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ゴノース森を全員で挨拶して足早に通り過ぎ(今回はドングリンが並んでなかった)、できるだけ急いで移動中である。カストリ女史は途中で疲れたと言いだしたので、現在は私が抱っこしている。女史は身長が半分だし、私は浮いて移動できるので最も負担が少ないのだ。
「抱っこなんてのは子供の時分ぶりだけど、なんって楽だろうね! 熊の弟子なのが惜しいね、馬兼使い走りにしたいくらいだよ」
カストリ女史は大変にご機嫌である。時々匂われるのだが、その度にイルがカストリ女史をデコピンして止めてくれるのでもう彼女のおでこは赤まだらである。痛そうだ。
「全くいやに居心地が良くって困っちまうね。僕こそは至高にして孤高の調毒師だと言うのにさあ……」
毒づきつつ人を嗅ぐのはやめてほしい。さて、このペースで行くと日没前にはクーの街に着くだろうが。ジッドレ氏にどうやって会おうかと言うところである。約束は明日だし、かと言って急に家に押しかけて本当に毒だった場合は犯人に警戒されてしまうし。
と、グレッグ先生が道の真ん中で立ち止まった。クーの街へはこのまままっすぐ行けばいいだけなのに、なぜか左方向を向いている。そっちはロックな街、ではなくてロックの街ですよ?
「辰砂君、アンカトル伯爵とは面識があったよね。サンクヌフ侯爵はどうかな? これから立ち入りの挨拶をしておかないといけないんだけど」
「いえ。私は特にお会いしたことはないですね。ところでアンカトル伯爵に会った話、どうしてご存知なんですか?」
質問に答えつつ、ちょっと嫌な思い出を反芻する。あれは見事にしてやられた、いくら直営の農場だからって、早朝から伯爵本人が出てくるなんて思わないだろう。通信できる鏡なんて反則だ。私の内心はともかく、先生は一つ頷いてロックの街の方向へ進み始めた。
「僕、定期的に伯爵閣下とはやりとりしているんだ。まあ伯爵領は概ね平和だからね、だいたい近況の報告をしあってるような感じなんだけど。素敵な付加守貰っちゃったって自慢されてね。後はかき氷屋の話とか、硝子素材集めとか塩漬け依頼の話とか。色々聞いたよ。活躍してるみたいで、僕も鼻が高いよ」
おおなんと言うことだ、知られたくない話がバンバン先生に通ってしまっている。付加守はまあいいけれど、かき氷屋の話なんてなんで伯爵に話が回っているんだ? あれはヨンの街の冒険者ギルドの中で完結した話のはずなのに。
「あれ、知らないかな。閣下の長男はニーの街の憲兵統括、次男がヨンの街の冒険者ギルドマスター職に就いているんだよ。後継修行で外部に出しているんだ」
「ああ、あの人が、ご子息なのですね」
そう言えば、冒険者ギルドの階級上げの時にそれっぽいことを言っていたような。あー、伯爵令息を簀巻きにして猛烈に足蹴にしたのか、私。しかし本人にとっては恥ずかしい話のような。負けたくだりは省いて報告しているのかもしれないな。
あまり話したくない気配を察してくれたのか、グレッグ先生は話題を変えてくださった。
「それで、伯爵閣下はもう辰砂君のことをわかってるんだけどね。サンクヌフ侯爵はそうじゃないから、この機会に面通ししておこうと思って」
グレッグ先生の言葉を聞きながら少し速度を上げた。先生が少し足を早めたからだ。面通し。伯爵は勝手に知り合っても支障がないが、侯爵はそうでないという事か。
「私が先生の弟子だと示す為ですね」
私の返事にグレッグ先生は目元を緩めた。
「辰砂君は元いたところでもこういう世界と縁があったのかな。察しが良くて助かるよ。侯爵は所謂やり手でね、あまり強引なことをされても困るから。僕の庇護下にあるってきちんと教えて上げなければね」
なんとなく物騒な笑みを向けられて、それには無言で微笑み返しておいた。因縁のありそうな人物の元に向かっていると思うと若干気が進まないが、後々面倒を抱えるのも嫌である。
「なんだろ、なんかされた事があるみたいですね?」
「みたいじゃなくてされたのさ。間抜けにも愛弟子を盗られちゃったんだよ。だから熊は過保護なのさぁ」
せっかくイルの歯に衣着せぬ物言いを二人して流したのに、カストリ女史が反応してしまった。イルは目配せで口を閉じたがまた暴露話を始めそうな気配を感じ、私は唐突に10m程度のジャンプを繰り返しながら進む気分になった。なあにちょっと悲鳴は聞こえるが、気のせい気のせい。先生が言わないことを勝手に喋ろうとするからこうなるのだ。