行してるしな」
彼女の問いは、今回俺が決めたことに関する確認。
「俺はしばらく学校には行かないよ」
一大決心。不登校宣言である。
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たまに聞くあれが嫌いだ。
勇気を出してみようだとか、被害者側の精神にも問題があるとか。
そんなわけあるか。いつだっていじめはいじめる側が悪いに決まってる。
その結果不登校になった人がいて、なぜその人が責められなければいけないのか。
どう考えても悪くない。そういうことを言えるのは、基本的に被害者になったことのない人間だけだ。
むしろ特権だ。逃げることの何が悪い。いや、逃げるという言葉で表現するべきではないんだ。
一つの選択だ。距離を置く。時間を空ける。それが解決してくれることだって、それでしか解決できないことだってあるのだから。
まぁ俺の場合は事態を解決させようなんて微塵も思っていないので、少しばかりその意味合いは変わってくるけれど。
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おそらく私は、先輩にかける言葉を間違えたのだと思う。
私は先輩に素直になってもらいたかった。わがままを言ってもいいんだと。我慢する必要なんてこれっぽっちもないんだよって。
その想い自体は先輩に伝わったと思う。
だけどその矛先は、すべて家族へと向かって行ってしまったようだ。
いや、それ自体は全く問題ないのだ。先輩が抱えている家庭問題。先輩の話ぶりからして、良い方向に家事を向けることができたようだから。
だけどその反面、学校の事情に関しては完全に興味を失ってしまったようである。
これは危険なことだと思った。後々先輩の心に深い傷として、再起不能な痛みを刻んでしまうのではないかって。
先輩の不登校作戦は、一定の効果があるとは思う。
誰だって、先輩が体調不良でないことに気づくだろう。となれば、その理由に関する矛先は誰に向くか。当然先輩を貶めようとしているクズどもだ。
そんなところに、先輩がいじめなんかしていない証拠が出てきたらどうなるか。クズ共の足場が崩れ去っていくのは想像に難くない。
私だったらそのカードを迷いなく切る。絶対に。
だけど先輩は、その状況を脅しとして、きっと実行には移す気がないのだろう。
引き金を引く勇気がないのではない。引く必要がないと本気で思っている。
「はぁ……何で好きになっちゃったかなぁ」
理由なんてわかっている。先輩、良い人だから。
これが惚れた弱みという奴だろう。結末がどうなるかなんて予想もつかない。
だから私は、その渦中から離れないようにしよう。
先輩が傷ついたとき、それを癒してあげる。それが先輩に近い私たちの、すべきことだと思うから。
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それが異変であることに気づいたのは、私だけではなかった。
彼、喜多見修也が学校に来なくなって3日がたった。
だけどそれは私が彼の事情を知ってるからこその日数で、詳細を知らない人にとっては、彼は最近かなり休みがちで、体感的にはもっと登校していないように感じるだろう。
彼が正式に、と言うとどこか違和感があるが、ともかく不登校になってからの短い期間で、気づく人は気づいているのだ。
彼が決して体調不良ではないということが。
あるいは体調不良であっても、それが何かに起因するものであることに、薄々察しがついているのである。
彼のことが、話題に出されることはなかった。少なくとも私の周りでは。
私が彼と接点があったことは周知の事実だ。その上で巻き込まれることを恐れているのだろう。
下手をすれば、加害者になる。無関係の人からすれば触れるだけでも危険なのだ。
そして何より、これがもし彼に対してのいじめだった場合、その主犯は明らかだ。篠原と白河である。
この二人はいわゆるカースト上位だ。仮に噂話でも、それが漏れて標的が自分に、なんて想像するだけで最悪だ。触らぬ神にというやつだ。
そういった雰囲気を、きっと白河たちは読み取っている。そして動きづらいはずだ。今までのように噂を安易に流せない。なぜなら白河は知ってしまったから。そしてきっと篠原も話は聞いているだろうから。
そして本来ならば、このまま終わるはずなのだ。時間によって噂は風化していき、自然消滅。見かけは何事もなく元通り。
きっと喜多見の、彼の狙い通りなのだろう。
彼は変わった。言い換えれば変わってしまった。
あの子の、榊原汐音の言葉によって。
そのことに彼自身は気づいているのだろうか。
その変化が良いものなのかが、私にはわからなかった。
もちろん彼の家族との関係において、その変化は間違いなく喜ばしいものだ。
疎遠になっていた家族と、本音で語れたらそれはどれだけ素敵なことだろうか。
だけど、それ以外の人間にとって、本音とは凶器である。
むき出しの言葉は、人の心に強く響く。
時に優しく、時に厳しく。
そしてそれは、ほとんどの場合が自分に返ってくる。
彼はその覚悟をした。その覚悟が、こと学校という舞台でいい影響を及ぼすかが、私には測ることができない。
カウントダウンは、始まっていた。
このとき、私は不安で仕方がなかったのだ。
だから思ってしまったのだ。
最後まで自分だけは味方でいてあげよう、と。
振り返れば、これが決定的だったのだろう。
この時私はーーーー
私は願ってしまったのである。




