第2話 炭素。
一
北上高校では、入学式の後、すぐに教室に向かう。名前順に並んだ席に、僕は座った。
「・・・こうしてみると、新しいもんだなあ」
ボソリと、そうつぶやいた。
知らない人。知らない学校。知らない環境。その中で、今手に触れるものの感触は変わらない。
そう考えながら腕を回したり机に触ったりしていた時、教室のドアが開いた。
「はい、全員席について」
女性の人だった。きっと担任なのだろう。美しい顔だった。
「おはよう。私が今年一年担任を受け持つ木庭花実。よろしく」
「おはようございます・・・」
皆がそう返事をした。
「・・・では、これから最初の席替えを行います」
「えー!?」
クラスが沸いた。しかし、それに構わず、先生は大きな箱をドンと教卓に置き、皆に小さな紙の紙片を回した。
「生徒手帳にも書いてあることです。・・・では、その紙に自分の本名と振り仮名を書いて、四つ折にして前の箱の中に入れなさい」
名前?・・・ん?振り仮名も?
そう疑問を抱きながらも、僕は普通に、「水谷空」と書いた。そして、紙を前の箱の中に入れた。
全員の分が集まると、先生はおもむろに黒板にクラスの席の図を描き、それから箱の中に手を突っ込み、かき混ぜた。
その時気付いた。
ああ、クジか。
生徒が見つめている先で、先生は黙ってクジを引き、名前を読み上げながら黒板に名前を書き込んでいく。・・・その為の振り仮名?
なかなかナイスな方法ではないか。
そんな風にして10分後、全てのクジが引き終わった。
決まったら、早速移動である。
机をガラガラと動かし、黒板の図通りにしていく。
自分の場所に机を動かし、席に着いた。やれやれ。
「さーて、隣の席は・・・ん?」
右隣の席に座っている同級生を見て、思わず息を呑んだ。
・・・凄い。顔も凄い(かわいい)けど、肌が特に凄い。
シミやソバカスやホクロ等が一切無い。軽い凹凸すらない。まさにつるんつるんの肌である。
その凄さに呆然としていると、彼女のほうから挨拶をしてきた。
「私、沖綾子。よろしくね」
「こ、こちらからこそよろしく・・・」
と言いつつも、視線は彼女の肌を見つめたままである。
「?・・・ああ、この肌ね」
流石に気付いたようだ。
「いえ、あ、その・・・」
「まあ、驚くのも無理無いわ。普通はここまでつるつるじゃないし」
「はあ・・・」
「後・・・」
「何?」
「私、数学と化学が死ぬほど弱いから、そこんところよろしく」
「・・・はあ・・・」
別に、理系って訳じゃないんだけどなあ。
そんなこんなを話している間に、学校のチャイムが鳴った。
二
速い。授業が速い。中学校はなんだったんだと思う程に速い。
写している内に授業が終わる。なかなかハードだ。
それは周りも同じ様で、休み時間にまで予習・復習をしている人もいる。
大変だけど、自分もがんばることにしよう。
そんな中で、一番の楽しみはやはり昼食である。
それは周りも同じ様で、思い思いに食事を楽しんでいる。
さて僕も・・・とざらざら(自分の感覚で)な弁当箱を開いてざらざら(同)の箸で食べようとした時、突然教室のドアが開いた。
「どうもー、文芸イラスト部でーす」
どうやら、先輩方によるクラブ紹介らしい。
「えー、私たちはこんな風なイラストとか漫画とかを自由に書いて楽しむクラブでありましてー・・・」
と、黒板にイラスト(A4)とかを張っていく。
絵にはあまり興味は無いけど、まあ、行ってみよう。
放課後、その文芸イラスト部の部室の戸を叩いた。
「いらっしゃーい」
昼食中もそうだが、なかなか元気がいいクラブである。
「あ・・はい」
まずは自己紹介。
「お名前は?」
「み、水谷空です・・・」
「ああ、そう。見学なら、ゆっくりしていってね」
ゆっくりって・・・。まあ、そうすることにしよう(暇だし)。
部屋を見渡す。お世辞にも綺麗とは言い難い部屋である。
資料等が積み上げられ、それなりに整理はしているらしいが、やはり乱雑だ。
それでもなんとか座り(座布団)、目の前の白紙の原稿用紙を眺めていた。
すると、横(にいる先輩)からこんな声がした。
「水谷君」
「(覚えるの早!)・・・はい?」
「水谷君は、どんなのが好きなの?」
「好きなのって・・・ジャンルでってことですか?」
「そうそう、それそれ」
弱った。
漫画は読むが、別にしょっちゅう読むわけじゃないもんなあ。
迷った末、僕はこう返した。
「特に・・・」
「ふーん、何でもってことね」
・・・ええ!?なんでそっちにとるの!?・・・まあ、いいか。
三
まあ、とりあえず、模写である。模写は画力アップの基本らしい。
・・・しかし。
身近な物・・・消しゴムや鉛筆とかをいちいち描くというのもなあ。
どうしようかな・・・と考えていると、ふと、目の前の原稿用紙に目が行った。
そうだ。こいつを描こう。
と言っても、紙面の形そのままではない(当たり前)。その表面を指で感じ取って描くのだ。
そう言えば、物の表面をいちいち描いたことが無い。恐らく興味が無かったからだろうが、自分でも意外だった。
とはいえ、難しい。確かに感じ取ってはいるが、それを絵にすることがどれだけしんどいことか。巨人が地面を触っているようなもんである。
しかも、あまりに鋭敏なので、紙の表面のその繊維の分子まで感じ取ってしまう。それを描くと絵が真っ黒になりかねないので、程々で止めなければならないのだ。
・・・がんばって描こう。
とりあえず、5cmx5cmほどの大きさに表面を描いていると、隣の先輩が、休憩中なのか覗き込んできた。
「な、何ですか・・・」
「何描いてるのー」
そこで適当に「林です」とか言っていればよかったのだが、つい正直に言ってしまった。
「紙の表面です・・・」
「・・・紙?」
「はい、紙です」
「・・・えええ!?ちょっとみんな見て!」
・・・マズイ。
「これ見てこれ!」
「ええ、何?」
「『紙の表面』だって!」
「スゲー」
「顕微鏡写真じゃん」
「どうやって???」
・・・バカウケである。
このままいては、僕の能力を秘密に出来ないかもしれない。
ここは立ち去ろう。
「あ、あの・・・すいません」
「ああ、水谷、どうした?」
「ちょっと急用を思い出して・・・」
「えー?」
「どうしてこの絵を描けたら聞かせてよー」
「いや、だから急用が・・・」
「もしかして視力100.0とか」
「両目共1.0です・・・」
「じゃあどうやって?」
「いや、だから帰らせて・・・」
「いや、まあこっちも聞きたいからさ」
・・・。と、約5分間の押し問答の末、終に白状することとなった。
「実は・・・」
「なになに?」
「指が・・・その・・・敏感で・・・」
「ほう、指が・・・て、えええっ!?」
「盲目の人が敏感だとは聞いたことあるけど、水谷は普通に見える(※1)もんなあ」
「でもこんなん描けるほどって・・・もしかして、ナノレベル(※2)ってヤツ?」
「ま、まあ・・・」
「すごいじゃん!テレビに出れない?」
「いや、これは秘密にしたいんで、絶対に漏らさないようにして欲しいのですが・・・」
「おう!大丈夫大丈夫!秘密にしてっから!」
大丈夫だろうか・・・。
「じゃあ、今描いている漫画の紙面だって読み取れる?」
「やったこと無いけど・・・多分」
「やっぱりここにいなよ水谷君!便利じゃん!」
「・・・え、どこがですか?」
「なんか斬新なトーンとか出来そうじゃん」
「・・・」
結局、午後5:30の最終下校時刻まで、ずーーーっと部室で質問攻めに遭ったのだった。
四
それから。結局文芸イラスト部に入部させられ、毎日いろんなものの表面を描かされている。そんなに面白い物なのかなあ・・・。
とにかくこれが、僕の能力が皆に受け入れられた瞬間だった。
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※1・・・作者注:この「普通」はあくまでも「視力が悪くない」という意味での「普通」です。念のため。
※2・・・ご存知かもしれませんが、「ナノ」は単位の接頭語の一つです。1nmは1mmの1000分の1の1000分の1(10億分の1m)。地球を直径1mの球と考えるとビー玉の直径が1nmとなるって言うぐらい小さいのです。
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すいません、遅筆で・・・。
これからもがんばります。