出発
精神科の紹介状をもってすぐに病院へ妻と向かった。少し古びた外観の建物だった。自宅から約40分かかった。妻が入院道具と紹介状をもって受付で手続きをしていた。私は、診察するまで外の喫煙所でタバコを吸っていた。診察が終わると、病棟の担当者が来て案内された。担当者の腰横には、さまざまな形の鍵がぶら下がっていた。病棟の入口に来た。目の前には二重扉に鉄格子。どの扉や窓には鍵がついている。担当者が鍵を開け中に入った。床に座り込んでいる者、訳もなく騒いでいる者、独り言を呟いている者、同じところを歩き回っている者。私は驚き恐怖感を感じた。看護室で入院についての説明を聞いた。私物の持ち物確認をした。私の紹介状には、自殺願望があると書かれていたのか解らないが、いろいろと所持品を預けることになった。(ひげ剃り・爪切り・爪楊枝・ボールペン・携帯電話の充電コード・ライター・長めのタオル等)その後、病室に案内されベットに座った。6人部屋だった。囚人室に居る気分だ。窓には鉄格子に、じめじめした空気。妻は、看護室に呼ばれていた。私は周りを見て、何でこんな事になってしまったのかと怖くなってきた。妻は、しばらく戻って来ないので病棟内の喫煙所にタバコを吸いに行った。独り言を喋っている人、ただ黙って座っている人。喫煙所の扉を開けたり閉めたりする人。私は、タバコを吸い終わって喫煙所から出た。妻はまだ戻って来ないので、大広間にあるテレビを観ていた。クリントン、トランプ氏の大統領選挙活動途中結果の中継をやっていた。入院中の人達は、テレビなんかつけていても観る人なんか誰一人いない。病室に戻って妻を待った。戻って来た妻に言った。「ここに居たら頭も体も精神的に狂ってしまう。家に帰る。退院する」と。妻が医師と話しをし、私は家に戻った。自分はまだまともだと思った。次の日、ハローワークで見つけた東京の某国際空港会社に連絡をし、履歴書を送付した。一週間後、採用の連絡があった。この地獄のような状態から這い上がってやると思った。正直、今の私には無謀な行動だ。心配していた叔母に連絡をした。叔母は喜んでいた。叔母は神奈川。私の社員寮も神奈川。叔母は、私がお金を持ってないことは知っていたので、就職祝いとして10万円贈ってくれた。私は、3月某日に東京に出発した。