104
さて、部屋に引っ込んだ現在、イルは真剣な顔で小鍋を見つめている。初心者調理セットの中に薬缶はなかったが鍋があったのだ。計量カップでノース山の湧き水を量って現在沸かしている最中である。
ちなみに秤は手に入っていないのだが、アルフレッドさんが豆と一緒に計量スプーンを一つ下さっていた。個人で楽しむならまずはこれでも充分なのだという。
小さなミルをがりがりするイルはとても嬉しそうだ。可愛いもんである。そしてやっぱりアルフレッドさんの手際は魔法レベルであったことがわかった。ハンドル10回転で済むわけないのである。
良い匂いを立ち上がらせながらなんとか挽き終えたイルがプレスに粉を納める。それは後で掃除しておきなさいね。沸騰しすぎたお湯を火から下ろして一呼吸置き、素早くプレスに注いで蓋をした。
2分経過。プレスの取っ手を押し込んで、イルはカップに珈琲を注いだ。緊張の面持ちである。陶器のカップはやっぱり耐久性に難があるので、木製だ。
「はいどうぞ」
カップを受け取って香りを嗅ぐ。普通に良い匂いである。ちょっと飲んでみると、やっぱりだいぶ濃い。イルも顔をしかめた。
「苦っ」
「濃いな。でもえぐくはないぞ」
多分、サイフォンとプレスの抽出法の差であるような気がする。プレスで淹れるなら豆はもっと減らしていいのだろう。
「さっきスプーン2杯と半分だったから、今度は2杯で淹れてみようかな?でも、俺にも淹れられたってなんか嬉しいですね」
早速ミルの掃除を始めたイルは大変に上機嫌だ。仕上がりはどうあれ、とうとう珈琲を淹れるという野望を達成したのだから無理もない。私も大人しく珈琲を頂いて、鍋とカップは洗っておいた。洗浄は私の方が上手いのだ。なんでかと言うと、やはりイルの水魔法は強力すぎるせいである。
全てを片付けて就寝、と言うかログアウト。こんな時はしがない雇われの身が辛い。平日の睡眠時間を削ると先週の二の舞になるので、さっさと寝ることにした。
仕事を終えて帰宅。昨日がっつりやった洗濯物を畳みつつ、焼き魚と藻塩亭のその後を考える。どうなったのだろうか?私も所詮素人で、魚と言えば刺身に煮付け、あら汁だとかの和食ばかりがレパートリーである。醤油がないと話にならないものが多いのだ。
個人的に楽しむなら例の調味料セットで事足りるのだが。そう言えば、品評会がいつあるとか全然聞いてなかったなあ。もう終わったのだろうか?タオルを棚に押し込んでパソコンを立ち上げた。公式HPにイベント扱いで告知でもされてないだろうか。
ブックマークをつけているので公式HPには数秒でつながる。告知欄を眺めると、第2回ソフト販売の下に第2回武闘祭開催と言うお知らせがあった。前回の優勝者すら知らないが、動画のリンクが幾つか貼られている。それはいいが、開催日は……ソフト販売日の前日。木曜日である、つまり明後日。平日の8時から開始とな。今回も品評会を見に行くことは出来なさそうだ。
残念だが仕方ないか。ついでに動画でも見てみようかな。個人戦とパーティ戦それぞれの準決勝、3位決定戦、決勝戦とスタッフセレクトがアップされている。全部をチラ見出来るダイジェスト版を選んだ。
個人戦が切り替わりながら映し出された。忍者が宙を舞い、騎士が盾と剣で打ち倒す。大きな石の付いた杖を振り回す魔法使い、身の丈以上のハンマーで相手を潰すドワーフ、そしてピエロがニヤッとして終了。最後のピエロは何の為に写っていたんだろう。
続いてパーティ戦。揃いの衣装に身を包むどこかで見たラブリちゃんの親衛隊。左千夫君は選外なのか見えなかった。兄弟なのか、天使と堕天使のそっくりな二人が率いるパーティは魔法を雨あられと降らせている。あれ?少年少女ではないか。実にバランスのいいパーティだ、マリエちゃんがバフを切らさないので実に手堅い。
へえー。ひとの戦うところと言うのは結構興味深いものだ。スタイルは人それぞれなんだなあ。アイテム使用禁止だったのか、誰も道具を使わなかったので、特にポーションが売れるようになったりはしなさそうだった。残念である。
個人戦の優勝者はグレン、さっきの騎士らしい。準優勝が疾風、忍者。3位はドワーフの中のドワーフ、そのままドワーフだ。ピエロの謎は解けなかった。
パーティ戦の優勝者は暁宵の明星。名前からして天使兄弟のパーティだろう。準優勝がBoyS青春GirlS。少年少女だ。何度聞いても残念な名前である。と言うか本当に結構すごいプレイヤーなんだよなあ、話すと普通の学生さんにしか見えないんだが。3位は、一日一歩。一番目を引かなかったチームである。裏を返せば最も堅実であるとも言えるのだが。少年少女たちと傾向が似ている。マリエちゃんのバフの差が順位に現れたのかもしれないな。
ひとしきり感心してからログインした。ちょっと時間を食ってしまったが、今日はシルクスパイダー糸を買い込むこととしよう。