63 アップデート
寝ている間に強制ログアウトを喰らった。初めてのことで、何が起きたかしばらく解らなかった。そう言えば、シュンがアップデートがどうたら言っていたか。すっかり忘れていた。深夜2時なので、6時にアラームを掛けて寝ることにした。
アラームが鳴っているが、正直私は寝起きが良くない。ぼんやりする意識を捕まえ切れず二度寝してしまった。はっと気付いたのは7時である。よくあることだが、待っている相手がいると思うと気が焦る。あれこれ済ませてログインした。
「おはようございます。バージョン1.0.2のアップデート内容をお知らせする為、アップデート後初めてのログインをされた来訪者様にこの場にお越しいただいております」
見慣れた焼き魚と藻塩亭の天井ではなく、ガラス張りの水槽みたいな所に私はいた。目の前にいるのは巨大なランチュウに見える。違和感があるのは腹部中ほどから子供の身体が生えている事だけだ。
「あ、ワタクシアップデート説明要員の天草でございます。どうぞお見知りおきを、今後もアップデートの度にお邪魔いたしますので」
天草さんが手を胸に当て、同時に胸鰭をひらひら振った。口は喋っていない時もぱくぱくと動いていて気になる。
「さてさて、まずは説明しやすい事柄から参りましょう。第一に最大レベルの制限が80レベルから100レベルまで上昇いたしました。第二にサンの街、ヨンの街、ゴーの街への関所が解放されました。第三に、大規模討伐隊級ボスが登場いたしました。これはどちらにいるかは皆様でお探し下さいませ」
無表情のランチュウ、しかも身体は子供サイズなのに営業マンみたいな喋りを披露する様ははっきり言ってシュールであった。説明が途切れたので終わりかと思いきや、天草さんがぐりっとこちらを向いた。一抱えもありそうな金魚の両脇にある目がじっと私を見ていて居心地が悪い。
「公式HPでご案内しているアップデート内容の内、主要な物はお伝えいたしました。これからお話しいたしますのは関係のある来訪者様が極々僅かである内容でございます」
それは解ったけれど、これほど近づく必要はあるのか。目と私の距離は1メートル程度である。つまり口と言うかでこぼこした額はもっと前にあって、50センチあるかないかだ。品評会に出したら高評価を得られるのではないか。
「絆システムを解放されたのは辰砂様ですね。そして解放後、数日経過いたしましたが追従されたのはお一人だけでございます。従いまして今現在、お二人にしか関係ないアップデートでございます」
絆システムの話なら、イルとウールちゃんの事だろう。と言う事は、カリスマさんも同じ様に迫られているのだろうか。
「今現在、ログアウト中も時間経過がパートナーに影響いたしますね。彼は辰砂様がログアウトしていても活動し、お腹を空かせ、眠ります」
その通りなので黙って頷いた。天草さんは背びれを揺らして頭、と言うかランチュウ部分を傾ける。
「アップデート後、つまり今ですが、彼らはパートナーがログアウトしている間は装身具に変化して、意識を凍結いたします。ログアウトした瞬間の状態のまま、∞世界を再開する事が出来るわけですね」
「……それは、プレイヤーの都合でログインできなかった時の為ですね?」
不便だなとは思っていたのだ。私が一日働いている間に、イルは4~5日備蓄の魔力で過ごしているのである。まかり間違って私が体調を崩しただけで、イルは餓死する事だろう。そんな想定をしていない筈が無い、何か理由があるのだと思っていたのだが。
「ここだけの話、開発スタッフは全員がいわゆる廃人でして。ログアウト時間の方が短いような有様でございます。そして元々の開発スタッフの想定といたしましては絆システムはもっとずっと後に解放され、廃人向けのハイエンドコンテンツとなる予定であったのです」
廃人なら元の仕様でも十分対応できると言う事なのか。廃人って怖い。しかしそう言われれば納得できた。イルは明らかに現状に対してオーバースペックなのである。あの森での無双と言い、巨大化なんて最終兵器なスキルと言い。寧ろ最初に私が死ななかった事の方が奇跡だ。
「しかしそうすると卵についてはどうなのですか。ずっと後、と言うには早々にドロップする機会がありましたが」
イルはおかしいが、ウールちゃんはそこまでバランスを崩すようには見えない。何たってスキルが【ウール生産】である。平和そのものだ。
「あれは絆システムとは別の物でございました。元々はテイムモンスターと言うソロプレイヤー向けのシステムが解放される予定であったのです。パーティを組んでいない状態で卵を持ち歩くと、持ち主にある程度相性の良い魔物がランダムで生まれる仕様でございました」
「ところが、卵の存在と用途が広まらぬうちに絆システムが解放されてしまいまして。ここでテイムモンスターシステムと絆システムの有効化される順番が入れ替わったことにより想定しない現象が起こりました。該当者の卵が孵化した際、相性が良い魔物が生まれたもののテイムモンスターシステム自体は有効化しなかったのです」
天草さんは長い話を続けて息が苦しいのか、盛んに口を動かしている。何でこの人はランチュウの形をとろうと思ったんだろうか。
「このアップデートの時間中、何とか本来の形に戻そうとスタッフは全力を尽くしましたが、テイムモンスターシステムが有効化しない問題を解決することは叶いませんでした。ですので次善の策として、絆システムの仕様を変更することと相成りました」
それが、ログアウト中のイル側の意識の凍結か。誰だか知らない粗忽者と私のせいで、スタッフ達には多大なる迷惑をかけてしまったらしい。だがイルはもう私のパートナーである。出会わなければ良かったとはとても思えない、絆システムが有効化されて良かったのだ。
「今後絆システムにより結ばれる魔物は、プレイヤーのステータスにある程度沿った存在として生まれて参ります。元々の絆システムの対象であった特別な魔物はすべて引きあげられました。辰砂様は既に絆を結んでおられるので、このまま∞世界をお楽しみください、また、今のお話はどうぞ他言無用に願います」
長い話がやっと終わったようだ。了承を告げてさあ∞世界に送ってくれと立ち尽くした。
「口止め料代わりと言っては何ですが、辰砂様、ここからは私の独断でお話させていただきます。災龍イルルヤンカシュは、レベル30で最初の進化をいたします。あなたが彼の道筋を定める事になるでしょう。そう、彼が堕ちるも昇るも、あなた次第――」
天草さんが意味深過ぎる台詞を残して去り、私はランチュウの鰭を掴もうと腕を伸ばした状態でいつもの天井を睨むことになった。もうちょっと詳しく言って行けよあの野郎。