私立探偵 長井 康介の場合
薄暗い窓辺に立ち、お気に入りのブルーマウンテンを喉に流し込む。
萎びたビルの一角に構える事務所は、自宅と化していた。
――私は長井康介私立探偵だ。
今まで殺人事件から浮気調査まで、迷宮入りしたありとあらゆる難事件を解決してきた。しかし、私は法外な報酬を望む為、世間からの風当たりは冷たいものだった。
ある日、私のもとに一通の手紙が届いた。それは子供の字で書き綴られ、宛名は明記されていなかった。
「やれやれ……また悪戯か」
私は残り少なくなったブルーマウンテンを飲み干すと、便箋を広げた。
『お母さんをさがして。にしやま さとみ』
一見、冗談にも思えたが、私はこの手紙に興味を抱き、少ない手掛かりを頼りに依頼を受けることに決めた。
翌日、早速私は消印をもとに、住所を割り出した。過去の実績からこの程度のことは容易いものだ。
更に地図を頼りに探りを入れると、依頼人の自宅は事務所から程近い、閑静な住宅街の一角であることが判明した。
築二、三年の一戸建て。ここが今回、依頼を受けた少女の自宅だ。
スーツの襟を正し、呼吸を整えインターホンに手を伸ばした。手紙を握り締め、暫く待つも応答がない。二度、三度と試みるが、やはり手応えはない。
私はしびれを切らし、ドアノブに手を掛けようとした瞬間、ドアは重苦しく開いた。
「誰?」
小学二、三年生くらいのポニーテールの少女が、ドアの隙間から顔を出す。
受け取った手紙を差し出すと、少女は困惑ぎみに言い添えた。
「あ、それもう大丈夫です」
私は不思議に思い、質問を投げ掛けた。
「おうちの人は居ないのかな?」
明らかに人の気配を感じるが、少女は首を横に振るだけだ。
「それじゃ、何かあったらまた呼んで頂戴」
私はわざと室内に聞こえるように、言葉を残した。
玄関ポーチより少し遠ざかると、ドアは閉まりチェーンロックを掛ける音がした。
少女の行動に不自然さを感じた私は、路地裏に身を潜め煙草に火を点けた。
「さぁ、張り込みだ」
長年のカンが、自然とそうさせる。私は灰色の空に向かって煙を吐き出した。
◇◇◇◇◇◇
――数時間が過ぎ、辺りは静まり返り日も暮れてきた。周辺の住宅に灯が点るのに対し、依頼人の自宅は未だに暗黒に包まれたままだ。無論、人の出入りもない。
私の仕事の大半は"張り込み"だ。このくらいのことは、よくあること。私はいつものように長期戦を覚悟した。
◇◇◇◇◇◇
一方、その頃――
私の名前は、西山里美。小学三年生だ。この街に引っ越して来て、二年と半年。
パパとママは、念願だったマイホームを手に入れ、幸せの真っ只中。私は何不自由のない生活を送るはず――だった。
新しい学校にも慣れたある日、仲の良いパパとママがケンカをしているのを見掛けた。私は突然のことに驚き、自分の部屋に閉じ籠った。
次の日学校から帰ると、ママは居なくなっていた。私は状況が理解出来ずパパを問い詰めたけど、結局何も話してはくれなかった。
そして、偶然見つけた探偵事務所に、手紙を書き依頼をお願いしたのだ。
だが、今日それよりも大変なことが起きた。リビングにはロープでぐるぐる巻きにされたパパと、強面の男が私達を見張っている。
「おらぁ、とっとと吐けよ。お前が俺の女に手を出したのはわかってんだよ。娘がどうなってもいいのか?」
「娘には手を出さないでくれ」
男は何度もパパに拳を振り上げる。
「やめて――っ! パパをいじめないで」
「嬢ちゃん、コイツはな、俺の女に手を出したんだ」
「誤解だ! 里美、信じるな」
その時、インターホンがリビングに鳴り響いた。二度――三度――
「クソ……まずいな。おい、嬢ちゃん出てくれ。だがな、ヘタなこと喋ったらコイツの命はないと思え」
男は懐からサバイバルナイフを取り出し、パパの喉元にあてがった。
「わかったわ……」
私は男に従い、玄関のドアを開けた。
――探偵さんだった。
『助けて』
声に出したい気持ちを抑えて、探偵さんを追い返した。
『この状況に気付いて』
その願いを胸にドアに鍵を掛け、再びあの男のいるリビングへと戻った。
状況は変わらず数時間が過ぎ、日が暮れてきた。
『私達、どうなるんだろう』
緊迫した状況で、もはや死を覚悟した。
◇◇◇◇◇◇
張り込みを始めて三時間――動きはみられない。
「私の思い過ごしだったのか?」
煙草の本数が増え、口の中が苦くなる。張り込みを断念しようと決めたが、念のため気配を消し勝手口のドアノブに手を掛ける。
「開いている……」
音を立てずに静かに開けると、男の怒鳴り声が聞こえる。私のカンは間違っていなかったのだ。
素早く侵入すると、リビングにロープで縛られた男と刃物を持った男、そして先程の少女を確認出来た。
――やれるか?
私は息を殺し、少しずつ近付いた。存在を気付かれたらアウトだ。
キッチンを経由して、刃物を持った男の背後に回った。
――チャンスは一度きりだ。
男が余所見をした隙に、右手のナイフを蹴りあげた。ナイフがフローリングに転がったのを見届けると、私は男を取り押さえた。
間もなくパトカーが到着し、男は現行犯で逮捕された。
ホッと溜め息をつくと、紫色の悪趣味なスーツを着た男が近付いて来た。
――田所警部だ。
「長井君……あまり警察の仕事に、首を突っ込まないで欲しいものだよ」
自慢の髭を擦りながら、お決まりの台詞を吐く。
「警部、何も邪魔するつもりは毛頭ありませんよ。依頼を受けたら事件に遭遇した……ただそれだけのことですよ」
私は田所警部に後を任せると、依頼人の父親と話をした。
「すみません、助かりました。私が誤解を招く行動を起こした所為で、このような事態になってしまって……」
ことの発端はこうだ。偶然酔い潰れた女性を介抱し、女性が後日お礼の連絡をくれた際、妻にも女性の彼氏……つまり逮捕された男にも誤解を招いたとのことだった。
「妻にはもう一度事情を説明して、戻ってきてもらうつもりです」
「それはそうと私は探偵でして、娘さんから"母親を捜して"と依頼を受けていたんですよ。それでですね、依頼料を払って頂きたいのですよ」
「そうでしたか……妻は友人宅を転々としてるんですよ。それで依頼料はおいくらですか?」
「ま、今回は責務を完全に果たせた訳ではないので、これくらいでいいですよ」
私は、指二本を突き立てた。
「二万円ですか?」
「おいおい! 私の依頼料は他と違うんですよ。二百万だよ」
「に、二百万? そんな金、払えるわけないじゃないですか?」
依頼人の父親が頭を垂れると、私は言い添えた。
「と、言いたい所だが、依頼人は娘さんだ。娘さんに払ってもらう。な、里美ちゃん」
後ろで盗み聞きしていた里美ちゃんに、話を振った。
「これ、依頼料として頂いておくよ」
私は里美ちゃんが持っていたキャラメルを一個貰うと、二人に背を向けた。
「ありがとうございました」
口を揃えて二人が言う中、軽く右手を挙げる。
こうして今日も私の一日が終わる。まるで、何事もなかったかのように……。




