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北の門でカードを見せて、やっと町を脱出できた。とは言え初日だけあってそこらじゅうにプレイヤーらしき人が闊歩している。兎がポップするたび奪い合うように殺されていて気の毒すぎる。見なかったことにして目の前にそびえるノース山へ進もう。
見えるとはいえ結構距離があるなと思いつつ歩を進めること15分。山に用事のあるプレイヤーは少ないのか人影が無くなった。ちょっと横着してしまおうか。
宙に浮かんで【空中移動】を意識する。残念ながら移動スピードが一番早いのが空中移動なのである。地上5メートルの制限はあるものの、道を進む分には快適だ。足を動かさないのに移動できる状態は物凄く落ち着かないのだが、制限時間上仕方ないと言い聞かせながら突き進んだ。
道中の雑魚を糸でひっかけながらノース山に無事到着。所要時間は大方20分か。MPの消費は500程度、全速で1分あたり25消費するということだろう。若干燃費が悪い。糸の操作に関しては、千切れたりしない限りMP消費はないようだ。エコである。
どこかからか工事現場のような音が聞こえてきているが、闘っているか何かしているのだろうと結論付けて私は私の仕事に勤しむことにする。すなわち採集である。
下生えを、識別を意識しながら眺めていく。聞いたことのない草の名前が無数に表れて眩暈がした。こんな状態で魔物の来襲に備えるのも面倒なので、あらかじめ糸を周りに漂わせておこうか。
私の今の技量だと、周囲3メートルほどに全部で15本ほどの糸を浮かべるのが限界のようだ。一本一本が頼りなく、糸に何かが触れたことを知らせる程度の力しか持たせられなかった。まあ、これも使っていくうちにコツなど掴めることを期待しよう。
メモ帳に書き留めた指定の薬草と同じ名前の草を探す。種類は多いが、狙う草はなかなか見つからない。1時間ほど山を登りながら探して、3種類以外は目処が立った。3つだけは1本もないので、違う場所に生えているのだろう。
「木立の中にはないか……」
休憩しようかな。採集の為に視っぱなしだった識別を一旦やめて立ち上がった。ストレージに袋を納めて、獣道をたどって山を登る。道具屋で聞いた美味しい湧水を飲んで気分転換しよう。折角水筒も持ってきたわけだし。
誰もいないのをいいことに浮かんだまま山道を進んでいく。人間がダメになりそうな楽さがあるが足の裏の違和感が凄い。どこにも体重がかかってないのに上がりも下がりもしないのだ。今度クッションか何か引いて浮かんでみようか。
くだらないことを考えていると、おば様に聞いた場所についた。険しい岸壁から流れ出した水が小さな泉を作っている。明らかに他の所とは雰囲気が違った。小さいが石の祠がある、信心深い人もいるものだ。
「失礼いたします、お水を分けて頂きに参りました」
一礼、挨拶だけはしておこう。どうもこの手のものを無視するのは性に合わないのだ。早速水筒を取り出して水を汲んだ。冷たい。流れ出して時間がたっているはずなのに、これもゲーム故なのか。
「まあ、これはご丁寧にどうも。どうぞお好きなだけ持って行って」
ん?誰かの声がした。顔をあげてみればそこには気配の欠片もない、半透明の老婆が立っていた。いや、立っているというのもおかしな表現だ。泉の上に浮いているのが正しいか。
「失礼ですがどちら様ですか」
「あらあらご無礼だったわね。私はこの祠に住んでいる精霊よ。ここってとてもきれいな水でしょう?居心地が良くて、長いこと住んでいたらふもとの町の人が祠を作ってくれたの」
精霊さんはころころと笑いながらありがたいわよねえ、と続けた。でも、と笑顔が陰る。
「なんだか近頃胸がざわざわするの。良くないことが起こりそうだからね、あなたも早いうちに町にお戻りなさいな」
「お言葉はありがたいのですが……」
私にも請け負った仕事と言うものがあるわけで。見つからない3種類を探さなければならない。事情を話せば精霊さんは手を打った。
「そりゃそうよ、それは全部水辺の草だもの。泉の周りに沢山生えてるわ。まあまあ、あなた、グレッグの代わりに来た人なのね。あの子も長い事来てくれるのよ。いつも挨拶してくれるの。だけどこの間、足をひねっちゃったのよね」
グレッグとはモグリ薬品店の店主の名前だそうで、祠を立てたのはグレッグ氏の祖父らしい。名前に似合わぬ誠実な人柄が伺える。
「季節風邪に効く薬を作り貯めするんだって、いつもより大きな背負子背負ってたの……それで、いつもなら届く足場に降りられなくてねえ……あたしがもうちょっと強い精霊だったら受け止めてあげられたのにねえ……」
精霊さんは話しながら泣くという器用な事をしている。私はそれを聞きながら採集を続けているので、どっこいどっこいかもしれない。あんまり涙が流れるので、途中で糸をハンカチ状に編んで渡したくらいだ。
「どうしたら精霊は強くなれるのですか?」
指定の数よりもだいぶ多めに採集して、【調薬】スキルの練習分も別に確保した私は、精霊さんの話にもうしばらく付き合うことにした。浮いて移動すれば、まだまだ時間に余裕もあるし、この状態の精霊さんにさよならと言えなかったのもある。
「そうねえ、綺麗な場所に住んで、水の魔力を沢山貯めるか。水の魔力をたくさん含んだ何かを食べるか。そういうことをすれば、少しずつでも強くなれるわねえ」
精霊さんはハンカチを握りしめたままだ。帰り際にはそれを返してくれると嬉しいのだが。
「あとは、高位の精霊の眷族になるとかね。だけど、高位の精霊様なんて何処にいるかすらわからないしねえ、現実的じゃあないわ」
「そうですか……すみません、力になれそうにないです」
残念ながら、伝手も心当たりもない。このお人好しそうな精霊さんの力にはなれそうもなかった。思わず謝罪が口から出たが、精霊さんは驚いたように手を振った。
「そんなこと気にしないで頂戴、あなたは私の話を黙って聞いてくれたじゃないの。聞いてくれるだけでどんなに気持ちが楽になったか、本当にありがとう」
何となくもやもやしながらの帰り道になった。工事はいつの間にか終わったらしい、とても静かだった。夕暮れが迫っていたこともあり、私は全速力で町まで飛んだが、気は晴れないままだった。