162 決着
左千夫君は実に優秀な生徒だった。元々使っていた暗器類、私が渡した罠の類は巧みにアイテムボックスから飛び出してくる。PKホイホイが体のあちこちにくっついたレンははっきり言うと中々無様であった。
「お前誰なんだよ」
苛立った風のレンが何度か左千夫君を誰何しているが、当たり前だが左千夫君が応えることはない。かつて同じクランに所属していた間柄だ、手の内が僅かでも悟られるのは全く歓迎できない。
レンが使うのは、非常にポピュラーな形の長剣だった。普段通りの武器ではないのだろう、時折何も持っていない左手が腰の辺りを彷徨う仕草が見られた。2刀流か、別の何かを持っているのかはわからない。
兎獣人の特性を生かした左千夫君がレンの間合いを侵食するのは一瞬だ。アウトサイダーと戦ったことが少ないらしい、レンは明らかに焦っていた。舌打ちしている。
「……しらこ。決着後って俺たちはどうするんです?彼らの世話をするの?」
中々白熱した戦い――私たちの修行はいい線行っていたらしい――を眺めている私に、イルが背後を振り返りながら聞いてきた。私も網に引っ掛かったままの集団をちらりと眺めた。その際クランドと目が合ったのは気のせいではなさそうだ。
「逃げるよ?ずっと残ってた在庫の麻痺消しを置いて行ってあげれば彼らも帰れるだろ」
後の説明までしてあげるほど私は親切じゃないのである。イルもほっとした感じで頷いたので異論はないのだろう。となれば、後は決着待ちだ。ちょっと目を離している隙にレンが左千夫君の右腕を極めていた。ニヤつく顔が相当不細工である。二枚目だったはずなのにおかしいな。
「決まったな。さんっざ手こずらせやがってこの糞ガキ、即死なんかさせねえから覚悟しろ」
勝ち誇ったレンがそう言うと左千夫君の腕を更に捩った。折る気だな。苦悶に歪んだ左千夫君の顔を覗き込んだレンが顔を崩して笑う。なかなかの悪役ぶりである。
「ほら、ほら、ほら!はは、苦しいなら泣いて詫びろよ、殺すけどな!はははっ」
大分本性が表に浮かんでいるレンだったが、左千夫君が睨み付けたのが気に入らなかったのか笑顔が引っ込んだ。そのまま極めた肘に体重をかけていく――折れた、な。
「いさき」
「わかってますよ」
制止の声に非常に不服そうな返答をして、イルはもう一度腕を組んだ。教え子が傷つくのは、わかっていても腹が立つ。初めて知った。これで手を出してはならないなんてとんだ縛りプレイである。ポーションをかけながら足の先から微塵切にしてやりたい。
折れた関節を愉悦たっぷりの顔で眺めたレンだったが、左千夫君が呻き一つ洩らさなかったことが気に食わなかったらしい。不満げな顔で折れた個所を殴ろうと拳を振り上げた。馬鹿め。
「――が、っ」
痛みとダメージさえ無視できるなら、肘が自由になったのは左千夫君にはチャンスでしかなかった。利き手が使えないから、二の腕に何度か回した鎖で代用している。左手でレンの首に鎖を引っかけて支点にし、左千夫君はレンを飛び越えたのだった。体操選手か雑技団みたいな軽業に思わず拍手してしまった。
短い鎖にレンの首が引っ張られる。左千夫君が後30センチくらい背が高ければ、それだけでレンの首は折れたと思うが如何せん体格差はどうしようもない。だからレンが背後の左千夫君を捕まえるべく体を捻ったのは当然の選択だったと思う。
レンは右を向いて体を回転させようとした。左千夫君はそれに合わせて左手側の鎖を離し、振り向きざまに手元のナイフでレンを刺した。がら空きの首に、思い切り。狙ったのかそうでないのか、小さなナイフは骨の側に深く入り込んだ。あれが鉈なら延髄を叩き切れたが、ない物ねだりか。しょうがない。
悲鳴を上げたレンに左千夫君は右手側のナイフも取り出し、のけぞって曝け出された喉仏に深々と突き立てた。喉を前後から刺し貫かれたレンが血走った眼で左千夫君を睨んだ時には、左千夫君は利き手を壊されたときに取り落としたナイフを左手で拾い上げて、もう走り出した後だった。
何もかもが後手に回ったレンは、最終的に眉間から額にかけて大きなナイフを生やした姿で倒れ込んだ。レンが赤い光になっていく様をぼんやりと左千夫君が眺めている。これで一つの区切りがついたのだろうか。私はさっきからどうしてレンだけ光が赤色なのかが気になってしょうがないのだが。
「――しらこさん、いさきさん。ありがとうございました。あなた達がいなかったら僕はきっとやり遂げることが出来なかったと思います」
どういうわけだかレンが光になるのはひどくゆっくりで、ドラマティックな演出になっていた。四肢の先から光になって溶けていく。左千夫君もその光に消えてしまいそうに見えて、私は一歩前に踏み出した。
「言わなかったんですけど、僕は【復讐者】と言う特殊な職業についていました。復讐者は目標を殺したら、消えます。それを承知で僕は復讐者になりました」
そんな条件が付いていたとは。確かに最初からレンを殺す事しか言ってなかったが、あれはつまり消える前提の話だったと言う事なのか。赤い光にいつの間にか青い光が混じり始めていた。
「お二人には感謝してます。お二人を見てたら、消えるのがちょっと嫌になってきて正直困っちゃいました。僕らもそんな風になりたかったから。楽しそうで、大人で、ぶれなくて」
左千夫君は照れ臭そうに頬を掻いた。その指先が溶けていく。黒い飛行服もゴーグルも、青く光って消える。
「――さよならです。僕……少しは良い声、出せてましたか?」
返事は期待してなかったのか、言い終わるや否や左千夫君は微笑みだけ残して消えてしまった。言い逃げされるなんて初めてである。
「……わかってた、のか」
居ない相手に何を言うことも出来ず、私はそれだけ言うに留めたのだった。