お別れの音
一日一日が黙って過ぎていく。妻からは、これからどうするのと言われた。2週間くらい経った頃、盛岡警察から事情聴取をもう一度取りたいと電話がきた。指定日に盛岡に向かった。聴取は2時間で終わる予定だった。違反の再確認から始まり、それに至った行動など。私は、言った。速度違反については、天気の状況に路面状態。天気が悪くなる前の安全運転危険回避と。酒気帯び運転に関しては、私は肝硬変だった。充分な睡眠時間をとったがアルコールが抜けきってなかった。二日酔いの自覚症状は全く感じなかった。治療中で薬も飲んでいる。警官が病院に連絡をし、確認していた。しかし、私の話しなど全く聞き入れてくれない。むしろ一方的な取締りだった。警官は聴取書類を何度もやり直した。特に違反処分も変わることもなく、聴取が終わったのが5時間以上かかった。精神的に疲れきった。仕事を探したが現実は厳しい。それなりに様々な資格はあったが、ここは秋田。車の免許が無ければ話しにならない。私は家の中に閉じこもるようになった。そんな生活をしていた時だった。妻が仕事から帰ってきた。私の祖母が前日の夜に病院に運ばれたと聞いた。母から妻に連絡があったらしい。本当は、母は私に連絡したかったと思う。しかし、妻から私の状況を聞いていたのだろう。母なりに気を使ったのだろう。私は病院に向かった。個室に酸素マスクをして眠っていた。医師が病室にきた。私は孫だったので状態の説明を話してくれた。もって一週間と言われた。意識はあり、話しかけると声を出し何度も頷いた。私の運転免許証を返納する日が近づいてきた。免許センター、警察署に事情を話し免許返納日を伸ばしてもらった。毎日、朝から晩まで面会時間いっぱい着いていた。私にはそれくらいしかできない。今思うと、私が免許を取ってから祖母が車を買ってくれた。身内や知人が病院に来ては祖母に声をかけていた。私の兄も駆けつけた。病院には、状態が急変したら私に連絡がくることになっていた。一週間近くたった。私はいつものように面会時間いっぱいまで居た。帰り際、「またくるよ」と言った。もう声も出せない祖母がうなり声を挙げた。その深夜、2時に枕元に置いていた携帯電話が鳴った。祖母とのお別れの音だった。