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肩を押すようにされて椅子に座り、不信感を前面に押し出したトウエモンは、逃がす気が無い為立ち塞がるようにした私を睨んだ。空気が読めるイルは戸口を抑えてくれている。
「まずは確認からですね。真裏のお家の虚弱なお母様に丸薬を調合したのはあなたで間違いありませんか」
人違いだったり、調合は別人がやっていたりしていないかを尋ねる事から始めた。トウエモンはそうだが、と答える。大変に不服そうだ。
「あの丸薬がどんな効能を持っているか把握していますか」
「当たり前だろう。蜜女王の乳が抜けてはいるが総合栄養剤だ、力及ばずとも食い止めるくらいの作用はある筈だぞ」
迷うことなく言い切ったトウエモンを観察する。嘘をついている風でもないし、自分の作った薬の効果が解らないのか。
「あなたは【鑑定】技能をお持ちですか」
「いや、だが手順書に従って作っているんだ、別の物なんかできる筈がない。当たり前の事だ」
手順書通り、ねえ。材料が一つ抜けている時点で前提条件が崩れていることには気付かないのか?しかしちょっとその手順書には興味があるなあ。
「もしよろしければその手順書を少し見せて頂きたいんですが」
「代々伝えてきた秘伝の手順書だぞ、そんなホイホイ見せられるわけないだろうが」
馬鹿かと言わんばかりの吐き捨てようであった。ま、そうだろう。そこを何とか見せてもらうべく交渉しようか。
「しかしあなたが彼女に飲ませていた薬は毒でしたから、私としても確認もせずに放置することはとてもできません」
彼の作品が毒だと伝えると、トウエモンは顔を赤くした。大いに彼の矜持は傷ついたらしい。
「馬鹿にするなよ!材料一つ抜けただけで薬が毒に変化するわけないだろう!」
放っておくと殴り掛かってきそうである。そうすると彼の命が危ないので、糸にて椅子に固定することにした。立ち上がれないことに気付いたトウエモンが喚くが聞き流す。
「そう言われても、私も【鑑定】をかけてみるまであれが毒だとは思いもしませんでしたよ。薬師として生きている者がまさか、ゴミみたいな毒を売っているなんて――調薬師を馬鹿にしているのは、ねえ、どっちですか?」
思ったよりも低い声が出てきてしまった、落ち着け私。一つ咳払いをして気を取り直し、私はトウエモンを見下ろした。
「私はあなたの薬の製法がわかりませんので、本当に材料が足りなくて毒に変化したのか、ただ単に毒を作って売りつけていたのか判断が出来ません。その為にもできればその手順書と言う物をお見せして頂きたいのですがね」
トウエモンは喉の奥で何やらくぐもった音を鳴らしたが、それは口から出てくることはなかった。深呼吸を何度か繰り返し、何とか平静を取り戻したらしいトウエモンは奥の部屋の本棚にある、と言った。
「だがその全てを見せるわけにはいかん、飯の種なんだからな。メイさんに渡した薬の頁を開くからそこだけ見ればいい」
「あなたを自由にして、抵抗でもされたら問答無用で憲兵に突き出さなければならなくなります。椅子ごと移動させますので、どの本の何頁か教えてくださいね」
何言ってるんだこいつ、と思ったのが顔に出たのかトウエモンはまた顔が怒っていた。どうも苛立つと社会人的ポーカーフェイスが下手になる癖は治らないなあ。ともあれトウエモンごと椅子を浮かせて運搬。まさか抱えられることなく運ばれるとは思ってなかったらしく、小さな悲鳴が聞こえた。
「何段目のどちらから何番目ですか?」
「……3段目の右から5番目だ。頁はいくつだったか、……24だと思う、ちょっと開いて見せてくれ」
該当する糸綴じの本を――この形式の製本は∞世界で初めて見た――取り出し、右からめくって24頁を探す。開いてトウエモンの方を向けると、内容を確認するように視線が動いて頷いた。
「それで間違いない」
「そうですか、それは残念です。ああもういいですよ、自分で探しますからあなたはしばらく眠っててくださいね」
字が読めないとでも思ったのかこの男は。まるきり違う内容の頁開かせといて何が間違いないのか。一応【魅了】にかからないように気をつけたのに、つまらない気を使うんじゃなかった。普通に睨んで10秒程でトウエモンは脱力した。
「さてと、これ10冊以上あるのか。達筆だな」
縦書きの筆文字で記載された和装本をぱらぱらっとめくる。いくら漢字で書かれていても解読すら困難そうだがここは∞世界、自動翻訳は当たり前の素晴らしい世界である。
「辰砂、読むのは良いんですけど先に要る情報をまとめてからにしてくださいね。後から調べ忘れたなんて洒落にならないんですから」
イルは薬臭いせいかこの部屋には入ってこなかったが、それでも鼻をつまんで注意してくるあたりどれだけ私が移り気なのかよく分かっている。多分そう言う事になる気がするので、大人しく従うことにした。
「トウエモン、メイさんに渡した薬の手順は本当は何頁なのかな」
「第6巻、110頁です」
ちなみに先ほどのは第7巻の24頁である。この野郎。