12話 家族
『…ぐ』
(どうしてあんなひどい事…とーさまのバカ!)
父であるポスリオに酷い叱責を受けたコルト。
自身の事を責められるだけならまだ耐えるなり反省するなり出来ただろう。
だが親友モモリエへの侮辱を織り交ぜた言葉を父の口から聞くのは堪えられなかった。
『…て、…むぐ』
誕生日以来、コルトは自分自身がわからなくなって悩み続けていた。
出生という過去も謎なら、夢という未来も抱いていなかった。その事そのものに気づいてすらいなかった。
今ここに自分がいるのに、どこにもいないような喪失感。
それを埋めてくれたのがモモリエだった。
『…きて、つむぐ』
彼女はコルトと対照的に『自分』というものをしっかり持っていた。
コルトを直接導いた訳ではないが、ただその正直な在り方はコルトにとっての大きな道しるべとなっていた。
コルトにとってのモモリエは親友であると同時に恩人でもあったのだ。
だからこそ、父の言葉がコルトには辛かった。
『モモリエが…つむぐ…』
そうだった、理恵はいつもありのままの自分でいた。
周りがなんと言おうとお構いなし。
その強かさが紡の支えに
『起きて、紡!!』
「ハッ!」
コルトは目覚める。
あれからコルトはひとしきり泣いた後、適当な木の洞を見つけて、そこで眠り落ちてしまっていた。
気付けばコルトの髪は長く伸びており、2つの月も西の方角へと傾いている。
どうやら相当な時間寝りこけてしまっていたようだ。
先程聞こえた声の主を探すも、どこにも人影らしきものはない。
ナラカヘイルの夜は明るく、人影があるならコルトが見落とすはずがない。
精霊達が活発になって夜の世界を青藍に染め上げた世界にあるのは木々と星々、そして白と黒の2つのお月様だけだ。
ではさっきまで聞こえていた声は夢?
しかしそう考えてやり過ごすには、あの言葉は…
モモリエが…
…嫌な予感がした。
コルトの背にゾクリと怖気が走る。
「戻らなきゃ…!」
気付けばコルトは走り出していた。
駆ける
駆ける
長い長い髪が邪魔になる様子はない
寧ろ逆に髪が風を与えて加速させる。
コルトは夜の森を駆け抜ける金の閃光となる。
「モモ…モモ…!!」
どうしてか胸騒ぎが収まらない。
この嫌な予感が間違いであって欲しい。
今夜の出来事は単なる些細な行き違いで、一晩かけて拗ねて不貞腐れて…
でもやっぱり家族が恋しくなったコルトと怒り過ぎたと反省した父が互いに謝り、また明日からはいつも通りの家族に戻って…
そう願いながら村に戻ったコルトの前には、村の真ん中で倒れている母ナトレアと数名の村人の姿があった。
サァと、コルトは自身から血の気が引いていくのを感じた。
「かーさま!!」
一心不乱に駆け寄る。
ここで何が起きたのかコルトにはわからない。
ただ漠然と感じていた謎の不安感が、現実のものとなったことだけは段々と理解し始めた。
「ぐ、う。コルト…か?」
倒れていた村人の1人がコルトに気づいて返事をする。
「怪我は、大丈夫なの?」
「心配いらん。みんな気絶しているだけだ。」
一応怪我の確認をするが目立った外傷は特にない、体温に脈も正常だ。
意識が昏倒していただけというのは本当らしい。
全員大事には至っていない事にまずは安堵するコルトだったが、更なる疑念が沸き上がる。
倒れていたのは全員が狩猟組の者達。
母を含めてこの場に倒れているのは腕っぷしに自信のある者達ばかりだ。
これだけの戦力を無力化するなんて芸当が出来る存在なんて、心当たりはそう多くない。
「何が、起きたのですか。」
「……」
答えが返される事なく黙ってしまう。
余程言いにくい答えがそこにはある。
それは、その答えを告げる相手が…
「花、畑に…急いで。」
倒れていたナトレアが呼びかける。
「かーさま!お怪我は!」
「はや、く…うっ!あの子を、モモリエを連れて、逃げて!」
「モモを…!?モモに何があったのですか!?」
ナトレアは痛む身体に無理を言い聞かせて声を振り絞る。
「ポスリオが、あの子は『呪い人』だから殺すと…」
「!!」
それを聞きコルトの頭の中は真っ白に染まる。
尊敬する父と喧嘩別れをしてしまった。
父とモモリエに仲直りして欲しかった。
家族にわだかまりの残ったままは嫌だった。
いつかわかってくれるさと、どこか甘い考えをしていた。
だがその考えを打ち砕くかのような冷血な出来事が、次の朝日を拝むより早く訪れるだなんて。
それはコルトの心の許容量を超えるには十分過ぎる出来事だった。
だがコルトは、自分でも気づかない内に再び歩を進めていた。
どうしてこんな事になったのか、どうしたらよかったのか、これから何をしたらいいのだろう。
そんな迷いで立ち止まっている暇は無いのだから、コルトは向かうしかなかった。
父とモモリエのいる花畑に向かって。
1つだけ、このままなのは絶対に嫌だ!という想いを抱いて。
「ハッ、ハッ、ハッ…!」
「シルヴィア、ブロンも、もう…いいから!」
「モモちゃん黙って!」
シルヴィアは走る、モモリエを抱きかかえて。
後ろで行われている、父と妹の戦いから逃れるように。
父ポスリオがモモリエに襲い掛かった直後、モモリエにシルヴィアとブロンの3人は水流によって家から突き飛ばされた。
母ナトレアによる咄嗟の水魔法だ。
「ナトレア、邪魔をするな!!」
「馬鹿ポスリオ…!」
吹き飛ばされた事で攻撃を避けたモモリエと姉妹はそのまま家から叩き出され、訳も分からないまま空中に投げ出される。
「あっ、」
「シル姉ぇを守れ!!モモ!」
「お、応!!」
何が何だかわからないのはモモリエも一緒だったが、今は何よりシルヴィアを落下から守る。
お尻から頭にかけて、そのゲル状の身をシルヴィアの身体に敷き、自身の弱点のスライム核だけは潰されないように避ける。
地上に叩きつけられる事でシルヴィアが負うダメージはぶにょんとモモリエによって受け流し、ブロンは綺麗に受け身をとる事で着地に成功する。
ついでに扉や家具の一部も吹き飛んだが不幸中の幸い、それらが地上に叩きつけられる衝撃音で他の村人も騒ぎに気付く。
「ラストレアさん!?どうしたんだ一体。」
「そ、それが…パパが突然…」
どうしたらいいのかわからず、駆け付けた村人に事情を説明しようとする3人の元に
ザンッ!ザシッ!ガトン!
続けて家から何かが落ちて、目の前に刺さる。
それはシルヴィアの魔法の杖、ブロンの手甲、そしてコルトの星杖。
戦う為の武器。
いずれも水魔法で押し出された為濡れている。
母が、ナトレアが落としてきたのだ。
「………!」
それはなんて事の無い自分の持ち物。
狩りや外出の時にいつも持って、手入れも常に欠かさない。
自分達の「日常」にいつもあったもの。
だが今この場に、目の前に突き刺さった「ソレ」を見てブロンとシルヴィアが感じたのは恐怖だった。
手に取らなければいけない。
だけどその手は震え、武器を掴む事がどうしてもできない。
これを手にするというのがどういう意味か…理解したくないのだ。
だがその決断の遅れが不幸を招く。
バキィッ!!
「ママ!!」
争っているであろう騒音が響いていた家から、今度はナトレアが吹き飛び、落ちてくる。
「くうっ!」
ナトレアは背後に迫る地面に向かって片手剣を振るう。
バシャリと剣から水が生まれ、落下するナトレアをクッションのように受け止める。
その様子を見てひとまずの安堵を得る。
指の震えが止まった。
姉妹は今の内に武器を手に取り、そして母の元へと駆け付け
その母の真上に父がのしかかる。
「が、はっ…」
膝に全体重を乗せ、母の鳩尾に無慈悲の一撃。
急速に肺から空気が奪われたナトレアはそのまま意識が朦朧とする。
「…っ!ポスリオてめえ!!」
それを目撃した村人達がなすべき事を、誰を止めなければいけないかを理解する。
力自慢の3人が、それぞれ手に棒を構えてポスリオに攻撃を仕掛ける。
「…すまない」
先頭1人目の突きを、ポスリオは長剣の先で僅かにずらす事で最小限の動きでやり過ごす。
そのまま長剣を逆手に持ち替える勢いで鍔で相手の顎を打ち抜き脳を揺らし、昏倒させる。
2人目の大上段振り下ろし、単調な一撃は身体を捻る事で難なく回避。
その回転に沿っての後ろ回し蹴りで3人目の元まで蹴り飛ばす。
吹き飛ばされた仲間を受け止めようとするも想像以上の勢いから3人目は体勢を大きく崩してしまう。
転びそうになった3人目は慌てて手を振り堪えようとする。
その手を掴む者がいた、ポスリオだ。
村人が「しまった」と思った時にはもう遅い、ポスリオは掴んだ手をグッと引っ張り上げて村人の肩を外す。
ゴキリと嫌な音と、激痛に叫ぶ声が響き渡る。
僅か数秒の出来事。
たったそれだけでポスリオは3人を倒してしまった。
これがかつて冒険者としての栄誉を賜った、超一流の実力。
村人たちは騒ぎを聞きつけどんどん集まっていく。
しかしこの場で彼を止められる者はどこにもいなかった。
ジャリ…と音を立ててモモリエに向かってポスリオがにじり寄る。
モモリエは一瞬「ひっ」と身体をビクつかせるものの、その後は獣に睨まれた小動物にように動けなくなる。
明確な「死」が迫ってきていた。
「う、うわああああーー!!!」
金切り声を上げたのは、シルヴィア。
恐怖を、痛みを、躊躇いを。
全てを掻き消す為にあらん限りの声を上げる。
「お父さんのバカァァァァ!!」
杖を父に向けて、撃つ。
単純な光の魔法による光線。
だがその光は、以前に蛇を仕留めた時の何倍も太く、そして強く輝く。
「!!」
耐えられない、剣でいなせるような代物ではない。
ポスリオは咄嗟に真横へと飛ぶ。
だがそれでもなお、極太の光線はポスリオを射線から離さない。
「くっ!!」
開いたほうの手に魔力を集め、熱による衝撃を発生させる。
爆炎
ポスリオはその反動によって大きく吹き飛び、光の射線から飛びのく。
「うわあアアア!!」
シルヴィアの光魔法はなおも途切れない。
止まらないのではない、止められないのだ。
膨大過ぎる、その身に余る魔力をもって生まれてしまったシルヴィアは自身の魔力を自身で制御できない、そんなジレンマを抱えていた。
「シル姉ぇ!!」
ブロンがシルヴィアの元へと駆け付け、その手を握る。
「くっううう!!」
今なお光魔法を放出し続ける杖をポスリオのいる方向へと向ける。
薙ぎ払われる光は、全てを飲み込み消滅させる。
だがそれでも喰らうポスリオではない。
爆炎魔法による跳躍を連発して薙ぎ払いを上回る速度で旋回。
更には動けなくなった2人目掛けて接近してくる。
このままでは確実にやられてしまう。
「ううう、うぁああああーー!!!」
剣柄による攻撃が迫る瞬間、シルヴィアは制御の効かなくなった光魔法を更に出力を上げる。
「!!」
その光の一部が亀裂となって杖を走る。
その亀裂の一部はシルヴィアの腕にまで浸食する。
そしてついに、魔法に耐えられなくなった杖が爆ぜて砕ける。
シルヴィアの目の前で光の爆発が起こり、そこにいた3人はそのまま吹き飛ばされる。
「シルヴィ…!」
「…行くよ、モモちゃん!」
衝撃からいち早く立ち直ったのはシルヴィア。
杖も失い、戦力にならなくなった彼女はモモリエを連れて逃亡を選んだ。
「おい待っ!」
「行かせるかァ!!」
シルヴィアの逃亡を見たブロンとポスリオの両者は、追う者と追わせない者とで戦いが始まった。
そして女の子1人に戦わせる訳にはいかないと、残りの村人たちも彼女に助太刀する。
「シルヴィア、ブロン…」
花畑の方向へ逃げるシルヴィアと追掛けるポスリオ、それを阻止するブロン。
3人の後ろ姿を見つめながら、ここでナトレアの意識は一度途切れる事になる。
そして現時刻
「ハッ、ハッ、ハッ…!」
「シルヴィア、ブロンも、もう…いいから!」
「モモちゃん黙って!」
「でも…腕が…!」
「黙って!」
シルヴィアの片腕、杖を構えていた方はまるで罅割れたかのような亀裂が走り、そこからポタポタ血が流れ落ちていた。
コルトの星杖を脇に挟み止血をしているものの、血が収まる様子はない。
加えて一心不乱に走り回った為に心臓はバクバクと鳴り響き、肺が酸素を求めて激しく慟哭する。
それが更に失血を加速させる事となり、シルヴィアの意識は既にいつ切れてもおかしくない状況だった。
「護るんだ、私が…お姉ちゃんなんだ!だから私が妹達を守らないといけないんだ!!」
シルヴィアを支えていたのは姉としての誇り。
家族の誰よりもか弱い自分を、姉として慕ってくれた妹達の姉でありたい。
自分1人だけではない、支えてくれる人がいるからシルヴィアはここまで立ってこれた。
「あっ」
だが心が折れずとも、身体が先に限界を迎える。
既に視界がボヤけていたシルヴィアは足元が段差になっている事に気づかず、踏み外し転倒してしまった。
「シルヴィア!シルヴィア!」
立ち上がろうと奮起する。
しかし既にそれだけの体力ももう残っていなかった。
「…あ、さ…寒い…?」
常夏だというのに身体が冷える。
失血のし過ぎでシルヴィアの身体から熱が奪われてしまっていた。
首から下がまるで凍ってしまったかのように、そこからシルヴィアは1歩も動くことが出来なくなっていた。
「……」
シルヴィアの腕から出血は続く。
このままではポスリオから逃げるどころではない。
…寧ろその逆の可能性ばかりがモモリエの頭を巡る。
逆にポスリオに見つからなかったら。
そうしたら、自分は助かるかもしれない。
だけど失血寸前のシルヴィアは。シルヴィアの命は…。
「…ここだ!アタイはここにいるぞ!!クソ親父!!!」
ありったけの声を奮わせモモリエは叫ぶ。
「モ、モ…ちゃ…だ、め…」
やがてザッ、ザッと草の根を分ける音が近づいてくる。
やってきたのはポスリオとブロン。
ただしブロンはポスリオの肩に担がれ、ぐったりとしたまま微動だにしない。
対するポスリオは疲労こそ見えるもののまったくの無傷だった。
モモリエはポスリオの姿を確認すると、シルヴィアから離れて前に出る。
それを見たポスリオは理解しがたいものを見るように目を開く。
「…なんの真似だ。」
「アタイを殺すなら早くしろ。そして一刻も早くシルヴィアを治療しろ。」
「お前…!」
驚き、恐怖、慈悲、躊躇い
ポスリオはほんの一瞬だけ、表情をぐるぐる変化させるが、すぐに元の険しい貌へと戻る。
冒険者はいつだって判断を間違えてはいけない。
そう、二度と間違えないとポスリオは誓ったのだ。
担いでいたブロンを横に降ろして、剣を縦に構える。
カチカチと、僅かだがその刃先は震えていた。
「痛みはない、一瞬で終わる。」
「…早くしろ!」
そう呼ぶモモリエの身体も震えが止まらない。
だがもう後には引けない。
ポスリオの剣に魔力が伝わり、燃え上がるのを見る。
一撃に魔力の大部分を込めた必殺剣は、モモリエの核を目掛けて正確に振り下ろされた。
「う、ぉおおおお!!」
ザシュゥッ!!
一閃
見事な剣戟を前に、モモリエは一切の痛みを感じなかった。
何故なら長剣が降り下ろされた瞬間、2人の間に割って入る金色の影があったからだ。
コルト=ラストレア
モモリエを庇うように飛び出した少女は、その髪を、背中を、剣と炎の一撃で深々と焼き裂かれていた。
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