子供
「それじゃ、行こっ」
土曜日の昼、俺と幸は駅で母さんと合流した。
久しぶりに見た母さんは、どこか痩せたような気がした。
いや、気のせいではないだろう。どちらかと言えば、やつれたって言い方が正しいかもしれない。
気まずい空気が流れていたが、幸が真ん中に入ることで、なんとか間を持たせている状態だった。
やがて到着したのは、落ち着いた雰囲気の飲食店だった。
席についた俺たちに、メニューとお冷が運ばれる。
それでやっと、落ち着いて話せる場が整った。
「これとか、美味しそうじゃない?修也、こういうの好きだったわよね?」
メニューを見ながら、母さんは俺に料理を勧めてきた。
確かに言う通りで、俺の好みだった。勧められるままに、俺はその料理を注文した。
それ以降、しばらく無言が続いた。
そんな状況でも、幸は何も言わずにじっと何かを待っているようだった。まるで時が止まっているかのような、そんな空気。
まぁ、だいたい想像はついているんだけど。
「修也、ごめんなさい」
そんな母さんの一言で、止まった時間は動き出した。
運ばれてきた料理を、半分ほど食べ終えたぐらいのタイミングだった。
「……何が?」
俺のそんな言葉に、母さんは少したじろいだ。
自分が想像していたよりも、少し冷たい声色が出てしまった。
「ずっと修也に冷たくしてしまったこと。今まで放っといてしまったこと。他にもたくさん。そして何よりも、あの時信じてあげられなかったこと。本当に、ごめんなさい」
そう言って母さんは、頭を下げた。
電話越しの時よりさらに、母さんの声は震えていた。俯いてるため表情は見えないが、テーブルに落ちた水滴が、その心情を俺に伝えてくる。
「俺は」
どうすればいい?言葉を紡ごうとするが、何を言えばいいのかがわからない。
望んでいたはずだ。こうなることをずっと。
母さんが信じてくれる日を、心のどこかで待ち望んでいたはずだ。
諦めかけながらも、こんな日が来るんじゃないかって、そう思っていたはずだ。
だから幸が家に来た時だって、今日母さんが誘ってきたことだって、心のどこかで喜んでいる俺がいたはずだ。
なのに、どうして。
どうして納得できない?
そんなのは、わかりきっている。
「どうして、今なんだよ」
「……え?」
俺の言葉に母さんは顔をあげて、その言葉の意味を探った。
しかし答えは出なかったようで、俺の言葉の続きを待った。
待って、しまった。
「あっ!ち、違うよお兄ちゃん!だから、お願い待って!」
幸はその言葉の真意がわかったようで、俺の言葉を遮ろうとする。
だけど、もう止められなかった。
「なんで、なんで今なんだよ!結局そんなの、間違いだったからだろ!!」
「っ!」
「幸と何を話したのかなんて知らない。だけどさ、俺がいじめなんかしてなかったって、そうわかったから謝ってるだけだろ!そうじゃなかったら、こんな日は来なかった!!違うのかよ!!??」
「お兄ちゃん!それは違う!!だから」
「うるさい!幸は黙ってろ!」
「っあ、お兄、ちゃん……」
涙を堪える幸を尻目に、俺は全てをぶつけた。
「理由がなきゃ、母さんはそうしなかったじゃないか!!なのに、そんなの受け入れられるか!俺がどんな思いで過ごしてきたかわかる!?わからないだろ!!」
俺の言葉に、母さんは何も言えないようだった。
図星なのか、それとも的外れなのか。俺にはわからない。
だけど、自制はすでに利かなかった。
「幸が褒められるのを見て、幸が遊びに連れていってもらえるのを見て、俺がどう思ったか!」
「昔はそうじゃなかったのに、俺にだけ変わった母さんを見て、どんだけ辛かったと思ってるんだよ!それを、今更謝られたって、俺は、なんだよ!俺にどうしろっていうんだよ!!」
こんなつもりじゃ、なかったんだけどな。
俺は母さんを許すつもりだった。幸が作ってくれた機会だ。元に戻るチャンスだって思ってたのに。
本人を前にして、溜まりに溜まったものが、心に押し留めていたものが、溢れた。
それは、涙となって、叫びとなって、目の前の人にぶつけられた。
こうなってしまったのは、やはり俺が子供だからだろうか。
俺が、間違っているのだろうか。
遠ざけられているつもりで、遠ざけているのは俺なんじゃないのか?
だけど、放った言葉は取り消せない。
自分の過去は、誰よりも自分が無かったことにできないんだ。
人は赦される生き物だ。自分じゃ自分を許せない。
他者によって許されない限り、罪を償うことはできない。
「ごめん、帰る」
2人を置いて、俺は店を出た。
成長できたと思ってた。親元を離れ、自立できたと思ってた。
だけど、それは間違いだったらしい。
だって今、こんなに後悔してる。
「帰るか」
一人と独り。
他者を遠ざけた俺は、一体どちらなのだろうか。