絶対
「ねぇ、ちょっと待ちなさいよ。喜多見君?」
放課後、正門を出て自転車に跨ったところで俺は呼び止められた。
明らかな怒気を含んだその声の主は、福村だ。
「私が何言いたいか、わかるよね?」
そう言って、福村はにこりと微笑む。あぁ、これはかなり怒ってらっしゃる。
当然心当たりもあるわけで、というかきっと怒るだろうと思っていたわけで、俺は諦めてお縄についた。
「で、何か弁明はあるんでしょうね」
隣を歩く福村はそんなことを聞いてくる。
きっと俺が朝、誤解を解くことをしなかったことを知っているのだろう。
「正直言うとさ、俺の立場を回復させるのってもう無理だと思うんだよね」
「それは」
ここで「そんなことない」って言わないあたり、その部分を楽観視していないようだ。
「結局誤解が解けたって腫れ物扱いだよ。だったら、そこにこだわる必要なんてない」
「でも、それって辛くない?私だったら耐えられない」
悲しそうな顔で、彼女は続ける。
「ずっと誤解されたままで、ずっと悪者扱いで。誰にも信じてもらえないなんて、そんなの辛くないの?少なくとも私は、そんな状況はほっときたくないな」
「辛くないよ」
そんな福村の言葉に、自信ありげにそう答える。嘘じゃない。強がりでもない。
だって誰にも、ってわけじゃないから。辛くないのは、目の前の君のおかげだから。
なんて恥ずかしくて、口には出さないけど。
「そんなの嘘よ」
まぁ、そう思うかもな。だから安心させるためにも、少しだけ。
「別にずっとってわけじゃない」
「え?」
「俺も言われっぱなしじゃないってこと。まぁ、なんとかしてみせるからさ。だから」
待っててくれ。
そう言って俺は、何度目かの選択を強いる。そう言えば、相手が困ることを分かっていながら。選択肢が、一個しかないことを理解しながら。
「ずるい」
「あぁ、ずるいかもな」
そう言えば、彼女は待つしかなくなる。そんな卑怯な提案だ。
だけど本当に策はある。きっとそれは「最適解」ではないんだろうけど、きっと正解ではないし、彼女は絶対に反対するんだろうけど。
だけど今は、それでもいいと思える自分がいる。
だから、これはそのための布石だ。
「あのさ、本当は後で連絡しようと思ってたんだけど、ちょうどいいから聞く。板倉の連絡先、教えてくれない?」
彼女はさほど驚きはしなかった。まぁ、聞かれるかもしれない程度には思っていたのだろう。
「会うの?」
「うん。直接話したいこともあってね」
なにせ、板倉については不可解なことが多いもので。
「私も行っていい?」
「もちろん。てか、こっちからお願いするつもりだったよ」
二人だとなんか会話が成り立たない気がする。お互い冷静でいられないだろうから。主に向こう側だけど。
「わかった。じゃあ私から予定取り付けようか?」
「助かる。こっちからメールはあんまりしたくなかったから」
きっと福村の言葉なら無視されない。俺だとスルーされる恐れもあるしな。
「じゃあ、電話するね」
「はやっ。いや、助かるけども」
行動力の権化だな。いや、そういうところに何度も助けられてるんだけども
少し離れて、板倉と話をする福村。少ししてこちらに寄ってきてこう聞いてきた。
「今日大丈夫?」
「いいのか?早ければ早いほど俺は助かるんだけど。バイト終わりでいいか?」
「ん、それで大丈夫だって」
そこまでは期待してなかったが、これは助かる。
できるだけ早く確認するべきことがあったから。
「じゃあ、また後でね」
電話を切った福村は、俺とは違う方向、駅へと向かって歩き出す。
俺はその背中に声をかける。
「ありがとな」
「ん、どういたしまして」
夕日を受けて、そうはにかむ彼女。その表情に、一瞬影が刺したように見えたのは気のせいだっただろうか。
ーーーー
時計の針が8時を回ったところで、今日の営業は終了となった。後片付けを済ませて、俺は店を出た。
二人との待ち合わせ場所は、近くのファミレスだ。何度も店にお世話になるわけにもいかないから、場所を変えたのだ。
「ちょっと待ってください、先輩!」
「ん、どうした?何かあったか?」
そんな俺の手を掴み、引き止めたのは榊原だ。さっき挨拶はしたんだが、どうかしたのだろうか。
「もしかして、この後あの人と会うんですか?」
「え、どうしてそれを?」
予想外の言葉に、つい呆然としてしまう。隠していたわけでもないが、この後の予定は話していなかったからだ。
「だってなんか、おかしかったですもん。どこか上の空っていうか、集中しきれてないっていうか」
「それは、そうかもしれなかったな」
否定できなかった。確かに俺は、この後のことで頭がいっぱいだったかもしれない。
「そうだよ。ちょっと話をな」
「そうなんですか」
俺が肯定すると、榊原はどこか悲しそうな、そんな表情を浮かべた。
あ、そう言うことか。
その原因には、すぐに辿り着くことができた。
「勘違いすんなよ?別に榊原がいるから場所を変えたりしたわけじゃないぞ。そう何度も店を借りるわけにいかなかっただけだから」
「え、あー、そういう、いや、そうなんですけど。それだけじゃないって言うか、んー。鈍いのか鋭いのか」
あれ、何か微妙な反応。てっきり俺が、榊原をいるところを避けたと勘違いしたと思ったのだ、違うのか?
「わーごめんなさい!別に困らせたいわけじゃないんです!なんというか、えーと、その」
なんとか、と言った様子で彼女は、続く言葉を放った。
「わ、私も行っていいですか?」
恐る恐る、彼女はそう言った。
「それは、えっと」
俺は返事に困った。正直連れて行くという選択肢はなかったはずなのだが、いざ断ろうとしたら言葉が出てこなかったのだ。
それは多分、彼女の優しさに傷をつけることだから。それはかつての自分を、否定することだから。
彼女もまた、自分に踏み込んでくれる人の一人だ。
特に彼女は、この一件に全くの無関係。それなのに俺を案じて、気にかけてくれる。
踏み込ませてしまうのを愚策と思いながらも、前回彼女が話を聞くのを容認してたのは、結局その優しさに俺が甘えた結果だ。
前を向くと決意したって、やっぱり迷ってしまう。
その甘えを受け入れるか、切り捨てるか。俺の根底に根付く弱さは、未だなお健在だった。
沈黙が流れる。いや、流れてしまう。もちろん原因は俺なんだが、それを破ったのは榊原だった。
「ごめんなさい。さっきのやっぱ無しで」
「あっ……」
最低なことに、気を使わせてしまった。断るにしても、最悪なパターンだ。
何か繕う言葉を探したが、あいにく気の利いた言葉を言えるほど、俺の語彙力は豊富ではなかった。
ーーーーのだが、
「やっぱり、絶対ついていきますので。あの3人で会話とか正直、うまくいく気がしないです。だから、だから私が助けてあげますね?」
ニカッとはにかむ彼女は、俺なんかよりずっとずっと強い子だった。
そしてまた、俺は気づく。またしても、言われて気づく。
俺はこの言葉が欲しかったんだと。
卑怯だと思う。相手が望む言葉を言ってくれるのを待つなんて。
なんだかんだと言いながら、結局は踏み込んでもらいたいんだ、俺は。
それが俺にとって、信頼の証明になるから。
人を信じるのは、正直言ってまだ怖い。
あの裏切られた日からずっと、俺は変わらずにいる。
確たる証拠がないと、俺は人を信じられない。
自分でも気持ちが悪いと思う。
人に向けられた信頼を、信じないで拒絶するくせに、その実踏み込んでもらうことを心のどこかで望んでいる。
信じないくせに、信じて欲しいだなんて、全くもって傲慢と言うほかないだろう。
「そうだな。よろしく頼むよ」
俺の言葉に、ホッとしたような表情を浮かべる榊原。
いつのまにか、欲張りになったと思う。何もいらないと諦めていたはずなのに、今では欲しいものがたくさんだ。
だから間違えてはいけない。
捨てていいもの。捨ててはいけないもの。
選んだ以上、その行動には責任が伴う。だから中途半端じゃダメだ。
その優しさに報いるためにも、俺は前を向こう。
待ち受ける困難も、なんだか簡単に超えられる気がしてきた。