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藍色の約束  作者: みくに葉月
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第一章 鉄の街、東京 〈秋人〉

 暗い闇の中を歩いていた。多分これは夢。夢は往々にして真っ暗だからだ。明るくなる時は決まって目覚めるときだけだ。それにしても、僕はどれくらい歩いていたのだろう。もしかしたら五分だったかもしれないし、人間が二足歩行を始めた原始時代からだったかもしれない。でも、そんなことは関係ない。夢は一瞬だ。人生ゲームのように九十九回負けて百回やり直そうが、百九十九回負けて二百回やり直そうが結局は全部一瞬なのだ。

「秋人、おーい秋人―」

 遠くから声が聞こえる。

「う……ん」

「秋人、秋人!」

 五月蠅いなあ。あともう少し。

「もう授業終わったよ。帰るよ」

 その言葉で目が覚める。意識が暗闇から明るみにゆっくり引き戻されるのが分かる。

「あ、ああ。卵焼きのおかわりはもうないの?」と僕は言う。

「何? 寝ぼけてるの? 今日の授業内レポート、来週の深夜十二時までにメールで提出だから。望にレジュメ見せてもらってちゃんと出しなよ。じゃあな、俺はバイト行くから」

「じゃあね、瑞樹」

 僕はそう言って机に散りばめられた資料をかき集める。そして誰もいない講義室でこう呟く。

「また、あの夢か」

 

 学部棟を出ると外はすっかり更け込んでいた。授業を終えてくたくたになった若者たちが息を揃えて信号を待っていた。奇妙な話、この大学のど真ん中には一般道路が当たり前のように通っていて、それが大学の敷地を丁度二分するような図になっている。だから、うちの学部棟に向かう生徒たちは毎朝この信号を渡らないといけないし、帰りも同じことをしなければならない。

 遅刻しそうな朝には時々信号無視をしようとするチャレンジャーが現れる。生徒には単位がかかっているのだ。だが、大学駐在の警備員は黙っていない。彼らは毎朝そういったチャレンジャーが現れないように歩行者の誘導を行い、注意喚起しているのだ。

 それはさておき、僕は望にレジュメを見せてもらわないといけない。さっき見かけなかったけれどどこにいるのだろう。

 携帯で電話をかけてみても繋がらない。既に電車に乗ってさっさと帰ってしまったのかもしれない。僕は信号を待ちながら春先の夜空を見上げた。星は一つも見つからなかった。

「ついてないなあ」

 

 東京に来て二か月。ここでの暮らしに少しは慣れてきたつもりだ。午前六時、茜色の朝焼けと共に布団から這い出て朝食を済ませる。平日の朝食は大抵トーストにバター、クロワッサン、レタスとミニトマトの盛り合わせ(たまにハムも入れる)のサラダだ。ちなみに休日は卵焼きと、トーストは某超人気アニメーション映画に出てくる目玉焼きとベーコンを乗せたものを作る。これがまた美味しい。今ではそれが毎週の楽しみの一つになっている。それを片すと、近所のコンビニで買ってきた安いパックのコーヒーに砂糖とミルクを混ぜて飲みながらバイト先でもらってきた昨日の新聞の一面を端から端まで読む。いつもと変わらない、いつもの新聞だ。午前八時、家を出る。駅まで歩き、満員電車に乗り込む。最初は息をするのも苦しかったがもう慣れた。午前九時、大学に着くと授業を受け、終われば家に帰る。午後七時、晩御飯を食べた後は音楽鑑賞や読書をして時間を潰す。毎日この繰り返しだ。こうしてみると僕はここでの生活にとても馴染んでいる人間に見えるし、百人のうち七十人くらいは元々この街に生まれ育ってきた青年の生活だと言っても信じてくれるかもしれない。しかし、そこには最後の一ピースを残したジグソーパズルのように、何か決定的に足りない物がある感覚があった。灰色の景色。無機質で、システマティックで、温もりが無い。言っておくが、それが家庭ではないことは確かだ。ここに一人で引っ越してくる前の実家でも僕は一人暮らし同然の生活をしていた。父親はIT企業の重役、母親は某有名ファッション雑誌の編集部員。両親は共働きで、出張や仕事の都合か何かで二人とも帰ってこない日は珍しくなかった。僕に互いを支え合えるような兄弟はいない。いつも一緒に居たのはリビングの熱帯魚くらいだ。灰色なんて、無機質なんて、システマティックなんて元からだった。心の穴はとっくの昔から空いていたのだ。

 でも、今のこの物足りなさはそれとは全く違うもののような気がする。それが何かは分からない。もどかしい気持ちが苛立ちを強める。考えて、考えて、考えて考えるがそれでも分からない。

 仮初めの友情を除けば僕はいつだって一人だった。表の顔には出さないが、きっと今の友情も仮で始まり、仮で終わるのだろう。信じるなんて恐ろしい。そうしなければなにも始まらないことは確かなのだが僕はどうしてもその一歩を踏み出すことが出来なかった。過去の悲しみは、新しい悲しみを呼び続けるのだ。

 家に帰っても夜の薄い暗闇は窓を介して家の中に入ってきた。真っ白い天井はいつまでも沈黙を貫いていた。

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