小さな宣言
無愛想な人だな。
私の先輩に対する第一印象である。
高校生になる直前、春休みに私はバイトを始めた。
場所は近所のカフェで、前から何度か客として訪れたことがあって、その落ち着いた雰囲気というか、お洒落な雰囲気というか、ともかく働くならここだと決めていた。
従業員も多くないみたいだし客がとても多い訳じゃないので、楽そうだと思ったこともある。髪色の指定とかもないので、明るい色に染めてた私にとってかなり都合が良かった。
私は無事面接を突破。アルバイトが始まった。
「新しくバイトに入った榊原です!よろしくお願いします!」
「喜多見です。よろしくお願いします」
私たちのファーストコンタクトがこれ。テンション差が半端なかった。
まるで面倒ごとが舞い込んできたかのような表情で、教育係に任命された先輩は私を出迎えた。
まぁ、実際教育係に任命されて面倒だったのだろう。
(でも、何か親近感湧くなー)
そう、無愛想と思いながらも私は親近感を覚えていた。
具体的には、中学の頃の自分を見ているようだった。
そう、高校デビューである。私はそれに成功していた。
もともと陰で、いわゆる地味子なんて呼ばれてた私は、その状況を脱却すべく高校デビューに挑戦。
無理した訳じゃない。もともと少し派手な格好とか、明るい髪色とか、そういうのに憧れがあった。
別に自分を偽ってるとかそういう話じゃないのであしからず。
むしろ自信がついて自然体でいれる点で言えば、今の私が本当の私なんだと、自信を持って言える。
そんな経緯があるからだろうか、彼がとても窮屈な生き方をしていると思ったのは。
前提として、先輩は優しい。それもかなり底抜けに、だ。
しかし先輩が私と距離をとっているのは明らかだった。
挨拶等の最低限の会話しかしてくれないし、仮に話しかけてもそっけない返事しか返ってこない。それも、作り笑いで。
作り笑いをしているのはバレバレだった。
でもきっと、先輩もそれはわかっていたと思う。
そもそも仲良くなる気がないから、取り繕っていることを取り繕わない。
そしてそれは、身に覚えがある感覚だった。
私にどう思われてもどうでもいいと、先輩はきっとそう思っている。
そんな先輩だけど、私はどうしても嫌いになれなかった。
親近感が湧いたからではない。
理由は簡単。だって先輩、良い人だから。
まず気遣いの仕方がすごい。
なんて言うか、すごい気にかけてくれるのだ。
私のミスにはすぐ気づく。そしてすぐカバーしてくれる。
だけど先輩は何も言わない。だからそれに気づくのはいつも後になってからだった。
気づいたタイミングでお礼は言うのだが、やはりそっけない返事が返ってくる。
だんだん無愛想という印象は、不器用って印象に変わっていった。
そして私にとって決定的となる、ある出来事が起きる。
私は大きな失敗をしてしまった。
注文されたコーヒーを、つまづいて客にぶちまけてしまったのだ。
今までにない大きなミスに、頭が真っ白になった。
客が何か私に言っている。わかってる。怒ってるのだ。
謝らなきゃ。なんて言う?その前にコーヒーの代わりを。違う。まずは拭かなきゃ。
「何ぼーっとしてんだ!どうしてくれるんだ、この服高いんだぞ!」
落ち着きを取り戻せそうなところで、荒い口調で捲し立てられ、さらに混乱した。
私は何もできずに立ち尽くしてしまった。
「何無視してんだ!このっ!」
「ひっ!」
男は私に痺れを切らしたのか、テーブルに出されていた水をグラスごと私に投げてきた。
私は驚きのあまり腰を抜かしてしまう。
ゴッ、と言う音を響かせた後、グラスが地面を転がった。
「っ痛ーー」
「うそ……先輩!?」
グラスが私に当たることはなかった。
先輩が私と男の間に割り込んで、私を庇ってくれたからだ。
「なんだおま……」
「警察、呼んだんで」
男が文句を言うのを遮るように、先輩はそう言った。
私は先輩が怒っているように見えた。初めて見る表情だった。
「なっ!?お、俺は被害者だぞ?客に向かって何様だ!!」
先輩の言葉に、少し狼狽を見せながらも、男は引かなかった。
「関係ないですよ。もうあんた加害者だ。監視カメラもあるし、諦めろ」
「く、くそっ!こんな店二度と来ないからな!!」
男は逃げるように店から出て行った。
「せ、先輩……ありがとうございます」
いまだはっきりしない思考で、何とかお礼の言葉を捻り出した。私は未だ腰を抜かしたままだった。
「大丈夫か……あー、大丈夫だよな」
「あ……はい。大丈夫です」
先輩はこちらに手を伸ばそうとして、やめた。その表情は、やはり私が見たことないもので、さっきとは打って変わって、悲しそうな表情に見えた。
その手をいつか握りたいと思ったのを、きっと先輩は知らない。
その後、店長が警察に通報して色々処理をしてくれた。
私がしたのはあくまでミスで、それは極論お金で解決できた。弁償という形で。
しかし向こうは明らかに故意。非は向こうにあるとされた。
本当はもっと複雑で難しい話なんだろうけど、先輩はそれしか言わなかった。気を遣われていた。私は守られてばかりだった。
優しくて、だけど不器用な、そんな先輩のことをいつしか私は慕っていた。
そして最近の先輩の異変にも、私は薄々気づいていた。
何か悩んでいるような、そんな様子が1ヶ月ぐらい続いたのだ。
そして、先輩はバイトに来なくなってしまった。
店長が言うには、今はお休みをとっているとのことと、その期限は決まっていないことを教えてもらった。
声をかけるべきだったのかもしれないと、後悔した。悩んでいるのには薄々気づいていたのだから、何か出来たんじゃないかって思った。
でもそれは、ある日突然払拭される。
店長の言葉による誤解が発覚。先輩はバイトに復帰した。
先輩と自然に話せた気がしたのは、これが初めてだった。勝手な印象だが、何か憑き物が落ちたようなそんな気がした。
何かあったのだろう。
その事実に私は、少し悔しいなって思った。
私のいないところで何があったのか、純粋に知りたかった。
福村さんと先輩の関係も気になる。気になることばかりだ。
彼女との関係性はわからない。だけど、きっと先輩にとってただの一クラスメイトではないんだろうと、それだけはわかった。
先輩というよりも、彼女のその態度からそれは感じ取れた。
そして同時に、彼の深いところにいる彼女を羨ましく思った。
これは焦燥感だろうか。私は焦っているのだろうか。
嫉妬という感情を抱いているのは間違いない。
せっかく連絡先だって手に入れたのだ。
もっと欲張りになっても良いだろうか。
そんなことを考えちゃう自分に、私は少し笑ってしまう。
「ちょっとだけ、がんばろ……うん!」
小さな宣言が、誰に知られることもなく呟かれた。