第6話 弗素。
一
それは、家庭科実習の時だった。
班の分担で、僕は洗い物係となった。別に好きではなかったが、料理が得意なわけでもなかったので、まあいいかな、と思ってのことだ。
「これ洗ってー」
「あいよ。あ、これ洗い終わったから拭いてー」
「おっけー」
そんな感じで、僕は順調に洗い物を済ませていた。
そして、大方の調理が済み、大きなフライパンがこちらに運ばれてきた。
「最後にこれ頼むー」
「おー」
そんなことを言いながら、僕はそのフライパンに触れた。
その時。その感触に、僕は大きくのけぞった。
・・・・・・つるっつるだ!!
「どうした水谷ー」
「・・・何かあったの?」
「どう見ても普通のフライパンだろ?洗っちまえよー」
「あ、ああ・・・」
だがしかし。僕は、その感触を、忘れることは出来なかった。
調理実習も終わり、最後に後片付けとなった。
この時も、僕は洗い物を担当した。しかし今度は、自分から洗い物を担当した。
理由は簡単である。そう、あのフライパンである。
改めて触ってみる。つるっつるである。
「まだ気になるのかよ」
「ま、まあ・・・」
とはいえ、そんなにのんびり出来る訳ではない。普通に洗い物を済まし、僕らは調理実習室を出たのだった。
二
つるっつる。
普通の人ならば、ガラスとか金属とかを触ったときに、そんな風に感じるのだろう。
しかし、僕は違う。
ガラスですら、ざらざらに感じる。そもそもが非晶質なので、結構でこぼこしているのだ。金属にしても同様。どうしても、分子レベルではでこぼこになるのだ。
・・・しかし。あれは違った。
見た目は普通のフライパン。しかし表面はつるつる。そんな感覚は、今まで初めてだった。
「どうしたのよ」
「・・・え?」
休み時間。僕は、となりの沖さんにそう聞かれた。
「なんか、考え事してたじゃない」
「そんな、考え事って・・・」
「ずーっと手を当ててうつむいているのが『考え事をしている』ってことじゃないの」
「・・・」
その通りである。
「いや、実は・・・」
「言わなくてもわかってるって」
「え?」
「あれでしょ?ほら、調理実習室のフライパンのことでしょ」
・・・あれ?
「え、なんで沖さんがそのことを?」
「そりゃ、あんなにわかりやすくのけぞっていたら分かるわよ」
「・・・」
内心、驚いていた。僕は、洗い物をしながらちょくちょく彼女の方を眺めていたのだが、彼女もこっちを見ていたのである。
「あれさ」
「うん」
「実はとっても簡単なことなのよ。みんな知ってるんだけど、黙ってる」
「え・・・何で?」
「そりゃあなたが特別だからに決まってるじゃない」
「!」
特別。そんなこと、考えたことも無かった。
いや、人とは違うことは分かっていた。でも、それで人に試されたりすることなんて今まで無かった。
「まあ、ホームセンターに行けば分かるかもね」
「え?」
「じゃあね。私、選択で移動教室があるから」
そう言って、彼女は教室を後にしたのだった。
三
後日。
僕は、ホームセンターの前に立っていた。
勿論、今までホームセンターに言ったことが無い訳ではない。しかし、いちいち休みの日に、それも一人で行くことなんて今まで無かったのだ。
店に入ると、僕は真っ先に、調理道具が並べられているエリアへと向かった。
そして、手近にあったフライパンを手に取って触った。
すると。
「おお・・・」
これだ。この感触だ。この、つるっつるな感じだ!
しばらく撫で回していると、ふと、あることに気がついた。
そのフライパンには、こんなシールが貼ってあった。
「汚れに強いテフロン加工!」
その瞬間、僕は、全てを理解したのだった。
テフロン、つまりポリテトラフルオロエチレンとは、アメリカのデュポン社が発明したフッ化炭素樹脂である。耐熱性や耐薬品性(フッ化水素酸や六フッ化ウランにも耐える!)に優れ、地球上で摩擦係数の最も小さい(!!)物質でもある。
そんなテフロンだが、そのきっかけは、テトラフルオロエチレンのガスを詰めていたボンベが、その圧力からかいつの間にか重合して出来たものだという。そう、つまり、偶然の産物だったわけだ。
発明は、偶然によって起こることもある。
・・・ええ。テフロンです。タイトルでバレバレでしたかね・・・。
フライパンでおなじみのテフロンですが、改めて見ると凄いですね!
『テフロン』と言えばフッ素樹脂を指すほどに、身近になりました。
・・・とは言え。高熱で分解されるのも事実。260℃で劣化が始まり、350℃で分解されてしまうそうです。・・・まあ空焚きしなければ大丈夫ですが、くれぐれもお気を付けを。