61
カリスマさんを置いて作業場から逃げ出した私たちは喫茶店へ移動していた。今日もロマンスグレーの店主が鮮やかな手つきである。カウンター席から見える流れるような手さばきをイルがうっとりと見つめている。だいぶ憧れているようだが道具はどうしよう。
「お待たせしました」
大小2つのカップとソーサーが置かれ、イルが目をキラキラさせて早速飲んだ。多分、ごく普通に客として扱われるのが嬉しいのだろう。日陰の身みたいに扱ってしまっていることに胸が痛むな。
「やっぱり美味しいなー」
後ろ足の所でカフェスツールに立ち、前足の所がカウンターの所に来るようにした姿は可愛らしいものだ。
「それはようございました。本日はデザートもいかがですか?」
「デザート? ううん、辰砂、食べてもいいか?」
店主の勧めにイルが迷ったのかこちらを仰いだ。座高の関係上見上げられざるを得ないのだ。構わないと頷いて見せて、店主が妖精用なのか小さなメニューを差し出した。メニューを見比べてイルが悩み始めたのを微笑ましく見守る。
「ところで、イルの言う事がわかるのですね」
「お客様のご要望を聞き届けられないようでは喫茶店の主人などとは恥ずかしくて申せませんから」
この間の来店時では、コーヒーが淹れたいと言ったイルの言葉を理解した風ではなかった筈だ。あっさりと店主が種明かししたところによれば、蛙老人の本屋で龍語に関する本を手に入れて勉強したらしい。
「実践をしておりませんので不安だったのですが、無事に受け答えができるようで安心いたしました」
何とも勤勉である。プレイヤーの学習速度はシステム上異常な速度であるが、彼は住民だ。ほんの十日でマスターするには相当な努力が必要だったに違いない。
「うーでもな、決めた! 胡桃のパウンドケーキセットって言う奴が良い」
「かしこまりました」
店主は柔和に笑んで、イルからメニューを受け取った。厨房へ戻っていくのを見送って、私はステータスを開いた。
「イル、カリスマさんから聞いた話を覚えてるか? レイド級の魔物の手がかり」
「水を使ってたっぽいってやつ? 水浸しだったからそりゃわかるよなー」
暢気にイルが返してくる。視線はちらりとこちらに来たっきり厨房に釘づけだ。甘いものも好きなのだろうか。
「そうだな、それで。イルの攻撃手段が『威力のおかしい水魔法』と尻尾しか無いことはわかってるか?」
ゆったり揺れていた尻尾がぴたりと止まった。これは全く気づいてなかったな?
「しばらく、水魔法は使用を控えてほしいんだ。その代わりに新しい魔法を覚えないか」
控えるの辺りで絶望した顔が希望で明るくなった。話は最後まで聞きなさい。早とちりして悲しまれても困る。
「そっか! そうだな! 良かった、戦うなって言われるのかと思ったぞ」
ニッコニコのイルとステータスのスキル習得欄を覗き込んだ。適正か何かあるのか、魔法の欄には【風魔法】【雷魔法】【樹魔法】【無魔法】の4種類しかない。
【無魔法】はまず習得に50スキルポイント必要なので除外。【樹魔法】は、植物をどうやって攻撃に使ったらいいか想像できないとのイルの言により却下。残りは【風魔法】と【雷魔法】だ。どちらも10スキルポイントなので習得できる。
「どっちにする?」
デザートで悩んでいる時と同じ顔をしたイルに水を向けてみる。このままでは店主を待たせてしまう、もう支度が出来ているようなのだ。さっきから何度かこちらを窺う気配を感じている。
「んー、でもな。よし決めた! 両方取る!」
まさかの決断を下したイルがすっきりした様子でステータスウィンドウを閉じた。
「やっぱ風で切り裂くのもかっこいいけど雷落とすのも負けてないからな!」
格好よさが選択基準だったのか。ご機嫌のイルの前に店主がケーキセット※妖精サイズを置いてくれる。気を遣わせてしまったな。
「うめ、じゃなかった美味しいぞ!」
ケーキをぱくついて喜ぶイルを孫でも見るかのように見つめる店主。実に和やかな空間である。しかし魔法2種類って使いこなせるのだろうか?
会計の際に、お土産でクッキーまで頂いてしまった。恐縮しきりのこちらに、店主は優しくまた来てほしいと言ってくださったのである。料金以上は断固受け取ってくれないし、借りばかり増えてしまって申し訳ない。せめて足繁く通おう。
マントが仕上がるまではイルの魔法の練習もできない。と言うわけで、露店を回って色紐か刺繍糸が売ってないか探すことにした。根付ストラップが作りたいのだ。
露店を出しているのはもれなくプレイヤーなので、何とも統一感のない商品の並びである。何に使うかわからないものが結構あって面白い。豚の頭の皮なんてどうするのだろう?
物珍しく見まわっているところで、イルが足をつついてきた。うん、わかっている。ずっとついてくる魔力が3つある。どちら様で何の用だろうね?
さりげない感じで路地裏に逃げ込み、すかさず飛行で屋根に逃れた。飛行は高さ制限がなくなったので使い勝手が素晴らしく良くなった、MP次第で速度も自由だしとても良いスキルだ。
「あれ?」
路地裏に入り込んで戸惑っている男3人が対象か。折角楽しんでいたのに水を差してくれる。服装からするとガラの悪いタイプの住民のようだ。ひとまず魅了することにした。
上がりすぎたレベルのせいなのか、5秒と掛からず発動した。こっちが驚くほど速い。
「何の用だ」
「いやあ可愛かったんでどっか連れこんでイイことしようかと思って」
馬鹿共の大切なところをきっちり蹴り飛ばしておいた。多分きっと大丈夫だろうと言う事で捨て置く。指示なんぞ与えてないがそのうち気が付くだろう。