第1夜 隼人
―よし。このぐらいにするか。
書いていた日記を閉じる。
今日は、やけに体が重たい。まだ、時計の針は12時を超えていないが、寝るにはちょうどいい時間だろう。
さっきまで筆を進めていた手帳を机の引き出しに仕舞い、寝台に向かう。
寝台に仰向けに転がり、目を閉じる。体の力を徐々に抜いていく。
ゆっくりと眠りの世界に落ちていく感覚があった。今日は久しぶりにぐっすり眠れる気がする。
―起きろ。おい、いつまで寝てるんだ。
―誰だい?
―いつまで寝ぼけるつもりだよ、早く起きろ。
開いた目を、声のする方向に向ける。暗くて見えにくいが、誰かか立っているのがわかる。
寝台の横で立っている人が誰だかわかったとき、僕は飛び起きた。
―どうして君がここにいるんだい?
―俺がどこにいようと俺の勝手だろ?
それもそうか。僕は、まだ寝ぼけているのかもな。寝ぼけているから変な考えをしてしまう。
こいつがどこにいようとこいつの勝手なのだ。そういうものなのだ。
そういえば息が苦しいな。布団に顔を埋めたときのような感覚。鼻が詰まったときのような感覚。息を吸えないわけではないのだが、いくら力強く吸っても空気が入ってこなくて苦しい。
それに対して、体はいつになく軽く感じる。本当にぐっすり寝れたんだろうな。
―ところで、何の用だい?
―お前に忠告に来た。ここに来たときは、長居しちゃだめだからな。
―なんのことだい?
―それは、いずれわかることさ。
―それよりも息が苦しい。
―ああ、言ってなかったな。ここにでは、息の吸い方が違うんだよ。こう、体に暖かい気持ちを溜める感覚で息を吸ってみなよ。
何をそんな馬鹿げたことを言っているんだと思ったが、本当に苦しくなっていたので、その通りに息を吸ってみる。
体に暖かい気持ちを満たす感覚を思い浮かべながら息を吸って、吐いてみる。
すると、さっきまでの息苦しさが嘘だったかのように息が吸える。
僕の体に入る空気は、僕の体の暖かい気持ちを満たした部分に触れて、外に出ていく。
いつになく、心が温まった。不思議なものだ。
―どうだ、できただろ?
―うん、助かったよ。
―お前、こんな部屋で暮らしているのか?
僕が寝起きしている部屋を感慨深げに見まわしていると思ったら、こいつはそんなことを平然と言う。
少し、苛立ちを感じる。僕が何処で寝て起きようが僕の勝手じゃないか。
―そうだけど。何か?
声が剣呑になった。それを知ってか知らずか、こいつは平然とした顔だ。
―俺には合わない部屋だ。
―そうだね。だってここは僕の部屋だもの。
―いいだろう。では、少し遊ばないか?
―何をするんだい?
―花札はどうだ?
―懐かしいな。でも、生憎もう捨ててしまった。君がいなくなって一緒にしてくれる人がいなくなったからな。
―あそこにあるじゃないか。
そう、指さされたのは、昔、花札の札を片付けていた場所だ。
あるわけがないと思いつつもそこに行くと、昔から使っていた札が置いてある。不思議なこともあるものだ。
―やろうぜ。
―うん。
黙々と花札を引く。僕らがやるのは、こいこいだ。
こんなことをしていると、昔のあの日々に戻った感覚になる。
一言に昔と言っても、他の人からしたら、そこまで前の出来事ではないのかもしれない。
だが僕には、昔と言うに相応しい日々だ。
ちょうど今、僕の体を満たしている暖かい気持ちのような日々。
なんとなく、感謝を伝えたくなった。
―ありがとう。
―なぜ?
なぜと聞かれても、言いたくなったのだから、しようがない。
何も言えず、無言でいると、いつのまにか花札で僕は負けていた。
―もう、行かなきゃだな。
―また、来てくれるかい?
―気が向いたらな。じゃあ。
―じゃあ。
朝の陽光で目が覚める。
もう朝か。夜は一瞬で過ぎてしまう。
僕は、本当に寝ぼけていたようだ。
―へえ、不思議なことも起こるもんだね
―そうだろ?
―だって、死んだ友達が会いに来るなんて。すごいや。でも、それは、夢じゃないのか?
―僕にもわからない。でも、また会える気がする。
あれは、夢だったかもしれないけど。それでも、僕には夢に感じられなかった。
ちゃんと、また会いに来てくれるはずだ。
あいつは、一度も約束を破ったことがない。最後の約束を除いて。
―お前も馬鹿だな。
―知ってる。
―元気だったんだよな?隼人。
―うん。元気だった。
―俺の夢にも出てきてくれないかな?挨拶だけでも。
―少なくとも、夢だと思ってる間は会えないと思うよ?
―そんなもん?
―僕は、そう思う。
―違いねえ。
楽しくなって二人で笑い合う。今も、まだあの温かい気持ちを感じる。
こんな日々が続けばいいのに。
ふと、横で隼人が僕らと一緒に笑っているような気がした。