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面積が4倍になったから費用も4倍、にならないのは建築業界の常である。いや、業界人ではないけれど。広がればそれだけ設備が増え、道具が増え、収納の必要もいや増すのだから加速度的に費用はかさむのである。


サイプレス氏にもうちょっと良いやつどころでは無くグレードアップされてしまいそうになり、慌てて限度額は3000000エーンだと伝えた所酷く消沈させてしまった。一体私からどれほど搾り取るつもりであったのか末恐ろしい。


まあ、なんだかんだ私も蒸し器が欲しいとか保温庫はキンキンに冷たいのから熱々を保つ状態まで5段階に分けられてかつ併設でそれぞれある程度のスペースをとって内部に仕切りを入れて沢山入れられるようにとかオーブンはこの辺に大き目のをとかついでに部屋でも使える小さい火鉢も欲しいとかそうなると焼き網とか火箸も欲しいだとか。結構な要望を伝えてしまったので本当に収まるかどうかは自信が無いところである。


「辰砂って凝り性ですよね、前から思ってましたけど」


台所の設計で盛り上がる私達を尻目に、イルはのんびりアルフレッドさんの所に行ってきたらしい。私も行きたかったのだが、なにしろ予定を最初に変えたのは私でもあるしお土産にブランデーっぽい香り漂う素敵なパウンドケーキを貰ってしまっては文句も言えない。それも貰ったのではなくちゃんと買ってきたというのだから、イルの成長には舌を巻く他ないのである。


「ううむ、美味しい……」


そう言うわけで現在、私達は焼き魚と藻塩亭の部屋に戻ってきていた。この間は泊まり損ねたが、今日はあの二人組を出し抜いてやったようで気分が良い。そしてイルの淹れた珈琲とブランデーケーキの相性が凶悪過ぎて唸ることしかできない。


「アルフレッドさんが最近見つけた蒸留酒を使って作ったんですって。辰砂が好きそうな気がするからって勧めてくれたんですよ」


アルフレッドさんの有能さが天井知らずである。と言うかあそこでデザートを食べた事はなかった筈なのに何でわかったのだろう。確かに好きだが不可解だ。


「珈琲との相性も尋常じゃなく良いし、何より美味しいよ。イルも地味に上達してるよな」


ここ数日は左千夫君と修行していたので珈琲タイムが取れていなかったせいなのか、尚のこと美味しく感じるのである。重たい甘さと優しい苦さの組み合わせはお互いを引きたてる気がする。


また急に角の付け根を揉み始めたイルは、しばらくの沈黙の後にそう言えばと言いだした。


「帰り道にお洒落した猫と会いましたよ。ブーツを履いて、洒落た帽子も被って、腰には細剣レイピアなんて佩いて。小生意気に睨まれたので鼻で笑っておきました」


「なんだその可愛いの」


何だその可愛いの。思考が追い付かない速度で口が動いた。イルが若干たじろいだが、その後不満そうな顔をする。何故。


「あんまり可愛く無かったですけどねえ。脚も短かったしチビだしそれに俺睨まれたんですよ……でも見たいんですね」


不服そうな顔は反論する途中で力を失い、諦めの表情へ移り変わった。どうも私の目か顔かが思いを語ったようだ。だってそんな猫ちゃんを見ないなんて人生を損しているとしか思えないのである。


「言うんじゃなかった」


「え?そっちにいた?」


「いいえ!そこの角を右です、もう!」


何やらむくれた風情のイルに案内してもらいつつ、すぐさま猫ちゃんを目撃したらしい区画へ移動。目を皿のようにして探したが、猫ちゃんの足跡どころか影も見つからない。ああ、もうどこかへ行ってしまったのだろうか?


道の突当たりまで進み、視界が開けた。丁度正面にあるのはちょっとした広場である。そこにもやっぱり猫ちゃんは見当たらない。がっかりしつつ戻ろうと踵を返すと、広場に入る時には死角だった店が目に入った。


『ごろにゃんカフェ』と洒落た字で飾られた看板と白と明るい色の木材でまとめられた店舗。小じんまりした店の正面殆どを占めるのは、∞世界では珍しい総ガラスのショーケースである。思わず近づいて覗き込んだ中に飾られている焼き菓子は、その殆どが猫モチーフだった。


「か、可愛い……」


もう可愛い物にはしゃいでいい年齢は過ぎ去ってしまっているけれど。猫だらけのこの店は些か反則気味ではなかろうか?隅の方にはやはり猫モチーフのカップや文鎮やが慎ましく陳列されている、ああ、可愛い。見つめてしまう。使う予定はないけどこの猫の柄の匙が欲しい――


「猫、お好きなんですか」


ん?不意に聞こえたのはいかにも中性的な声である。男とも女とも判別できない声に私は思わず振り向いた。そこに立っていたのは、想像をはるかに上回る猫ちゃんであった。


薄茶と純白の縞々毛並みが艶々と輝いて、長い尻尾はしゃんと立ちつつも先端は僅かに遊んでいる。素敵なハットから突き出た耳はぴんと立って、今はこちらを向いている。雄弁そうな琥珀色の瞳がきらきらと輝いて、光の加減か少しばかり開いた瞳孔には間抜け面の私が映っていた。


茶白の猫ちゃんは理想的なアーモンドアイを甘やかに緩めて口を開いた。つられて立派なおひげが揺れる。


「お嬢さん、僕はあなたの愛を受け止める準備ができてます。思うさま僕を愛でてくれていいんですよ、さあそのたおやかな指で僕を撫でて、華奢な身体で抱きしめて、可憐な唇で口付けを――」


「生憎!辰砂が興味あるのは可愛い猫ちゃんであってエロ惚け猫は守備範囲外ですからお前には用事ありません!」


猫ちゃんが腕を広げて穏やかでない誘い文句を述べ、途中でイルが遮った。ああ割り込まれてしまったので猫ちゃんが見えない。


「はっ、嫉妬なんて見苦しい事ですね。御覧なさいお嬢さんのお顔を、僕の可愛さとフェロモンに陶酔しきりじゃありませんか!わかったら角男はすっこんでなさい、はん!もふもふもできないくせに」


「嫉妬ですって!?そんなわけないでしょう俺は辰砂が悪い猫に騙されないように心配してるだけなの!従ってお前はお呼びじゃないんです!もっと可愛い奴を出しなさい!」


「この僕より可愛い猫なんかこの世界に存在するわけないでしょ?その眼は色以外取り柄が無いんですね!それに手に肉球も無いし爪は出しっぱなし、おひげも無けりゃ尻尾も無いし、まったく魅力に欠けてるじゃありませんか!ご主人様を取られたくなくて必死なのが尚更格好悪いですねえ」


「なっ――」


「ちょっと、良いかな?」


猫ちゃんに言い負かされてイルが鼻白んだ。その隙に私が割り込む。


「君は確かに物凄く可愛いけど、イルは物凄く綺麗なんだ。魅力の方向性が違う。もふもふの魅力と滑らかな鱗の魅力も違う。だからね、君」


ここはちゃんと仲裁しておかねばなるまい。イルの影から抜け出して、私は猫ちゃんの前にかがみこんだ。


「私のパートナーを謂れ無く貶す様なことは許さないよ。たとえどれほど君が可愛いかろうと私はイルを選ぶんだ。次は無いからね、ちゃんと覚えていてね」


――可愛い猫ちゃん、と締めくくると、猫ちゃんはなぜかへたり込んだ。あれ、どうしたのだろう。ぷるぷるしている。


「あーあー……だから言ったじゃないのダレンちゃん。NTRごっこはしっぺ返し食らうって」


第三者が猫ちゃんを抱きあげながらぼやくまで数分、どうしたらいいのかわからない空間が保たれていたのであった。


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