最悪の依頼(6)
──そうだな、今だ。
直後、俺は『梟』の反応速度の外側に出た。一瞬で全身の筋力をフル稼働し、『梟』の懐に飛び込む。
首に軽い痛みがあったのは、鎌の刃が掠ったのだろう。だが、傷の具合を確かめるのは後で構わない。下げていた右腕の鈍鉄を、捻るようにして『梟』の胸を目掛けて突き上げる。
極至近距離での爆発的な加速で攻撃を躱し、肉薄。そのままの勢いで刺突を繰り出す、接衝穿と同じ技を原型に持つ兄弟技。
「──朧衝」
一瞬の抵抗の後、そのまま僅かに沈み込む感覚。生物の骨を砕く感触を残して、『梟』の体が吹き飛ぶ。
大きな衝撃音を伴って、『梟』が部屋の壁に激突。そのまま床に倒れていった……が。
「っがああぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」
咆哮と共に、足を叩き付けるように床を踏み締めて『梟』は倒れるのを堪えた。
「確かに頑丈だよ、お前。けど無茶すんな。折れた肋骨が内臓に刺さるぞ」
「……チェンジコード・アックス」
俺の忠告を無視して、『梟』が呟いた。すると、大鎌の刃が更に九〇度折り畳まれ、言葉の通りに斧になる。
「成る程、刃を固定するパーツは三方向にあった。槍、鎌、斧の三タイプに変形出来るわけか。けど、今のお前じゃ満足に振るう事は出来ないだろ」
「テメェに言われる筋合いは無ぇ」
斧を構える『梟』は、先程までに比べるとやはり動きにキレが無い。『梟』本人も、今の状態で俺に勝てるとは思っていないだろう。それでも戦闘を継続しようとするのは、暗殺者としての意地からだろうか。
「そうかい」
呟き、俺は『梟』へと突進する。
真正面から迫る俺に対し、『梟』は横薙ぎに斧を振るうが、余りにも弱い。全身の力を伝播出来ないのなら、斧という武器はただの枷にしかなり得ない。
俺は鈍鉄を純粋に力だけで振り、『梟』の斧を下向きに打ち払った。柄を満足に握り続ける力も入れられないのだろう、手から完全に離れた斧が床を削りながら滑っていく。
「──終わりだ、『梟』」
武器を失っても尚、殺意に満ちた視線で俺を睨む『梟』に決着を告げる為に、鈍鉄を居合い抜きのように腰だめに構える。
「名前らしく……夜まで寝てやがれ!!」
そして俺は『梟』の腹に鈍鉄を叩き込み、力任せに振り抜いた。再び壁に打ち付けられ、今度こそ意識が途絶えたのだろう。『梟』は床にうつ伏せに倒れ、起き上がる様子は無い。
「漸く勝った、か? ったく、手こずらせてくれたモンだぜ。えっと、鍵は向こうだったな」
俺は部屋の片隅にある椅子へ近付き、その上に置かれた南京錠の鍵を手に取った。
その椅子の近くに、さっき弾き飛ばした斧が転がっている。何となくその全体像を眺めてみると──。
「……ん? 何だ、これ」
戦闘中は確認出来ていなかったが、よく見ると柄にこんな文字が刻まれていた。
『Crescent prototype-No.6』
「……クレッセント。プロトタイプ、ナンバーシックス?」
クレッセント、というのは恐らく、この武器の正式名称だろう。しかし、最も気に掛かるのがその後の一文──プロトタイプ。
「試作品? まだ製品として世に出ていない武器、なのか? 確かに見た事の無い武器だったけど、だとしたらいよいよ妙じゃねぇか。どうして誘拐犯が試作品なんか持って……」
そんな疑問を持った瞬間だった。『梟』との戦闘中、この武器が変形機構を備えていると判明した時に頭に過った推測が思考の前面に引っ張り出されたのは。
思い浮かんだその時には、まさかそんな事は無いだろうと思っていた。しかし、今になってその可能性は急速に肥大しているのだ。
──夢之國工業。
今までに存在しなかった武器の試作品。
夢之國工業は、今まさにそれを保有している筈だ。しかも、社長直々に製品テストを視察する程の物を。
「でも、待てよ。そんな代物を持っていたって事は……誘拐犯は夢之國工業の関係者か、夢之國工業が依頼したって事なのか? アリスの捜索を騎士団に要請しなかったのは、それが露呈するのを防ぐ為?」
しかし、それだと誘拐を計画した理由、仲介所に依頼を出した意図が判明しない。
──まぁ、今はアリスを救出するのが最優先だよな。さっきの部屋に行ってみるとしよう。
一応、『梟』への警戒だけは緩めずに大部屋を出て、突き当たりにある南京錠で封がされた部屋の前まで向かう。鍵穴に『梟』が持っていた鍵を差し込み、ゆっくりと捻る。やがて、ガチャンと音を立てて南京錠のロックが解除された。
扉の持ち手に絡めてある鎖も取り払って、両開きの扉の片方だけを徐に開けていく。
恐らく、かつて工場長が使っていた部屋だったのだろう。多くの書棚や、他の部屋にあった物より少し高価そうな机が置かれた部屋の窓から射し込む光に照らされるように、いかにも女の子らしい姿勢で床に座り込む人影が俺の視界に映った。
陽光を浴びて輝く、腰まで届く金色の髪。黒いワンピースに薄手のカーディガンを纏った少女の周囲だけを風景として切り取れば、それだけで絵画として完成しそうだ。
「えっと。君がアリス、かな?」
俺の声に肩を震わせ、恐る恐る少女がこちらを振り向いた。
後ろから見た時にはワンピースだと思っていたが、所々にフリルがあしらわれた同系のセパレートタイプだったようだ。眼には深海を思わせる深い青が含まれ、まるでアクアマリンのような神秘さを醸し出している整った顔立ち。
隅々まで抜け目の無い、本物の美少女。それが、俺から見たアリスの第一印象だった。
「驚かせちまったか、悪い。俺はカミカワリュウト。君のお父さんからの依頼で、君を助けに来たんだけど」
「助け……私、帰れるんですか?」
「あぁ。道中の安全も俺が確保する」
「……良かった。すぐ近くで凄い音がしてたから、何が起きてるのか不安で」
「確かに、状況が判然としない中じゃあの物音は不安になるよな」
そこまで会話を交わした所で、俺はついアリスをまじまじと見詰めてしまう。俺の視線を受けて、どうすれば良いのか戸惑うように身を左右によじりながらアリスが尋ねてくる。
「えと、あの。どうか、しましたか?」
「ん? あ、あぁ、悪い。依頼を受けた時、名前以外を聞くの忘れてたからさ。こっちで適当なイメージを付けてたんだけど。誘拐ってくらいだから、一〇歳前後かなーと想像してたから」
「一七歳が誘拐されるのは、やっぱり間抜けでしょうか」
「いや、そういう意味で言ったんじゃなくてだな──と。とにかくここから出よう、これ以上の長話はそれからだ。フィリンダって街まで三時間くらい掛かるけど、歩けるか?」
「頑張ってみます」
口ではそう言っているが、表情は明らかに不安そうだ。途中で何度か休憩は必要だろうな、と俺は道中で休めるポイントを幾つか頭に浮かべてみる。
「じゃあ行くか。お望みなら道中の観光案内も承るけど、どうする?」
「えっと、そんなに気楽で良いんですか?」
「良いんだよ。三時間も気を張ってたらそれだけで疲れちまうだろ。それに──」
言葉を続けようとして、俺は果たしてどう言ったものかと考え込む。あまり性分に合わない台詞というのは、言葉の組み合わせを考えるのに時間が掛かってしまうものらしい。
「まぁ、アレだ。少なくとも、君が気にする必要は無いよ。周囲を警戒するのは俺の役目だし。言ったろ? 道中の安全は保証するって」
「…………」
さて、どうだろうか。どうにか考えて言ってはみたが、ポカンとした表情でジッと見られているというこの状況は、どんな反応なのだろうか。少なくとも、美少女に顔をガン見されているのは非常に恥ずかしい──というか、照れ臭いのは確かだ。思わず、こちらから目線を逸らしてしまう。
「えーっと。やっぱり、観光云々は気にしない方向で」
「良かった」
「はい?」
漸く返ってきた言葉の意味がよく分からず、俺が再びアリスの方を見ると、アリスは柔和な笑顔を浮かべていた。
「見た目でちょっと怖そうかな、と思ってましたけど。優しそうな人で、安心しました」
「あ、あぁ、そう。そりゃどうも」
殆ど言われた事の無い事を真正面から言われてしまい、完全に反応に詰まってしどろもどろな返答になってしまった。
そんな俺の様子を見て、アリスは我慢し切れないようにクスクスと笑い声を漏らしている。
「コホン。ともかく、ここを出ようという話に戻ろうか」
「そうですね。観光案内の方も期待してます」
「ほぅ。ホラースポット案内に変更しても良いか?」
「えぅ」
途端に泣き出しそうな顔になった。何なら目尻に涙が溜まり始めている。
「ごめん、冗談だ。よくこの場所で夜を明かして平気だったな」
「平気じゃなかったです。色んな所からカサカサ音がするし、外から何かの遠吠えが聞こえてくるし、夜になったら羽音みたいなのが聞こえるし……はうぅぅ~」
「成る程。つまり相当怖かったわけだ……ん?」
ちょっと待て。何か今、アリスの言葉の中に猛烈な違和感があったような──。
「なぁ。アリス、で良いか? 呼び方」
「ふと天井を見上げたら黒いアイツが、アイツがぁ~……ふぇ? あ、はい」
「うん、精神的ダメージが半端ねぇのはよく分かったよ。アリス、さっき『夜に羽音みたいなのが聞こえた』って言ったよな?」
「はい、バッサバッサと。うぅ、思い出しただけで怖くなってきました」
「トラウマスイッチ多いな!? ──でも、妙だな」
これ以上怖がらせるのは酷。そう気付いたのは、次の言葉を口に出してしまった後だった。
「この近辺、屋内から羽音が聞こえる程に大型の夜行性の鳥は居ないんだけど」
「はぅ」
「なぁ、聞き間違えって可能性は……アリス? アリス!? ちょ、気絶? 怖過ぎて気絶!? どんだけ恐怖への耐性低いんだよ!!」
*
「──うぅ、ん? あれ?」
「お、気付いたか。急に気絶するからビックリしたぜ」
「あぅ、すいません……? えと、あれ? 景色が、動いて……って、え? ふえぇ!?」
「うぉっ!? 急に暴れんなよ、危ねぇだろ」
「だ、だって、その、今、私、お、おぶ、ぶぉんぶされて」
「最終的に何をされているのか分からないぞ」
まぁ、アリスが絶賛混乱中なのも仕方無い。今俺とアリスがいるのは、廃工場を出た森の中。で、気絶したアリスを歩かせる事は不可能なので、俺が背負って歩いているわけだ。
目が覚めたら森の中で、しかもついさっき知り合ったばかりの男の背中の上。うん、そりゃ混乱もするだろう。
「嫌なら下ろすけど?」
「い、嫌と言うか何だか恥ずかしいと言いますか! そ、それにリュウトさんの方こそ重かったりするのではと思いたくは無いけど思ってしまうのですが」
「んー。俺は別に大丈夫だけど? 何ならこのままフィリンダまで行ってしまおうかと思っているくらいなんだが」
「ふえぇっ!? そ、それは恥ずかし過ぎて私が死んじゃいます!! 平気です、歩けますから下りますぅ!!」
「分かったから、暴れるのだけは止めてくれ! 転んでバックドロップ決めちまいそうだ」
「……」
「そうと聞いた途端にしがみつくなよ。下りるんじゃなかったのか」
「だ、だって、その……あれ?」
急にアリスの声の調子が変わったので、俺は何となくその場で足を止めた。
「ん? どうかしたか?」
「あの、リュウトさん。首から血が」
アリスに指摘されて、そう言えば『梟』の鎌での一撃が首筋を掠めていたのを思い出した。とは言え、それはつまり、忘れていられた程度の傷でしかないという証明でもある。
「あぁ、言われてみればそうだったな。まぁ気にしないでくれ。大した怪我じゃないみたいだし」
「もう、ダメですよそんなの。首の怪我に大小の区別なんて無いんですから。ちょっとじっとしていてくださいね?」
少し怒った風にそう言って、アリスは俺の背中から下りると、首に出来た傷の上に手をかざした。
「──生命の息吹を運ぶ風は等しく小さな祝福を顕す──『癒しの詩・第一節』」
アリスが呟いた直後、無数の光の粒が空気中から湧き出し、次々と首の傷を覆うように集まっていく。そして、微かに温かい感覚を残して光が消え去った時には、俺の首にあった傷も綺麗に無くなっていた。
「はい、これで大丈夫です」
「あぁ、ありがとう……けどアリス、今のは一体?」
「ふぇ? 今の、って。治癒魔術ですけど」
当たり前のように首を傾げられてしまったので、俺も一応記憶を一通り引き出してみる。
確かに、魔術という技術はそこまで珍しい物ではなく、ごく一般的に存在している。
「いや、でもなぁ。そう言われちまえばそうなんだろうけど、さっきみたいな詠唱は聞いた事が無いし。そもそも、最後は何て言ったんだ? 古代語の類だったり?」
「えっと、そう問い詰められてしまうと何とも。物心ついた頃には使えていた物ですし」
「うーん、そうか。まぁ、考えても分かりそうにないし、気にしてても仕方無いか。改めて、ありがとうな」
「えへへ、あんまり感謝されても照れてしまいますけど。どういたしまして、です」
「よし、さっさとフィリンダまで帰って、レナードに連絡を入れないとな。歩けるか? アリス」
「はい、頑張りますっ」
*
──骨は、あと数時間で繋がる。
奴の気配は、記憶した。
問題無い。次は、問題無い。
殺せる。必ず殺す。
待っていろ。首を洗って待っていろ。
必ず捉えて、殺してやる。
ここから先は──見境無しだ──。