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「顔がすーすーしますよ辰砂。どうして鱗を無くしちまったんでしょうねえ、別に生えてても困らないのに」
サンの街に飛んで戻っている途中である。私は徹夜ですっかり草臥れたのでクッションで寝て、イルに牽引してもらっている。
「全部無くなったわけでもないじゃないか……疎らに生えてるじゃん」
投げやりな返答に、イルは不満げであった。人形みたいな男の顔で怒るんじゃない、迫力だけは凄いから。
「腕とか足とか背中とかにちょろちょろって生えてるのって意味ないと思いますけど。落ち着かないなあ」
腕を眺めたイルは溜息をついて加速した。確かに、ところどころ元のイルの体色と同じ藍方石の鱗が生えているのだが、正直名残以外の意味を見いだせない。芸が細かいのかなんなのか、腹側は月長石色に変わっているのでこの男は間違いなくあの小さな龍なのだが。なんか認めたくない。
「鬣もあるし角も生えてるけど……うーん、違和感しかないですね。尻尾はなくなっちゃったし手足は長いし胴は短いし、バランスが変です。まったくご先祖様はセンスがない」
尻尾くらい残しとけばいいのにとぷりぷりするイルだが、だからお前成人男性に見えるんだから、もう少し落ち着いた物腰でいなさい。後、鬣呼ばわりしているのは現在髪だと思う。確かに背中に繋がっているが、頭部のは頭髪だろう。
「……っと、着きましたか。辰砂、そろそろ起きてしゃんとしなさい」
衝撃である。イルに世話を焼かれる日が来てしまった。のろのろと体を起こす。うとうとしていたのがばれていたとは。きつい日差しも【環境無効】のせいなのかポカポカするだけで気持ちが良かったのだ。
さりげなく出された手を取ってクッションから降り――違和感に顔を見上げた。イルもこちらを見下ろす。カリスマさんよりはかなり小さいが私よりはかなり大きい。2メートル弱くらいありそうだ。
「何故にエスコート?」
「神話に書いてありましたけど?主神が奥方はじめ女性をエスコートしたから現代にエスコートの習慣が出来たんだって。俺今男だし辰砂は一応女性でしょ」
要らん知識を授ける神話である。買うんじゃなかった、そう言えばそんなエピソードもあったかもしれない。こういうのは正式な場だけでいいと教えると、イルは肩をすくめたのだった。
「知らないことって多いですねえ。マナーとか振る舞いの本でも買ってほしいです」
「早いうちに買いに行こう。あと、着替えは今すぐ作るぞ」
イルが現在身に着けているものは、何を隠そう私のお古の白マントである。服と言うのは嘘をつかない、私の踝まであったはずだがイルが着ると膝までしかないのである。ズボンの手持ちがなかったので、現在イルはスカートのように布を巻きつけている変な人であった。
「カリスマさんも今神殿に向かってくれてるらしいし、最速で向かおう」
簡単ではあるが事情をメッセージで説明したところ、カリスマさんは快く引き受けてくれた。文面に喜びが滲んでいた気すらする、中々男物の注文がないので嬉しいらしい。まあそりゃあ2メートル30センチのエプロンドレスオネエに男物を頼もうとは思い辛いだろう。
裸足の変質者風イルと黒尽くめ不審者の私が街を歩くと、相当注目を浴びているのがわかる。イルは全く気にした風でないのがうらやましい。素早く神殿前へ移動して、カリスマさんと合流したが、カリスマさんもスーパーロングパーマ状態だった。最早仮装大会の様相を呈している一行が作業場に向かう。
「ほんとにイルちゃんなの?大きくなったら、こんなに素敵だったのねえ。これであたしより大きかったら完全に王子様なのに惜しいわ~」
「あーその、俺はイルです。よろしく。……何だよウール、目が零れちまうからその顔はやめときなさい」
素早く汎用棟120号室を借りてカリスマさんは目を光らせた。どうやら好みであるらしいが、身長が30センチ小さいのは守備範囲外であったようだ。ウールちゃんはウールちゃんで、これがイルだと信じがたいのか目を見開いてイルをガン見している。可愛い。
「ああ、アタシの王子様はどこにいるのかしら。早く会いたいわ……まあ、それは良いんだけど。今回のご予算はどれくらいかしら?」
予算ねえ。現在の所持金は200000エーン弱である。まあ、薬草も山程あるしすぐ取り返せるので全て使って構わない旨を伝えた。それと有り余る例の高等級素材も引っ張り出す。
「オッケー。じゃ、イルちゃん採寸させてくれるかしら」
イルがマントと巻きスカートを放った。足にまとわりつくのが気に入らなかったらしくせいせいした様子である。カリスマさんが歓喜の悲鳴を上げたのは聞こえなかった事にしよう。私はウールちゃんの耳を塞いで窓から街を眺めることとする。あーあー、何も聞こえない。