小さな少年のモノガタリ。
本田。
死んでくれない?ねぇ、本田。
目障りなんだよ。
本田海風、だっけ?あんたの名前。うーわっ。めっちゃ名前負けじゃん。
汚い。
失せろ。
死んでよ。
大嫌い。
気持ち悪い。
馬鹿。
ごみ。
くず。
近寄らないで。
嫌だ。
死んで?
ねぇ、死んで?
シンデ?
……シンジャエ。
***
……ここは、何処ですか?
本田海風は問うた。
……ここは、地球という星にある太平洋という大きな海に浮かんだ小さな島国、日本の、神奈川県横浜市、という所だよ。
本田海風は答えた。
……俺は誰ですか?
本田海風は問うた。
……君は本田海風。
本田海風は答えた。
……貴方は誰ですか?
本田海風は問うた。
……俺は本田海風。
本田海風は答えた。
……俺は本田海風で、貴方も本田海風なの?
本田海風は問うた。
……そうだよ。
本田海風は答えた。
……君は本田海風で、俺は本田海風なんだ。
よくわからないなぁ。
本田海風はぼんやりと考える。
俺と貴方で俺が二人。正常じゃない。
いや、本当に正常じゃないのか?
これが普通なんじゃないのか?
闇の本田海風と、光の本田海風。そう考えれば二人いる事に納得が行く。
いや、納得していいのか?
いいんだよ。
じゃあ。
俺は。
闇なの?光なの?
***
ぼうっと、彼は、本田海風は“そこ”に座っていた。
来ている服が汚れるのも気にせず、目線を何処か異次元へ飛ばしたまま、彼は“そこ”に座っていた。
空を覆う真っ黒な綿飴が冷たい恵みを地上に落として行く。
……雨、だ。
本田海風は一言だけそう言った。目線を異次元へ飛ばしたまま。
体が冷える。服が重くなる。男子としては少し長めの髪が彼の顔に張り付いていく。
しかし、本田海風はそんな事気にしない。否、気づいていないのかもしれない。
足を投げ出し、首を少し右に傾け、手だけは行儀よく太腿の上で揃え。
まるで、捨てられた人形。
……俺は、誰ですか。
本田海風はぼんやりと呟いた。
……君は、本田海風だよ。
それが君の名前なんだよ、と本田海風は言う。
しかし、本田海風が問うているのはそれではない。
……俺は、誰ですか。
では、なんなのか。
本田海風が問うているのは、なんなのか。
それは、本田海風にもわからなかった。
……。
返答が無く、辺りは沈黙に包まれる。冷たい恵みだけがぱしゃぱしゃと踊り続け、音を発生させていた。
……じゃあ、
本田海風は、いつまで経っても本田海風から自分の望む返答は戻ってこない、と知ったのか、質問を変える。
……じゃあ、俺は人間ですか。
……さぁて、どうでしょう。
本田海風が卑怯な返答をする。
……俺は、自分が鳥だと良いです。
本田海風の口から発せられた言葉は問いかけではなく、願望。本田海風はその変化に少し驚く。
……へぇ、鳥?
……何処へでも、飛んでいけるから。
自由に。平和に。それに、
……それに、鳥は人間よりも早く死ねるでしょう?
百年近くも生きなきゃいけない人間。なんでそんなに長い時間生きていなくちゃいけないんだ?俺は、鳥みたいに数年だけを生きたい。
余りに余った時間を持て余す人間と、自分に与えられた時間を短いと知りながらも一生懸命に過ごす鳥。どちらが頭が良い、のかな?
人間って、本当に頭が良い、のかな?
***
……風邪ひくよ。早く帰りなよ。
本田海風は本田海風に言った。しかし、本田海風の耳には届いていない。
生きている意味と。
生きている時間と。
死んでいく意味と。
死んでいく時間と。
……なぁ、本田海風。
本田海風は本田海風に言った。
……何?本田海風。
本田海風は本田海風に答えた。
……今、俺が死んだら君も死ぬの?
……逆に問うけど、君は今、生きているの?
本田海風は質問に質問で返され、少し困った顔をする。
そうだな。
俺は今、生きているの?
死んでいるの?
シンジャエ。
古いクラスメートの残像が、俺の耳元で囁いた。
シンジャエ。ホンダナンカシンジャエ。
……。
本田海風は思考をぴたり、と止めた。
***
シンジャエ。
死んじゃえ。頭の中で漢字変換をする。
という事は、俺は生きているんだね。
少し残念に思う。
……ねぇ。
本田海風は本田海風に問うた。
……貴方は本田海風の光なの?闇なの?
本田海風と本田海風。
二人は静かにお互いを見つめる。
暫くして、本田海風は答えた。
……光と闇は、例えて言うならば紙の表と裏。一番近く、一番遠いもの。別にどちらがどちらだろうと変わりはないよ。
……つまり?
本田海風は本田海風に問い、本田海風は本田海風に答える。
……俺は本田海風の光であり闇。君は本田海風の闇であり光。
どちらが、などという区別、そもそもの必要性は?
必要?
必要性……?
でも、俺も本田海風で貴方も本田海風。
それって……?
……まぁ強いて言うなら、君が青、俺が赤って感じかな。
俺が青。
貴方が赤。
白と黒じゃなくて?、という疑問を投げるが、笑顔で流されてしまった。
つまり。
俺と貴方は本田海風だけれど違うんだね。
じゃあ、なんで同じ本田海風なの?
……あ。
赤の本田海風は、やっとわかった、と言う風に目を開く。
……わかった。本田海風。君は俺と君が別の物体だ、と思ってるんだね?
青の本田海風は首を傾げた。
……違うの?
頷く。じゃあなんなの、と言われてしまった。
……俺と君はさ、二人だけど一人だよ。
まぁ簡単に言うと、二重人格、みたいな?、と赤の本田海風は笑った。
……君の中に俺がいる。どうやら、君が本田海風を赤と青にわけちゃったみたいだから。
自分の出した答えが正解か間違いかわからなくなった時、人間はもう一人の自分を作り出してしまう。
こっちが正解だ、という自分と、あっちが正解だ、という自分。
だから人は迷うんだ。
人間はそこで自分が一人になるまで迷ってなくちゃ駄目なんだよ。
……じゃあ、
青の本田海風は言った。
……俺は今、何を迷っているんだろう?
赤の本田海風は綺麗な笑顔を見せる。
……さぁね?
でも、と続ける。
……青と赤を混ぜたら紫だよ。毒々しいよね。
君は、そんな自分を変えたいんじゃないのかな。
青の本田海風は、赤の本田海風を見上げた。これが俺かぁ。他人事の様に考えていた。
シンジャエ。
そんな呪文をかけられたのは何年も前の事なのに、まだ俺を縛り続けている。
俺は死ぬの?
俺は死んだの?
……君は死んだよ。
本田海風は言った。
……でも、生きている。
その意味が、本田海風にはわからない。俺は死んだのに生きているのか。結局、どっちなんだろう。俺も多分人間だし、再生、なんて出来ないから、生きているって事でいいのかな。
シンジャエ。
ホンダナンカシンジャエ。
耳元で“あいつ”の残像が囁いた。
俺は、生きているよ。
“あいつ”にシンジャエってあんなに言われたのに、生きているよ。
駄目じゃん、死ななきゃ。
あぁ。俺が迷っていたのはこれだったのかな。
死ぬか、生きるか。
……俺は、死ぬべきなんだね。
青の本田海風は呟いた。赤の本田海風は驚いたように目を見張る。
……あ、そっちを選択しちゃう?
……だって……。俺は“死ぬべき人間”だから。
赤の本田海風は、困った顔で頭をかいた。そっちの選択はするべきじゃないんだけどなぁ、と言いながら。
……うーん。ねぇ、本田海風。
赤の本田海風は困った顔のまま、青の本田海風に問いかけた。
……大事な人、忘れてない?
……大事な人……?
雨に打たれて思考力が低下しているなぁ、とぼんやり思いながら本田海風は考える。
……わかんないや。
俺は“死ぬべき人間”なんだ。それ以外、わからない。
……死ぬなら、水がいいよね。
やめろ、と赤の本田海風が叫んだ気がする。
雨がまた、頬をうった。
***
本田海風は今、川の上にかかった橋にいた。
水が好き。
シンジャエ。
この二つしか、自分の事がわからない。なんでだろう。
頭の中は、空白しかない。否、空白、というより無、の方が近いのかも。
なんでだろう。
大事な人?
誰だろう。
俺にとっての大事な人って、誰ですか。もう、死ぬのだから関係ないけど。だって、俺は。
……“死ぬべき人間”なんだもん。
ふわっと体を浮かせた。
なんだ。何を迷っていたんだろう。
死ぬのなんて。簡単じゃん。
どんどん水が近付いて。本田海風はふっと体の力を抜かした。やめろ、ともう一人の自分がまた叫んだ気がするけど。知らない。
気付いたら周りはあの。大好きな青い世界で。ああ、もう水の中なんだなぁ、とぼんやりする意識の中で考えた。
苦しい。息が。体が勝手に。酸素を求めている。でも。俺は。“死ぬべき人間”だから。死ななきゃ。
……た、……す、け……て……。
何言ってるんだろ、俺。
俺は死ななきゃ。
意識が薄れていく。
光が小さくなっていく。
あ……。死ぬん、だな。俺。
死ぬ、のか。
しぬ、ん、だ。
よ、うすけ、に、もう、あえない、の?
よう、すけ。
おれ、の、だいじ、な、ひとー……。
「海風っ!!」
だい、すきな、こえ、がし、た。
きの、せ、い…だよ、ね。
でも。
ようすけ、に、あえる、の、なら。
おれは……。
……生き、たい、よ……。
そう、それが正解だよ。
本田海風が笑って消えた。
***
光が見えた。
遠くで声が聞こえる。
「……………ぜ!………みか………ぜっ!みかぜ!海風!しっかりしろ!おい、海風!」
う……、と唸る。
「……ん……、よお、すけ?」
「海風!」あれ、なんで俺、倒れてんだっけ。なんで洋介、そんな心配そうな顔してんの。
あ、そっか。
俺、死のうとしてたんだ。
「ようすけ……。」
「ーっ!馬鹿海風っ!」
あれ、おかしいな。
誰よりも強くって、プライド高くて、自信家で、間違っても人前で涙を見せない洋介が。
泣いているのは、なんで?
「よおすけ……、泣い、てる?」
ねぇ、なんで?
洋介は、ぐっと涙を拭って、「……っ。……馬鹿っ。」だって、と言いながら本田海風を自分の腕で包み込んだ。「海風が……っ!死のうとなんてするから……っ!」まるで、何処にも行かないで、と言うかの様に、ぎゅっと、力強く、痛い程。
「……よお、すけ……。」
「この馬鹿、何勝手に死のうとしてるんだよっ。あと少しで死ぬところだったんだぞ?わかってんのかよ……。」
だって死のうとしてたんだし、わかってるよ。そうぼんやり思う自分と、俺は死ぬところだったのか、と恐怖に怯える自分がいる。
そっか、俺は死ぬところだったのか。
この世から消えるところだったんだ。
でも、俺が消えたって、世界は何も変わらないよ?
「……馬鹿。」洋介がまた、怖い顔をする。「お前がいなくなったら、俺が、……、悲しいし寂しい。」
よくわかんない。
本田海風は不思議そうに大事な人の顔を見ていた。よくわかんない。俺がいなくなって、なんで洋介が悲しくて寂しいの?
……あ。
「洋介……。雨、やんで……たんだね。」
いつか、俺にもそんな洋介の気持ちがわかるといい。なんでかわからないけど、そう思う。
……そうだね。
赤の本田海風が、遠くでちょっと笑っていた。
……はい、意味不明な内容、文章で申し訳ありません。
ここまで読んで下さった皆様、心から感謝申し上げます。