第4話 水。
一
水。地球上に最も豊富に存在する液体であり、人体の70%以上を占める重要な物質でもある。それでいて化学式はH2Oと、正に「シンプル・イズ・ベスト」をそのまま表現しているかのようだ。
そんな水だが、勿論分子自体はとても小さく、到底人間に感じられるものではない。だから単に、「冷たい」「熱い」などとしか感じないのだ。
しかし、僕は違った。僕はそれを、この手で「触る」ことができるのである。
幸い飲む分には平気だったが、風呂やプールに入る際などは、少々どころかかなり気になったものだった。
とはいえ水が苦手なわけではなく、むしろプールは大好きであった。それは、僕のこの能力に起因している。水に触れられる。つまり、いい泳ぎかそうでないか、それを自らの感覚で体感できたからだ。
それで、プール、それも水泳が僕の得意科目であった。
二
高校での初のプール授業。プールに入る前から、僕はわくわくしていた。勿論、久しぶりにプールに入るからである。
素早くプール水着に着替え、プールサイドへと飛び出していったのだった。
授業中。
数え切れないほどの分子を感じながら、僕は泳いでいた。いくら得意と言っても今は授業。とりあえず前に泳いでいる人にぶつからないように気をつけていた。
しかし。突然前の生徒が立ち止った。とっさだったので避けきれず、その生徒にぶつかってしまった。
「わっ」
「ご、ごめん・・・。でもなんで急に立ち止まったりして・・・」
そう言って僕は立ち上がって生徒に訊いていると、皆の様子がなんだかおかしい事に気がついた。
揃って、ある方向を向いていたのである。
「?」
疑問に思いながらも、僕はその方向に向いてみた。
すると。そこには、物凄いスピードで泳ぐ一人の女子生徒がいた。
豪快な水しぶきのせいでよく見えないが、誰か僕にはすぐに分かった。
「沖さん・・・」
そう。皆が注目していたのは、沖さんだったのである。
三
「すげえ・・・」
「速・・・」
「沖さん、すっごーい」
皆が口々に言う。道理で立ち上がって止まるわけだ。それを無視してか、彼女は黙々と泳ぎ続ける。
しばらく眺めていたが、ふと僕は思った。
「あれ?」
「どうした水谷」
「なんか、あれ、変じゃない?」
「どこがだ?無茶苦茶速えだけじゃんか」
「いや、そうじゃなくて・・・」
おかしい。何かがおかしい。なんだろう・・・あ。
フォームだ。
クロールのはずだが、なんだか足が上手く動いていない。手にしても、普通にストレートプルだ。
じゃあ、なんであんなスピードが出るんだろう・・・。
そんなことを考えながら、僕はただ彼女を見つめていたのだった。
四
プール授業の後。
僕は体育の先生に聞いてみた。
「あの、先生」
「水谷、どうした?」
「あの・・・沖さんの泳ぎを見て、どう思いましたか?」
「どうって・・・ああ、あれね・・・」
そう言って、先生は1秒ほど黙った。
そして。
「あれは・・・不思議だったよ。長年教師生活をしてきて、初めてのケースだ」
「確かに不思議ですね・・・」
「確かに、長年やっていると、『これは!』と唸るような生徒に出逢うこともある。でもあれは・・・」
先生が黙るのも納得だった。
才能があったら普通、どこかにその片鱗は現れるものである。水泳の場合、フォームなどだ。
しかし、「フォームがおかしいのに速い」となると、もはや"才能\"だけでは説明できなくなる。ただ、不思議だとしか言えなくなるのだ。
そうしているうちにチャイムが鳴った。
「ありがとうございました。それでは教室に戻ります」
そう言って僕は、教室に帰ったのだった。