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藍色の約束  作者: みくに葉月
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第十五章 風穴を眺める

 僕がベランダの欄干に肘をかけて望と通話をしていた時、高校時代の、突き詰めて言うとふぉーそん時代のことを(あくまで部分的に)「トラウマ」だと言った。それは脚色でなければ偽りでもない、不変の事実であった。というのは当時の僕が置かれていた状況にあった。当時の僕は何者かの手によって「根暗」という分類に勝手にカテゴライズされ、所謂カーストの低いところに位置していた。根暗というものは存在していても上辺に位置する人間からすれば目につかない存在であり、裏返して言うところの平和な存在でもあるのだが、ある日を境にして僕はそういうわけにはいかなくなった。「ある日」とは真菜子がふぉーそんにやってきた日のことだ。

 真菜子は高校二年までテニス部だったが、膝のけがのせいで部活を辞めて、ふぉーそんに入部してきたのである。真菜子は元々、女子にも男子にも人気のある人物だったが、それはふぉーそんでも変わらなかった。当たり前と言えば当たり前だ。彼女は誰の目から見てもとても美しかったのだから。可愛いらしい、子どもっぽい顔立ちで、明るい正確と言えばそれはもう学園ドラマに出てくる少女Aそのものなわけで、それだけでクラス中の人気を博すことが出来るわけだがそれだけではなく、どこか凛とした佇まいを持っていたのである。それは不即不離の、神様からの賜物としか言いようがなかった。極めつけは流行りのショートボブであった。人に好かれないわけがない。

 また、真菜子と同じクラスの友達が何人かふぉーそんにも居たので全員が全く面識がないわけではないようだった。真菜子は入部すると、精力的に音楽に力を注ぎ、部内で次期副部長の座を狙えるのではないかとの噂が広まるほどの有力者になっていた。それは上辺に黄昏る者のみが辿る運命であり、僕のような者とは本来関係のないもののはずだったのだが、どういうわけか真菜子は入部当時から僕に過剰な興味を示し、よく絡んできた。

 彼女のその好奇心というか、探求心は留まることを知らず、しばらくすると真菜子からバンドの誘いがかかるようになった。最初は断っていたものの、あまりにも真菜子の押しが強く、断るにも悪い気がしたのでついにはそれを引き受けることになった。守と僕と真菜子、それと今はもう退部してしまったドラムの子。その四人で高校二年の途中から活動するようになった。ふぉーそん内のバンドはそれぞれが基本的に固定で活動していくスタイルだった。それ故に、周りの部員が真菜子という有効な人材が僕のような手にかかる(と見えたのだろう)のは見るに堪えないことだったのだろう。それから他の部員からの嫉妬とも思えるような、ささやかな攻撃が始まったのである。完全なお門違いである。それについて今さら言及するつもりはないが、今こうして再びこの場に集まっているのだから、そのことを頭から捨て去ることは至難の技だった。そして、僕はそんな混沌とした感情を胸に抱きながら喉を通らない食を進めていたのだった。

 

 元部員たちの和気藹々としたムードになるべく身を馴染ませ、出来るだけ存在を薄めようと努力をしたが、僕の中のぎこちない感情を鎮めることまでは出来なかった。僕はそのやるせなさから一刻も早く脱出することだけを考え、居酒屋を飛び出した。

 暗い夜道を当てもなく歩いていると、幼い頃よく遊んでいた小さな公園にたどり着いた。滑り台と砂場とブランコしかない、閑静な住宅街に囲まれた、地元民しか知らないような公園だ。僕はブランコに腰を下ろし、頭をからっぽにして夜空を見上げた。そういえば、どうして僕はここに居るのだろう。それはあの場所が僕にとってあまり良い場所ではないからだ。音楽と触れ合えて楽しかった思い出があって。でも、それと同時に嫌なこともあった。その嫌なことが何で構成されているのかは実のところ僕にもよく分からないのだが、とにかくその嫌なことが僕を大学生になるまで逃避に導いていたことは確かだった。そして、今回も同様に逃避に走っていたのだ。こんなことをして何になる? 何にもならない。真菜子と話した高校生活最後の文化祭の日から今までの葛藤の日々がそれを証明している。ならば、戦わなければならない。今こそがそのタイミングなのだから。僕は空から目を下ろし、正面を見据えた。何にもない。砂場しか見えなかった。しかし、遠くからない物かの足音が聞こえた。ふと後ろを振り返ると、真菜子の姿がそこにあった。

 

「何してるの?」と真菜子が言った。

「君こそ、何してるの?」と僕は言った。

「だって、秋人が突然立ち上がってどっか行っちゃうんだもん。どこに行くのか、気になったから追いかけてきたんだよ」

「やっぱり優しいんだね、真菜子は」

「そう? まあね~」

 真菜子はそう言って僕の隣にあるブランコの椅子に腰かけた。彼女の瞳は大きく輝いていた。乃愛の瞳が宇宙色ならば、真菜子の瞳は星色かもしれない。

「で、どうしたの?」と真菜子はブランコの鎖をねじり、面と向かって言った。

 何と言えばいいのだろう。言葉が見つからない。言いたいことを順序立てて上手く説明することが出来ない。しかし言わなければならない。そして、それは今しかないのだ。僕は覚悟を決めて頭の中に浮かぶ確認したいこと、伝えたいことをそのまま声に出そうとした。が、口をついて出た言葉は意外にも婉曲的なものだった。

「真菜子は、ボブ・ディランのラブ・マイナス・ゼロを聞いたことがある?」と僕は言った。

「何それ?」

「僕は君に対してそう思っていると言うことだよ」と僕は言った。「僕は君があの日言った曲名の、歌詞の意味を分かっていなかった。これで公平だ」

 真菜子はしばらく考え込む様子で、さっきの僕と同じように夜空を見上げた。これは、あまりにも婉曲的すぎるだろうか。と、僕は思い詰めたが、やがて真菜子は口を開いた。彼女の口から出た言葉は予想外のものだった。

 

「私ね、今付き合っている人がいるの」

 

 開いた口が塞がらないとはまさにこのことだと痛感した。訳が分からず、全身の筋肉から力が抜けていく感覚がした。しかし、次に彼女の口から出た言葉がすべてを説明していた。

「彼はスウィート・チャイルド・オブ・マインの歌詞を知っていたのよ」

 ああ、成程。それですべてに合点がいく。でも、どうして今まで気づかなかったのだろう。一番近くで見ていたのは僕だったのに。ずっと真菜子のベース姿を見ながら、そして、彼の歌う姿を見ながらギターの演奏をしていたのに。多分、ある点では僕は認めたくなかったのかもしれない。でも、これでもう終わりだ。僕は最低な男だったが、このまま誰にも知られることなく消えていくのだと思った。

 僕は真菜子を置いてそのまま立ち上がり、一人で冥暗の下を歩いて帰った。それきり、真菜子とも、守とも会うことはもうなかった。

 

 

 その日、夢を見た。どんな夢を見たのかは覚えていなかったが、朝起きた時、妙な空虚感が胸の中を渦巻いていた。そんな感覚は久方ぶりだった。僕の胸の中にはいつも何かがつかえるような感覚があって、それは夢を見ている時にメタファーとして現れ、起きた時に現実として現れていた。しかし今回はそれえと逆の出来事が起こったのだ。僕の中の何かが清算されたのだろうか。もしそうならばやはり真菜子のことが原因になっていたのだろう、と僕は思った。過去の残像は消えていったのだ。

 残像。その言葉が浮かんだ時、思考が逆流した。僕はまだ何かを見落としている気がする。それも、真菜子のことよりももっと大事な何かだ。それは長い間心の中に封印している何かだ。忘却の泉に沈み込んだものではない、身近に潜む何かだ。いつも浮かんでいるが、掴むことのできない雲のような何かだ。一難去ってまた一難。僕はまた振り出しにもどったような気がした。

 

「それが最後の関門やで」と言う公子さんの声が聞こえた気がした。

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