第5話 紙。
一
夏。八月には夏休みがあり、一年で一番のんびりできる季節である。
・・・しかし。われらには、その前に乗り越えなければならない壁があった。
それは・・・そう、期末テストである。
幸いながら、科学(生物)についてはさほど苦労はしなかった。なぜなら、実際にその手で「触る」ことが出来るからである。
事実、その力でこっそりプレパラートを触ってデッサンし、無茶苦茶に褒められたのである。
・・・しかし。それ以外に関しては、カナーリ苦労することになった。
数学。文字式まではいいが方程式に苦しむ。なんなんだよ2次不等式って・・・。
現国(現代国語)。勿論問題は漢字ではなく読解である。・・・よくわからん。
古文。日本語に見せかけての暗号ではないかと思えてきた・・・。
英語。例文自体は面白いのだが、訳せと言われると自信が無い・・・。
英文法。最早、復習と言う名の勉強である。
世界史。・・・覚えることが多すぎる・・・。
・・・などと、押しなべて苦労することになった。左様、暗記は苦手なのである。
二
しかし。これを逃れる術は無い。僕たち生徒は、この敵と戦わなければならないのである。
そこで僕は、原始的だが、単語帳を使って覚える戦術に出た。
見る。答えを書く。裏面を見る。採点する・・・。
毎時間、それを繰り返した。さらに、休み時間でも時々ぱらぱらとめくって眺めた。
その成果が出たのか、時々先生が出す小テストでも、それなりの点数を取るようになった。
そんなある日のこと。生物の時間が終わった後、僕は沖さんに呼ばれた。
「ねえ水谷君」
「な、何?」
「減数分裂って良く分かんないんだけど、教えてくれない?」
「あ、うん・・・」
そこで僕は、ちょっと緊張しながら説明した。
「・・・なので、配偶子が2のN乗個の多様性で出来ると言う訳です」
「なるほどね。ありがと」
「ど、どうも・・・」
それから彼女は、僕の机をさわさわと撫でた。
「・・・どうしたのですか?」
「・・・え?別に?」
僕が聞くと彼女はすっと、机から手を離した。・・・触り心地がいいのかな?
彼女からの質問は、その後にも何回かあった。その度に何気に机を撫でていたが、僕は別に気にしてはいなかった。勿論、それよりも沖さんと話せる方が嬉しいからに決まっているのだが。
三
・・・そして、テストの日。今日は生物と英語(英文法ではない方)である。
生物はまあ調子良く解けた。・・・が。
やはり英語は難しい。
教科書に載っている例文はまだしも、そうじゃない長文が出てきようものなら、もうお手上げである。
まあそんな意地悪な設問を用意することぐらいは分かっていたので、それ以外の問題を解いてから当たる戦術に出た。・・・それでも辛い。
気分を変えようと、問題用紙を払って消しゴムのカスを集めていると・・・あれ?
・・・突起?
机の一部分だけ、なんだか細かい突起がある。目で見て分からないと言うことは・・・跡?
普通に触ってみる。・・・なんだか文字のようだ。読んでみると・・・あ。
「長文のポイントは文節の理解」
・・・文節の理解?
「so-that構文は見逃しやすいから気をつけて」
・・・so-that・・・英語か・・・いや、英語!?
どういうことだ?なんで文字が??
そう考えた時にハッとした。
この机は、今まで長い間使われてきたのだと言うことを。
そこから先は楽だった。
机の上の跡を参考にしながら、僕は問題を解いていった。
多少罪悪感はあったが、目にも見えない跡をカンペだと言う人はいないはずだし、そもそもその程度の跡はどこにでもあるだろう。
そう考えていた。
四
そうして全てのテストは終わり、その後、生徒への返却が始まった。
あの跡のせいもあってか、どの教科も、それほどひどいことにはなっていない。
僕は深く安堵した。
ふと沖さんの方を見ると、どうやら彼女も安心した表情だ。
目が合う。彼女は、僕に会釈した。感謝のつもりらしい。
僕の心は、久しぶりにうきうきしていた。