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帰り道に色々考えた結果、ポーション瓶8本と3分の1ほど集めた蜜女王の乳ではあるが、端数分、3分の1だけ入った瓶を提出するにとどめることにした。だって極々稀にとか微量にとか言っていたのに数時間でそれだけ集めてきたら、間違いなく大騒ぎされる。
もう受付嬢たちが驚いたときに大声を出すのはデフォルトなのだと諦めることにした。人の名前や使う武器、スキルなどは絶対口外しないらしいのだが、二つ名はその限りでないそうだ。あだ名も含めておけよと思ったのは私だけではない筈である。
端数の瓶だけを握りしめてギルドに戻ると、期待と不安がないまぜになった顔の受付嬢と目が合った。ううん、あなたが期待する量ではないかも知れませんが一応見つけてきましたよ。
「……どうでしたか」
祈るように両手を組んだ受付嬢に迎えられ、私は無言で口に人差し指を立て、ポーション瓶をカウンターの上に置いた。3分の1と言う微妙な量が彼女にどう受け止められるか観察する。
彼女は私のジェスチャーに不思議な顔をしたが頷き、カウンターの上に目をやって息を呑んだ。声が出そうになったのか口を手で押さえて瓶の中身を凝視した。見開いた目からぽろんと涙がこぼれてこっちがびっくりする。
「すみません、場所を変えたいんですがどこかお借りできますか」
何だかただならぬ様子を察知した他の受付嬢に尋ねてみると、快く応接室を貸してくれた。酒場のテーブルにしなかったのは滝のような涙を流す受付嬢の為だろうと思う。
しばらく声も出さずに泣きまくる受付嬢に無言で糸ハンカチを貸す作業を繰り返した。3枚目のハンカチがべしょべしょになった辺りで受付嬢は泣き止んだ。
「ず、んん、すみませんでした。お見苦しいところを」
少しばかり鼻声ではあったが受付嬢は姿勢を正してこちらを向いた。もう大丈夫そうだ。
「いえ」
なんと言っていいやらわからず、一言返すだけで口を閉じると受付嬢はもう一度机の上の蜜女王の乳をじっと見つめた。
「この依頼を出したのは私なんです」
うん、まあ、そうだろうけど。例えこれが塩漬け依頼だったとしても、他人の依頼で泣くようでは受付嬢には向かないと思う。言いたくない話かもしれないので、こちらから水を向けるような事はしなかったが受付嬢は自分から事情を語り始めた。
「母は私を生んでからずっと虚弱だったんです。でもずっと私はそれを知らないままでした。知ったのは4年前です」
なんてヘビーな事情だろう。サンの街と言い、ここと言い。依頼には誰かの事情と思惑が絡んでいることを痛感せざるを得ない。
「昔から母は毎日、寝る前に丸薬を飲んでました。子供の私がそれは何か聞くと、母が元気になる薬だと教えてくれたんですね。作っていたのは近所のおじいちゃん薬師でした」
へえ、丸薬なんてあるんだ。私が現在作れるのは水薬と粉薬だけである。感心しつつ続きに耳を傾けた。
「4年前に、おじいちゃん先生が亡くなって。息子さんに同じ物を作ってもらおうと思って頼んだら、材料がないから無理だって言われて……別の薬を渡されて。それから、母は段々弱っていっています。もう今年に入ってからはベッドから降りた記憶がほとんどありません」
足りないのが蜜女王の乳だったと言う事だ。とは言え本当にこれだけでそんな劇的に元気になるのかは甚だ疑問である。こここそゲームだからと言う事で片づけるべきなのだろうか。
「でも、辰砂様が集めてきてくださったから母もきっとよくなると思ったらなんだか物凄く込み上げてきちゃって。本当にご迷惑をおかけしました」
深々と下げられた頭を上げてもらうように頼みつつ、私の内心は荒れていた。首を突っ込むべきか、逃げるべきか。面倒事は嫌いだが、しかしオリオンの顔が浮かび上がる。わかったよ、今日は人に優しくするよ。
「もしもよろしければ、お母様の所を訪ねる許可を頂けませんか」
「え?」
私の申し出に驚いた様子の受付嬢。ごもっともである、私が調薬師だと知らないのだから。隠しときたかったのに……早くも挫折である。
「私も調薬師なのですが、まだまだ精進が足らないので。もしよろしければお母様の診察などさせて頂ければと、もしかしたら何かしらの助言ができるかもしれません」
大嘘である。私はあくまでも調薬の方法しか知らない。お母様を見つめたところで何もわからない。そう、お母様を見つめても駄目なのだ。
「ああ、そうなんですか。そうですね……そう言う事でしたら構いません」
優しい受付嬢を思いっきり騙しているので大変心苦しい中、お家の地図を書いて貰って私たちは別れた。イルの物言いたげな視線を受け止めて、私は道を進む足を止めた。
「……辰砂はお医者さんじゃないですよね。今度は何をするんです?」
「まだ、何をどうするとかは全然決まってないんだけど。なんかちょっとおかしいと思ってさ」
イルの質問と言うよりは確認に近い声に、我ながらあやふやな答えを返してストレージから蜜女王の乳を取り出した。改めて鑑定をかけ、結果をもう一度読み直す。
『蜜女王の乳 等級Ⅳ/品質A 伸縮蜜蜂から極稀に手に入る粘りのある液体。非常に栄養価が高いので滋養強壮に素晴らしい効果を発揮するがとても酸っぱい。1滴摂取毎にHP及びMPを100回復する。また一度に1匙摂取毎に35%の確率で病系状態異常を治癒する』
鑑定結果を音読すると、イルも変な顔をした。実に察しが良くて何よりである。
「別に摂取を止めたからって衰弱するような物体じゃない気がしてさ」
「そうですね……でも他の薬草類がいい仕事してたとか、いや、そしたら材料が足らないなんて話にはならないか」
そうなのである。なんで、これが無くなっただけでお母様が体調を悪化させ続けるのかが全く分からないのだ。物凄く腑に落ちなくて、躊躇いはあるが首を突っ込むことにしたのである。
「まあ案ずるより産むが易しとか言うし。とりあえず行って調べてみよう」
「そうですね。どうにも困ったら先生を頼っても良いですしね、まずは情報集めが基本だと主神も言ってました」
……至極真っ当なことを言っている筈なのに、出典が『かみこい!』だと急に信憑性が薄れるのは何故なのだろうか。