176
「ひゃああああ!」
現在洞窟内をゆっくりめに飛行中である。やっぱり洞窟に着く前にダウンした坊やを抱え上げ、安心させるべく微笑んでから【飛行】を使ったのだが洞窟に入ってからずっと叫んでいる。
「うわああああ!」
あ、そうか。私は【夜目】を、イルは【龍眼】を持っているので暗闇でも全然平気だけれど坊やは何も見えてないのか。そりゃ怖いに決まっている。
「イル、一旦停止しよう」
先導のイルに声をかけて一旦空中に停止。いい加減な白魔石を一つ取り出し、ペンで『光れ』と書き込んで坊やに渡した。
「はい。灯りがあれば怖くないでしょう。よしイル行くぞ」
さあ行こう。再び【飛行】にて洞窟内を突破する。さっきから蜥蜴と蠍のドロップがアイテムボックスに溜まっているが、これは全部イルの仕事である。私は精々イルに繋いだ糸が切れない様にするくらいの事しかしてない。
「ちょおおおお!」
なんか叫び方が変わったなあ。でも出来れば静かにしておいてもらいたい。洞窟内で騒ぐと反響するのだ。坊やの肺活量がたかが知れているのが幸いである。
「くまああああ!」
叫ぶほど熊ちゃんの事を気に入ってもらって何よりだ。帰りにでも欲しがれば譲ってあげよう、どうせもう使うことはない物だし。
さてそして再び少年に沈黙が下りてしばらく。思ったより短い道程を経て、私たちは地底湖に到着した。抱えていた坊やを立たせてやり、着きましたよと声をかける。あれ、知らぬ間に白魔石の光が切れていた。等級が低いとこんなもんか。
「は……え?着いたの?ここどこ?」
坊やは一生懸命周りを見渡したが、生憎ここには光が届かないので何も見えてないようだ。松明を持たせるとこけたときが怖いし、仕方ない。私が松明を持ってやる。
「わ……これ、泉なのか?初めて見たぞ」
松明の光量も大したことはないのだが、それでも近くの水面が見える程度には役立った。
「泉より大きいですから、これは湖ですよ。地底湖と言うのです」
初めて子供らしい顔をしている坊やの勘違いを訂正してやると、上の空で頷かれた。あれ、この子もしかして素直なんじゃないのか?
「どうして砂漠にこんなに水があるんだ?砂漠は暑くて水が無いって本に書いてあったぞ」
「砂漠には砂と石と岩しかないでしょう?だから砂漠の表面には水が留まれないのです。だけど地中の深いところには水がある事があるのです。何処にでもあるわけではありませんがね。ここもそうした場所なのではないですか?私もそれほど詳しくありませんが」
坊やの疑問にざっくりとではあるが答えてやると、坊やはそうなのか、ともう一度頷いた。
「この湖の底に砂漠薔薇の滴がありますが、採りに行きたいですか」
さて、地底湖にすっかり気を取られた坊やに本来の用事を思い出させてやると坊やは不安げな顔をした。この真っ暗闇で、水に潜る様を想像したようだ。間違ってないけど。
「ここって……」
「深さがどれくらいかは私もわかりません、何しろ来たことが無いので」
ギルドの人たちも関連資料を沢山見せてくれたのだが、肝心の地底湖の深さはどこにも記載されていなかった。坊やの視線が私と地底湖、イルの間で彷徨った。何だ、ちゃんとわかる子ではないか。自分で採りに行けるような物ではないのだと。
「僕は……泳げない、から、砂漠薔薇の滴は採りに行けない」
一人できちんと正解を導き出せた坊やの頭を撫でてやる。ついでに松明の方向を変えてイルの方を照らし出した。
「ぅわひゃあ!」
坊やの変な声は無視である。イルが音も無く戦っていたものだから気付きもしてなかったので、ついでに事を正しく認識させてあげることにした。
「坊やはあの蠍を一人で倒せますか?あそこで戦うイルのように」
薄々気付いていたのだが、イルは虫の類があまり好きじゃない。足が多い奴。触りたくないと思っているのが丸わかりである。指先から長く水を伸ばして5本の腕みたいに使っていた。
「っ、こ、怖いからっ、できないっ」
はい、また正解。まず戦う気概が持てないうちは何にも勝てない。尤も気概を持てたとしても、体力的にも街中を歩いて息が切れるようでは、ファングラビットにも勝てるか怪しいところであるが。
「そうですね。だからイルが代わりにああして戦っています。既に100匹近く蠍と蜥蜴を倒しています。坊やの欲しい物は、それらを超えた先にあるのですよ」
「ひゃ、ひゃく……」
砕いても砕いても、松明があるからなのか蠍と蜥蜴は寄ってくる。これで水中には魚型の魔物がいるってんだからもう面倒臭いの一言である。しかし、魔物が死ぬ時の光が坊やには見えてないようだ。灯りが届かないところの魔物が光になっても全く視線が向かわない。プレイヤーにしか見えないものなのだろうか?
「それで、どうして砂漠薔薇の滴が欲しいと思ったのですか」
見る間に粉砕されてゆく蠍と蜥蜴、それをものともせずに更に現れる同種の魔物達に怯える坊やに声をかけると、坊やは何故だか縋るような顔をした。
「ほ、本で読んだんだ!闇の中で光を集めて育つ薔薇が育む奇跡の滴は虹に煌めいてどんな願いも叶えてくれるって!」
願いときたか。ギルドではそんな効能は認識されてなかったが。ひとまず何も言わずに坊やの背後の蜥蜴を刻んだ。
「この間の森の奥の蔓も、その前の山のてっぺんの泉も、絹蜘蛛の糸で編んだ腕輪だって全部嘘っぱちだった!願いなんか叶わなかった!でも砂漠薔薇の滴なら叶えてくれるかもしれないって思ったからっ」
半泣きの坊やがそんな事を喚いて、大声で泣き始めた。ううん、これだから子供って私は苦手なのだ。ごく狭い世界しか知らないが故の必死さと言うか。やれやれ。