第9話:託された願い
『妾は一体……』
メイルは暗い空間の中でぼんやりと意識を取り戻す。
『ああ……そうじゃった。妾は身体を失ったのであったな』
徐々に意識を取り戻すにつれて自らの記憶も戻りつつあった。
『外の世界は一体どうなっておるのじゃろうか?』
彼女は無性に外の世界のことが気になっていたが、この薄暗い空間の中では何も知ることができなかった。
『何か良い方法はないものか……』
魔石の外側の世界の情報を得るための手段について思考を張り巡らせた。
『そうじゃ、あの方法であれば……グラスト・パラセクターっ』
魔石に触れているエルフレッドの身体から微かな魔力を吸い上げるとメイルは彼と感覚を共有する魔法を唱えた。
そうすることで彼の視覚や聴覚によって外の世界の情報を知ることができるようになった。
ただし、あくまで一方的に感覚を共有するだけなので直接的に彼の意識に語りかけたり、身体を動かしたりすることはできない。
魂だけの存在となってしまった今の彼女には外部の世界と干渉する術がほとんど存在しなかった。できても、彼の無意識下の世界で彼と会話をするくらいのことであった。
『ふむっ……エルフレッドは予定通りにバレンシアに向かったようじゃな……』
彼の視界から見えるバレンシアの街並みを確認した。
…
…
…
「さて、どうしたものか……」
メイルから最果ての地を目指すように言われたエルフレッドであったが、最果ての地に向かうためにはいくつもの大陸を経由しなければならなかった。
彼女の移動手段の場合、雷魔法を使って直接的に海底を歩いてやって来れたため、海流や渦潮など全く気にする必要がない。
だが、一般の人間の場合であれば、海上に存在する幾つもの障害を回避しながら航らなければならないため、簡単には辿り着けなかった。
飛行機を使えば海を越えることは簡単であるが、その費用は航路の何倍も掛かる。そのうえ、最果ての地にはメイルが霧の結界魔法を張っていたため、着陸するのが、とても困難であった。
『全く……人間というものはほんに脆弱な存在であるな』
最果ての地へ行く方法を探すエルフレッドを見ながら人間の不便さについて改めて認識するメイルであった。
「とりあえず、まずは隣の大陸に向かう船を探すとしよう」
最果ての地に直接行ける船がない以上、別の大陸を経由して向かうしかなかった。だが、それには1つ問題があった。
その問題とは……お金である。エルフレッドはここまでの道すがら王より与えられた路銀は尽きかけていた。そのため、船に乗るどころか、今日の宿代すら危うい状況であった。
「困ったな……何とかしなければ」
彼がお金を稼ぐには2つの方法がある。
その方法とは商人ギルドに行って運搬の護衛の仕事を受けるか、もう1つは闘技場に行って試合に参加して稼ぐかである。
商人といえども全員が奴隷商人のように野盗と繋がっているわけでなく中にはそれらの者に商品を奪われて泣き寝入りする商人もいた。そういった商人のために商人ギルドでは護衛をしてくれる冒険者を常に募集していた。
闘技場の方は街の権力者が冒険者や旅人、刺激を求める住民からお金を集めるための娯楽として発展したもので週に1度参加者を募って開かれている。
基本的に参加すれば、参加料が支払われるため、応募者は尽きなかった。ただし、参加した際に負傷した怪我については何も補償されない。つまり、実力がなく命を落としたとしても、それは全て自己責任なのだ。
「商人ギルドに行くとするか……」
エルフレッドは商人の護衛の仕事をすることを決めると商人ギルドに向かった。
なぜ、彼がそちらの仕事を選んだかというとそれは港のある町まで移動する必要があったからである。
彼のいる街は内陸の方で港のある町まで、まだ幾分かの距離があった。そこで港町に向かう商人の護衛をすることで移動と金稼ぎを同時に行おうとしていた。
「おっと……ごめんよっ」
エルフレッドが商人ギルドに向かっていると青紫髪の少女とぶつかった。
『な、なんじゃ?』
その少女が彼から離れると唐突に彼との意識共有が途切れた。
それはメイルが彼から引き離されたためであった。つまりは彼の持っていた魔石が青紫髪の少女に奪われたということである。
エルフレッドの魔力を使って意識を共有させていたため、このように彼から一定の距離を離されると彼とのリンクは切れてしまうのだ。
だが、彼とのリンクはまたすぐに繋がった。
「それを返してくれないか?それはとても大切なものなんだ」
魔石を盗まれたことに気が付いた彼がすぐに少女の後を追いかけたためである。
「一体何のこと?」
青紫髪の少女は何食わぬ顔でエルフレッドの追及をはぐらかした。
「君が僕から奪い取ったその宝石だよ」
彼は少女の手を掴むと握り締められた魔石を露にさせた。
「痛てて……これは……あたいが拾ったものだよっ」
エルフレッドの手を振り払うと少女は頬を膨らませた。
『見え透いた嘘を……』
メイルは見え見えの出任せに呆れていた。
「そうか……拾ってくれたのか。それはすまない」
そんな見え透いた嘘に頭を下げると魔石を握り締めた逆の手に数枚の銅貨を握らせた。
「ちょっ、一体何のつもり?」
青紫髪の少女は彼の行動に戸惑っていた。
「それは拾ってくれたお礼だよ」
あろうことか、エルフレッドは残り少ない全財産を見ず知らずの少女に手渡したのであった。
「だから、それを返してくれないか?」
「……」
彼女は銅貨を握り締めたまま固まっていたが、やがて、目付きを鋭くさせると彼のことを睨み付けた。
「何だいっ!これはっ!あたいに同情でもしているつもりかいっ」
渡された銅貨を強く握りしめると拳を空高く突き上げた。
「ふ……ふざけんじゃないわよっ!あたいだって盗賊の端くれっ!こんな施しなんて必要ないわっ」
少女は手を振り下ろすと銅貨をエルフレッドへと投げつけた。そして、反対側の魔石を静かに放ると踵を返して離れていった。
どうやら彼の優しさは彼女の自尊心を傷つけてしまったようであった。
「あんた……名前は?」
唐突に振り替えると盗賊の少女は名前を聞いてきた。
「僕の名前かい?僕の名前は……エルフレッド。エルフレッド=クラウニング=プラウド」
「エルね。あんたの名前はしっかと覚えたわ。あたいの名前は……ミュラ……ミュラ=キュリア=ハトラス」
ミュラは八重歯を覗かせると屈託のない笑顔を浮かべた。
「せいぜい覚えておくことね。何時か、あんたから……その大切なものを奪ってやるんだからっ」
強がりを言いながら赤く染まった目の下と舌を覗かせるとその場を立ち去っていった。
『全く……何をやっておるのじゃ。本当にどうしようもないお人好しじゃな……』
メイルはエルフレッドの理解できない行動に呆れながら溜め息を吐いた。ただ、不思議と先程のように嫌な気持ちにはならなかった。
それは彼の心からとても温かな何かを感じ取っていたからである。
「……あれ?1枚足りない……」
投げられた銅貨を拾い集めながら銅貸が1枚足りないことに気が付いた。どうやら、その1枚はミュラに持っていかれたようであった。
入らないと言っておきながら、何ともちゃっかりとした少女である。
「あとは……」
魔石の入った小さな袋を拾い上げるとその袋の口を丈夫な紐でしっかりと縛った。そして、その紐を首に懸けると大切そうに胸の奥の方へと仕舞い込んだ。
「よし、行くか……」
準備が整うと彼は再び商人ギルドを目指した。
「おいおい聞いたかよ」
「何をだ?」
「ついにあの常勝無敗の女神が負けたらしいぞ」
エルフレッドが商人ギルドにやって来ると酒場ではクルストライゼンツの話で持ちきりだった。
商人ギルドでは冒険者達を集めるために酒場も経営している。
「しかもその女神……実は機械人形で人間じゃなかったらしいぞ」
「……っ」
酒場の冒険者の話を耳にしてエルフレッドは悔しそうに拳を固く握り締めた。
本来であれば、メイルの亡骸をあの場になど残していきたくなかったのだが、あの時はああするより方法がなかった。
粉塵が晴れるまでの時間があまりにも短く、また、彼女自身もそれを望んでいなかったからだ。
それに彼女の亡骸を置いていったおかげで彼はクルストライゼンツから追われる必要がなくなり、自由に行動ができるようになったのである。
誰が考えても英断だったと言えるだろう。彼の心情を除けば……
もし、あの時、彼女が彼に願わなければ、あの場で彼は死ぬまで戦い抜いて彼女の亡骸を守り続けただろう。それだけ彼にとっては悔しい出来事であった。
「何だって……それじゃ、ラクトネシアの奴ら、その人形に踊らされていたというのか?」
「そうらしいぞ」
「はっ、そりゃ、何とも傑作な話だな」
酒場の冒険者は甲高い声でラクトネシアの人間を小馬鹿にした。
その会話を聞いてエルフレッドは表情を険しくさせた。
自分の国の人間を馬鹿にされたのである。彼の反応は当然のものであろう。
「所詮は人形にしか頼れない国民なんだろ?この分だと無敗の女神とやらも単なるガラクタで勝てたのもまぐれに違えねぇ」
「そうかもな……どうせ綺麗な作り物の顔で他国の王を拐かしでもしていたんだろうさ」
「そいつはとんでもねえビッチだなっ」
「……おいっ」
冒険者達の話を我慢して聞いていたが、メイルのことを侮辱する話になると彼の怒りは頂点に達して怒りを露にさせた。
「あーんっ!何だよっ」
「やるのかよ?」
冒険者達は喧嘩腰にエルフレッドを睨み付けた。
「今の発言を……取り消せっ」
「今の発言?」
「そうだっ、メルシア様を馬鹿にした発言だっ!」
「はあ?メルシア?誰だ、その女」
冒険者達は常勝無敗の女神の本名を知らないため、彼の発言の意味がわからなかった。
「面倒くせえ、やっちまおうぜっ」
冒険者達が武器に手をかけると周囲の人間達は興味津々な様子で彼らを囃し立てた。
呼応するようにエルフレッドも武器に手をかけると闘志を漲らせた。
「……止めねえかっ!」
騒ぎを聞き付けた商人ギルドのマスターが2階にある部屋から顔を出した。
「ここで騒ぎを起こそうものならば……てめえら商人ギルドを出禁にするぞっ!」
マスターの命令に辺りは静まり返った。まさに鶴の一声である。
冒険者達にとって、お酒が飲める酒場や仕事を受ける場所がなくなるのは死活問題であった。それほど、商人ギルドのマスターの発言の影響力は大きかった。




