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藍色の約束  作者: みくに葉月
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第二章 猫とウサギとカメ 〈乃愛〉

 私の名前は笹見乃愛(ささみのあ)。生まれも育ちも大阪の女子大生です。猫が好きで、毎日隙間時間を見つけてはユーチューブで猫の動画を見たり、写真を見たりして癒されています。そんな私の将来の夢は自由になることです。鳥みたいに、とは言いません。ちょうど猫みたいに、好きな時にのんびり日向ぼっこしたり、散歩したり出来ればそれでいいのです。大学生なのに甘えたことを、と誰かに怒られるかもしれません。お世話になっている身だから仕方がありません。文句は言えません。私は毎日他人のためにお勉強するしかないのです。

 けれど、頭の中では考えずにはいられません。いつかここを抜け出すことができれば、とそればかり私の頭の中をぐるぐる周回しています。でも、それは夢物語。乙女を陥れるための幻想に違いありません。お勉強とそれがかけっこしています。どちらも応援したくありません。

 なんにしても途方がありません。その来るか分からない「いつか」が来るまでに誰かが迎えに来て私を連れ去ってくれないかしら。ちょうどロミオとジュリエットみたいに。ああ、それだとバッドエンドになってしまうわ。ダメダメ。

 そんなことを真っ昼間の大学の講義室で考えていると、遠くから誰かが近づいてきました。トオルさんでした。彼は歩きながら真っすぐな髪の毛を自慢したそうにつまんで、何やら思索に耽っている素振りを見せていました。私はため息を漏らします。

「やあ笹見さん。何してるの?」とトオルさんが白い歯を見せながら言いました。

「あら、トオルさん。ご機嫌麗しゅう。私はこの通りお元気です」と私は意味を取り違えていることを自覚した上で、敢えてヘンテコな挨拶を仕掛けてみせます。

「実にヘンテコで、攻撃的で、斬新な挨拶だね。良いセンスだよ。どこかで流行ってるの?」とトオルさんは音速の速さで返事を返してきました。トオルさんの神経は生来図太いようです。ちなみに、「ご機嫌麗しゅう」は別れの挨拶の時に使われる言葉です。

「ううん。なんとなく言ってみたかっただけです。ありふれた挨拶だと退屈するでしょう?」

「ふーん。それで、何してるの? もう授業終わったけど」と、トオルさんは私が最後まで言いきるかどうかのタイミングで打ち返してきました。往々にしてトオルさんの会話の切り返しスピードは異様に早いのです。まるで、会話のキャッチボールと会話のドッジボールが同時に行われているかのようです。でも、私も負けていません。

「何でもないです。ただ、翼の生えたウサギとカメのどちらがかけっこが速いのか考えていたらいつの間にか授業が終わっていました」

 私がそう言うとトオルさんは一瞬だけ口をぽかんと開けました。しかし、すぐに元の整頓されたトオルさんに戻って言いました。

「そう。普通にウサギさんの方が速いんじゃないかな。それに、翼まで生えているとなるとカメさんには勝ち目はないだろうね」

「ウサギさん」

「そう、ウサギさん」

「でも、もしウサギの天命を知るのが早かったら勝負は分かりませんよ。このウサギは科学者たちの手によって鳥の遺伝子を混ぜられたキメラなのです。自然の摂理に背いた不完全体。もしかしたら、その異形が災いして、ゴールにたどり着く前に神の天罰によって息の根を止められてしまうかもしれません。それに引き換え、カメは万年生きる長寿です。長い目で見ればカメが勝つかもしれないですよ」

「確かにそういう考え方もあるね。じっくり考えてみるよ。それで、僕は次の授業があるけど、笹見さんは?」

「私はこれで終わりです。今から図書館に行きます」

「分かった。じゃあね、また明日、ご機嫌麗しゅう」

 トオルさんはそう言うとようやく何かを諦めた様子でどこかに去っていきました。

 またため息をつきます。私はトオルさんが苦手なのです。視界に入ると嫌悪感を覚えます。あの気取った感じ、気を抜かすような返事、わざとらしい仕草、どれも筒抜けなのです。いつか化けの皮が剥がれることでしょう。彼は私と同じ専攻の同級生で、昔からの幼馴染(という名の腐れ縁)です。国家公務員を目指しているようですが、そんなこと、知ったことではありません。国家公務員でも国会議員でも勝手になって下さい。私は手のひらを合わせて祈ります。ああ、神様仏様! どうか彼に悟りの心を持たせてあげてください。そして、出来れば大学で私を見ても話しかけさせないで下さい。菩薩の心で無の境地に立ち、永遠に黙っていて欲しいものです。でも、そんなことを考えていても仕方がないのです。私は席を立ってゆらゆらと静寂に包まれた講義室を後にしました。


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