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藍色の約束  作者: みくに葉月
22/22

第二十一章 『藍色の約束』

 結論から言うと、徹は僕の要求を飲み、僕は徹の出した条件を受け入れることになった。しかし、後から考えれば考えるほど人間の人生にかかわる大事なことをあんな短い話で済ましてしまって良かったのだろうか、と思い詰めてしまった。本当は飲食店かどこかに行って腹を割って話したかったが、僕の方から開示出来る情報が少なすぎた。あの状況ではああすることがベストだったに違いないのだ。あとはもう神に祈るしかない。僕は徹と別れたあと、半ばひとりごちて公園を出て、歩いていた。

 さて、と僕は思った。ここからどこに行けばいいのだろう。僕はこの時代の住人ではないので自分の家に帰ることが出来ない。自分の家に帰れないとなるとどこかに泊まる必要がある。しかし、僕はそれほどお金を持ち合わせていないので宿泊するお金がない。どうしたものか、と悩み八方塞がりになってしまった。僕はとにかく考えるためにさっき居た乃愛の家の前にある公園に戻り、ブランコを揺らしながら考えることにした。はて、どうしたものか。

 公園の中は夕闇に包まれていたが、乃愛のマンションの廊下は蛍光灯で明るく照らされており、それはまるで光の兵隊が隊列を組んでいるように見えた。笹見家はまだ旅行から帰っていないのだろうか。僕はそう思いながら砂が敷かれた地面を眺めていた。すると、視界の隅の方にノートのようなものを見つけた。僕はブランコから立ち上がって、それを拾い上げた。表紙には『藍色の約束』と書かれていた。名前のところには「二年一組 笹見乃愛」と書いてあった。乃愛のものだ。僕はそれを開いてみると、それが彼女の随筆的な小説であることが分かった。僕はそれを持って街灯の光が当たるところまで移動し、読んでみることにした。

 

 

 私はこの世界が大嫌いです。アマゾンに住まうアナコンダよりも大嫌いです。なぜなら、私は将来望まない結婚をさせられてしまうからです。まるで中世の貴族社会みたいではありませんか。でも、今は二十一世紀です。時代錯誤も甚だしいです。きっと私はロミオとジュリエットに出てくるジュリエットみたいに悲惨で可憐な運命をたどることでしょう。しかし、幸か不幸か今のところ私には懇意にしている人が居ません。例えると、両手が手持ち無沙汰のまま何者かによって脇を抱えられ、宙ぶらりんにされている状態に近いのです。はて、私はこのままハンガーみたいに吊り下げられるだけの存在のままでいいのでしょうか。分かりません。分からないですが、懇意にしていない人と一緒になるのは絶対に嫌でした。そのことを考えると胸が張り裂けそうになり、夜も中々寝付けなくなりました。

 しばらくすると、私はある夢を見るようになりました。とても不思議な夢です。その夢には公子さんという藍色のワンピースを着た女の子が私とまったく同じ顔をして登場していました。自分の顔を眺めるのはとても奇怪なことでしたが、それはそれで私と顔が似ているだけの、まったく違う人物として捉えることができました。公子さんと私は夢の中で色んな話をしました。トオルさんのことや、両親のことについて公子さんは知りたがっているようでした。私も前からずっと話を聞いてくれる人が欲しかったので熱心に話しました。公子さんは親身になって話を聞いてくれました。

 すると、ある日公子さんはこんなことを言いました。

「あなたは強く生きなければなりません。それと同時に、運命に従順でなければなりません。それは来るべき災厄を受け入れるというわけではありません。なぜなら、あなたの運命の中には既に救世主が存在する未来が組み込まれているからです。その救世主はある日颯爽と現れ、必ずあなたを救ってくれるでしょう。しかし、未来とは樹木のように枝分かれするものです。ある運命には救世主は存在しないかもしれません。あなたは耐え忍ばなければなりません。いいですか? これはとても大切なことなのです。約束してくれますか? 私の言ったことを守り、来るべき救いを待つことを」

 私は「はい」と言いました。公子さんという人は夢の中で、私を救ってくれる人がいずれ現れるだろう、という予言をしました。それを聞いて私はとても安心し、胸のつかえがいくつか取れたような気がしました。

 しかし、運命の日は突然やってきました。両親がいきなりトオルさんと私の将来の新居を買うと言い出したのです。家を買うとなるともう後戻りは出来ません。私は一生懸命抗議しましたが受け入れてもらえず、跳ね返されてしまいました。もしこれが実現してしまうと私はとうとう宙に浮いたまま、道具として使われてしまうことになるのです。そんなことは絶対に嫌でした。だから私は家出をすることにしました。

 家を出ると私は途方もなく歩き続けました。しかし、体力に限界のある私はついに疲れ果ててしまい、道端で気を失ってしまいました。

 私はそこである夢を見ました。意識が上手く機能せず、瞼が重くてここがどこだか初めはわかりませんでしたが、気づくとそこは海の真上でした。私は大きな船の中に居ました。その船はプカプカ浮いていて、どこへ向かうこともなくその場所にとどまっていました。三百六十度どこを見回しても海しか見えませんでした。まるで世界の中にたった一人取り残されたようでした。

 私は途方に暮れてそこに寝そべってしまい、また夢を見ました。それは夢の中の夢なのか、それとも二つ目の夢なのかは分かりませんでしたが、とにかくそれは夢でした。目を開けると、目の前に見知らぬ青年が立っていて私に手を差し伸べていました。それはまさしく救世主に他ありませんでした。私は夢中でその手にしがみつくようにして身を乗り出しました。すると私とその青年は風船みたいにどんどん体が宙に浮いていきました。私はこのまま天に召されてしまうのでしょうか、と心配になりましたが、そこで目が覚めました。

 目が覚めるとそこは家の中で、両親は何事もなかったかのように私に「おかえり」と言いました。私は「ただいま」と言いました。

 

 

 

 エピローグ 隙間を埋める温度

 身体を起こすと、僕は現実世界に戻っていた。とても長い夢だった。僕は夢の中でも意識がはっきりしていたし、実際にこの体を動かしていたという感覚があった。夢にしてはリアル過ぎる。かと言って船のことや徹と会ったことが全部本当だったかと思うと、にわかに信じがたい。どうやらこの目で確認した方がよさそうだ。

 

 僕はその日も乃愛と会う約束をしていた。いつものように昼に支度をして家を出る。そして電車に乗って乃愛の街に向かう。駅にはいつものように乃愛が先に待ってくれていた。

「やあ」と僕が言うと乃愛は笑って「こんにちは」と言った。今日は乃愛と二人で映画を見に行く日であり、夏休み中最後の乃愛と会う機会だった。最後というのは感慨深い。まだ会って二週間と少ししか経っていないのにそこには大きな親密感があった。温もりがあった。お互いの何かを埋め合うような説明のしようがない何かがあった。僕は東京に帰るとしばらく会えなくなる乃愛のことを想うと胸が痛くなり、今日というこの日を大事にしようと思った。僕たちは映画館で最近流行っている恋愛映画を見た。内容的には面白かったが、僕たちとは似ても似つかない甘々な映画だった。僕と乃愛の繋がりは甘々なものではなかった。それは運命でしかないのだ。僕たちは映画館を出ると喫茶店に入った。夢の中に出てきた古風な雰囲気とは違い、お洒落な喫茶店だった。僕たちはそこでたくさん話をした。まるで、まだ埋め足りない隙間を埋めるかのように。

「秋人くんって冗談が下手だね。あれは私が作った空想の話だよ」

「いや、本当なんだ。本当に羽の生えた猫が居たんだ。あと、昼間にミミズクが空を飛んでいたよ」

 僕と乃愛は終始笑いながら話していた。この温もりだ。僕はこの温度を忘れてはいけない。たとえ離れていても僕たちはお互いのことを想い続けなければならないのだ。僕は夏休みが終わった後の生活を想像すると苦しくなった。

「寂しくなるね」と僕が言うと乃愛は「そうでもないよ」と言った。

「え?」と僕は思わず聞き返した。

「だって、私も東京に行くんですもの。あのね、昨日の花火が終わって家に帰ると急に一人暮らしをしたい、そして秋人くんともっと一緒に居たいっていう気持ちが高まってきて、怒られてもいいからこの気持ちを両親に伝えようと思ったの。そんなの前は言っても聞き入れてくれないのが分かっていたから絶対に言わなかったけど。でも、言ってみたらいいよって言ってくれたの。まるで天国みたい」

 

 ああ、やっぱり本当だったんだと僕は思った。僕は本当に乃愛を救ったのだ。そして、僕も乃愛によって救われたのだ。かつての僕は心の中に隙間を抱えていた。そしてそれを乃愛が優しく埋めてくれた。多分、乃愛も僕と同じように相互補完的に心の中の隙間を埋めることが出来たと思う。それはやがて肉となり体の一部となる。果てには跡形もなくなり、隙間があったことさえ忘れてしまうのかもしれない。しかし、僕たちはそれを忘れてはいけない。僕たちは隙間があったことで繋がり合えたのだから。僕たちの繋がりはある日突然始まり、それは深いものになった。その繋がりはまたいつか離れてしまうかもしれない。だがそれを恐れてはならない。たとえそれが運命だとしても僕たちにはそれを覆す力があるのだから。さあ、前に進もう。そして笑おう、歌おう。

 

 今まで歩んできた悲しみを超えるために。

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