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「調理器具なら8番目の弟がやってるから紹介状書いてやるよ、ちょっと待ってな」
果たしてフェンネル氏は期待に応える男だった。さらさらっと適当な感じで書き上げられた封筒に実にいい加減な感じで封蝋を施し、フェンネル氏はそれをくれた。
「サイプレスってんだ、3区画向こうの青い屋根の工房だからな。贔屓にしてやってくれや」
8番目の弟と言うのが気になって突っ込んでみたところ、フェンネル氏は驚異の13人兄弟の次男であった。名前と得意分野を教えてくれようとしたけれど、全然覚えられる気がしないので丁重にお断りした。必要に応じて紹介してもらう形で行こうと思う。
「ありがとうございます。早速伺います、それと調薬道具を新調したいのですが」
「あ?グレッグ仕様より上が要るってのか?他所の領地に行くんでも無きゃ要らねえだろ」
フェンネル氏の言うとおり、グレッグ先生とおそろいのグレードの調薬道具は現状では申し分ない性能を発揮している。うーんけれどもやっぱりいずれ追加されるアップデートのことなど考えると、お金があるうちにより良い物にしておきたい。
「資金に余裕があるうちに、可能な限り良い物を揃えておきたいんです。フェンネルさんなら間違いないと思いましたのでご相談に伺いました」
私の言にフェンネルさんは少しばかり難しい顔をした。気が進まないのか、別の理由があるのか。
「技術的には何ら問題ねえが、材料がちっと足らねえ。ガラスの材料が高騰してるのと、石材だ。今の薬研は硬軽石だったな。あれはここらじゃ扱わない薬材と相性が悪い。硬金軽石の一抱え位ある奴と、硬金重石の人の頭大の奴が要る、が。ありゃあハッチの街から東に大分行かねえと取れん。今サンク・ヌフ侯爵領との関所は封鎖されてっからなあ……諦めろ」
ハッチの街……8番目の街だろう、安直なネーミングのおかげで推察が容易い。サンク・ヌフ侯爵領と言うのは初耳である。確かどこかでアン・カトル伯爵領と言うのは聞いた事がある筈だが。
「すみません、地理や領地には詳しくないんですが。この辺りはアン・カトル伯爵領ではないのですか」
「ああ、そうかお前さん来訪者だからな。そうとも、ここニーの街の領主館にいるのがアン・カトル伯爵様だ。領地内にあるのはイチ、ニー、サン、ヨンの街だな。ゴー、ロック、ナナ、ハッチ、クーの街を納めてるのがサンク・ヌフ侯爵様ってわけだ、なんでだか知らんが街道がしばらく前から封鎖されちまってるんだけどな」
封鎖の理由は私たち的にはアップデート待ちなのだが、住民側には違う理由でとらえられているようだ。当たり前か。しかし、そうなるとグレードアップは難しいか。ガラスの素材は掃いて捨てるほど持っているが、先約があるし。
「それではどうしようもないですね。封鎖が解けるのを待ちます。ただ、近ごろ作る量が増えてきたのでグレッグ先生と同じ大きさの道具を作ってもらいたいです、それから実験しやすいようにセット売り程度の大きさのものも一揃い欲しいですね」
メモ帳にアップデート次第やることと領地の話をまとめつつ、改めて要望を伝えると肩をすくめられた。小さいのが30000エーン、大きい方は105000エーンで良いそうだ。大きい方が時間がかかり、4日かかるそうなので、また6~7日後に引き取りに来る旨を伝える。もう明日は平日なのだから仕方ない、半金を前払いして店を出た。
「すまない、待たせた。サイプレスさんの工房に行こうか」
「いいですよ、ちゃんと決めとかないと後でもめますからね。でもこれ以上寄り道しないでくださいね」
ちくりと釘も刺されつつ、青い屋根を目指して移動する。こじんまりした規模の工房であったので見つけるのに少し手間取った。金物類は委託しているのかもしれないな。
「らっしゃい。うちは一見さんお断りだよ」
丁度戸を開けて何かを運び込んでいたフェンネルさんそっくりの中年男性が振り返った。挨拶が遅れてしまったので急いで頭を下げる。
「こんにちは。フェンネルさんに紹介して頂いてまいりました辰砂と申します。調理器具を作っていただきたくて、こちらが預かってきた紹介状です」
「2の兄貴が紹介状なんか書くかよ、あの面倒臭がりが……本物じゃねえか。はあ……グレッグさんとこの愛弟子で、お得意様だ?調薬師が何だって料理なんか手を出すんだよ」
もろに疑いの眼差しを向けられてしまうが、特別な理由があるわけでもないので正直に話す。疑いの眼差しが変な顔に変わっただけだったが。
「来訪者ってのは何考えてんだかわかんねーなあ。5人分程度の携帯用が一式と、持ち運びは考えなくていい、料理屋程度の設備と道具、小物類一切合財が欲しい、関連する魔法道具類は手前で用意できるが要る物を書き出せ……こんなもんだったか?」
「それと、作りつけられるものならばこちらで用意する小屋の中に設置してほしいです。お願いしたいサイズの小屋は今用意しているので場所さえあればお見せしますが」
あの小屋をアップグレードする時が来たようだ。サイプレス氏が裏庭があると案内してくれたので、そこで小屋を展開する。展開した拍子に庭木の枝を3本ばかし折ってしまって謝る羽目になった。後で直しておきます。
「変わった野営セットだな。箱じゃねえのか。……ここが台所か?ちょっと採寸させてくれ」
てきぱきとサイプレス氏は各所の採寸を行った。搬入は縁側からすれば少々大型でも問題ないようなので考えやすいとほくほくしている。
「面白え、一般家庭並みの小型さと料理屋並みの設備を両立させるのか!こりゃ難題だ!」
全然困った風でないサイプレス氏であるが、おっとそう言えばもう一つお願いがあるんだった。
「あの、作業台はこれを使って作成して頂きたいんですが」
もうこちらをそっちのけで設計し始めようとするサイプレス氏であったがその前に材料を渡しておかなければ。急いでストレージから大理石の塊を引っ張りだす。
「ええと、大きいのはこれだけですね。もっと必要ならもう少し有りますが――」
「こんなに要らねえよ!と言うか折角出すなら作業場に出してくれ」
目をひん剥いたサイプレス氏に叱られて、作業場で大理石を出し直す羽目になった。工房の店舗部分は商談にしか使わないので戸が小さく、とても搬出できないそうで。納期は2週間、工事費込で400000エーン前後を見込むようにと言われてしまった。財布が空になってしまいそうだが、ガラスの素材はいくらで売れてくれるだろうか?イチの街に行くことにしよう。