最悪の依頼(5)
「!?」
突然の事に警戒して身構えたが、腕はそれ以上のアクションを起こそうとはしない。
しかし落ち着いてよく見れば、指から先に何かがぶら下がっている。時折、光を反射するように輝くそれは──鍵?
この場、この状況から考えると、あの鍵が最奥の部屋を封じる南京錠の鍵であり、それを持っているのがあの腕を突き出した人物。しかも、その人物は恐らくこの社屋を満たす殺気の源、という事だ。
「つまり、アンタに勝てば全て解決って事かよ?」
相手に聞こえるように問い掛けたが、答えは返って来ない。その代わり、鍵を持った腕がそのまま引っ込んだ。……部屋の中で待つ、って事か。
廊下の天井付近を見上げてみると、腕が引っ込んでいった部屋の入り口に取り付けられたプレートが外れずに残っていた。会議室──成る程、動き回るだけのスペースは充分にありそうだ。
ゆっくりと廊下に身を晒してみるが、やはり相手からの動きは無い。俺が出向くのを待つつもりのようだ。
──上等。こっちとしても、鍵を探し回る手間は省けた。
だが、それだけ広いスペースがあるなら複数に待ち伏せされている可能性もある。念の為に部屋の中の気配を探ってみるが、鍵を持った人物の殺気しか感じ取れない。
これで中に入って袋叩きにされたら、自分の感覚の鈍さを呪うしかないだろうと覚悟を決めて、俺はかつて会議室だった大部屋に足を踏み入れた。
廊下に腕を突き出していた人物は、部屋に入った俺と点対称の位置──入り口から見て奥側に立っている。前髪は目が隠れる程に伸ばされ、横や後ろは肩に届くだろうか。陽に焼かれて風化したような、茶と白髪の中間の色だ。全体的に痩せ細った印象を受ける体躯に、裾は外に出したままで袖を肘まで捲ったワイシャツに、黒のスラックス。仕事が終わって自宅で寛ぐ公務員のような出で立ちだが、足元だけは機能性を重視したコンバットブーツ。
そして、右手には刃渡りだけでおよそ七〇センチ、柄も含めた全長は二メートルを超えるだろう武器が握られていた。刃は芯が柄から垂直に備えられ、その先に三日月型の刃が今度は柄と平行になるように備えられている。刀や剣なら柄の中に差し込まれて固定される芯は、耐久性を心配したくなる程に短いが、柄から伸びる菱形のパーツに両側から挟み込まれる形で補強されている。
因みに、菱形のパーツは芯を押さえている物の逆側と柄の先端の向きにも存在している。デザイン性も重視されているのだろうか。
ともかく、あまり見た事が無い武器だ。騎士団のハルバードとも毛色が違う。
だが、それ以上深く考える暇は無い。正確に言えば、待ち受けていた相手の容姿やその手に持っている武器の特徴の考察とか、そんな事がどうでも良くなる程のモノが、俺の視界の隅に陣取っているのだ。
今、目の前に立っている敵よりも余程戦闘に適した装備を着た。
そう、怠けずにしっかりと準備をした誘拐犯が、長期間の潜伏と複数回の戦闘にも耐えられるように整えたと言われれば、成る程と納得したくなるような万全の装備で身を固めた男が。
喉元を斬り裂かれ、床に血溜まりを作って息絶えていた。
「……どういう状況だよ? これ」
思わず問い掛けると、長髪の人物は途切れ途切れの笑い声を上げてから答えた。
「ク、クック。そっちのソレは、気にするな。俺の住み処に無許可で入って来た不法侵入者の成れの果てさ」
「へぇ。つまり、俺も不法侵入者になるわけか? 冗談、アンタだって不法占拠だろ」
口調から男だと判断出来た長髪は、どうやらこの廃工場を根城にしているらしい。
しかし、あの死体が問題の誘拐犯だとしたら色々と事情が複雑になってくるのだが。
「誰も使ってないんだ、俺が家主を主張したって文句は言われねぇさ」
「あぁそうかい。家主だって言うなら教えて欲しいんだけどよ、ここに女の子が閉じ込められてないか? 例えば奥の部屋とかに」
「そこに転がってる奴が連れて来たのなら、確かに奥の部屋だな。入るのにコイツが必要だが」
チャリン、と軽い音を鳴らしながら、男の左手の中からさっきの鍵が顔を出す。それを部屋の隅に残っていた椅子の上に置いて、男は俺に向かって一歩進み出た。
「譲ってくれる気は無いのか? 俺としては、人質だけ救出出来ればアンタとこれ以上関わる気は無いんだけど」
「ただの雑魚なら見逃しても良かったが、お前は話が別だ。気配だけでも興味があったが、こうして直接見ると更に面白ぇ。職業病でな、お前みたいな奴を前にすると無性に殺したくなるんだよ」
「……そう言われちまうと、俺も気になってたけどな。こんだけ気味の悪い殺気、どんな奴がばら撒いてやがるんだって」
「ハッ、俺の殺気の特殊性に気付いたかよ。やっぱ良いなお前、俺たち寄りのいいセンスをしてやがる」
男が真っ直ぐに俺を見据えて、初めてその表情が明るみに出た──瞬間、正直寒気がした。
間違いなく狂ってる。こんな表情を……何より、これ程純粋に殺意を持った視線を他人に向ける奴が、どうして今も野放しになっているのか理解が出来ない。まるで、無防備な獲物を射程内に捉えた猛禽類のような眼だ。
「一体、何者なんだ? アンタ」
「『梟』。まぁ、暗殺者としてのコードネームみたいなモンだけどな。他にも『見境無し』なんて言われてたりするが」
「……暗殺者? マジかよ。こんな近所にそんな危険人物が居たとはな」
「そうだな。そして顔を見られた以上、俺は俺自身の機密性を保持する必要がある──つまり、この後は分かるよな?」
笑顔をより凶悪に歪ませて、『梟』は手に持つ槍に似た武器の矛先を俺に向けた。
「やっぱそうなるか」
対して、俺は自然体に構えて一度全身から無駄な力を抜いた。次の一瞬を何よりも速く動く為に。
少しずつ、空間が圧迫されていくような感覚──いや、違う。社屋全体に張り巡らせていた殺気を、『梟』が俺だけに集中させたのか。全身が沼の泥に埋もれたような重苦しく粘付いた不快感に包まれる。
「──シァッ!!」
鋭い咆哮を上げ、『梟』が俺の心臓目掛けて槍を突き込んでくる。
想像よりも速い一撃。即座に迎撃のタイミングを修正して、俺はワンテンポ早く鈍鉄を横殴りに振るう。
的確に刃を横から叩き、破壊する──以前、嵐竜の構成員が持っていた曲刀のように。そうイメージして振るった鈍鉄は、確かに『梟』が持つ槍の刃の腹を捉える。
「!?」
しかし、折れない。見た目以上の硬度があるのか、俺の手に痺れが伝わってくる。
とは言え、攻撃は弾いた。『梟』も、俺の動きには未だ対応出来ていない。
──なら、このまま攻勢に出る!
弾いた槍の柄をなぞるように素早く踏み込み、『梟』を間合いに収める。右手を左側へ振り切った事で捻られた上半身を元の向きに回転させて生じる遠心力も乗せて、『梟』の脇腹を薙ぎ払おうとした。
しかし、『梟』の動きは再び俺の想像を超えた。『梟』は右手側に槍を打ち払われた事で、左手が柄から離れて右手だけで槍を持った状態だ。普通なら、片手だけに重量が偏っていては満足に動く事は出来ない筈。しかし『梟』は、右手の力だけで槍を自分の背後に投げ捨てるように思い切り引き寄せた。
「なんっ……!?」
更に、その動きによって体重が自然と後ろへ傾いたのを利用し、『梟』は大きく後ろへ跳んで俺の間合いを脱したのだ。
振り出す直前で止まってしまった鈍鉄を改めて前に構えてから、俺はバランスを崩す事も無く着地した『梟』を睨み付けた。
「暗殺者ってのは、誰でもそんな出鱈目な動きが出来るのか?」
「他の奴の事は知らねぇよ。俺は出来る、ただそれだけだ」
さも当然のように答えながら、『梟』は槍を右手だけでボールペンのように回してみせた。あの武器、どう見積もっても五キロはあるんだが、どんな仕組みだよ。あんな不健康そうな見た目のくせに恐ろしい程の筋力だ。
「にしても、随分と驚いたぜ。こっちの攻撃を誘っておいて、武器を破壊しに来るとはな。あの威力、普通の武器ならへし折れてたろうよ」
「俺だってそう思ってたよ。ったく、どんな素材を使ってるのか教えて欲しいね」
俺の冗談めかした質問に、『梟』は槍を眺め、首を傾げながらさらっと答えた。
「何だろうな? 興味無かったから聞いてねぇや。知りたきゃソイツに聞いてくれ」
「ソイツって、その死体か?」
「あぁ。この武器、元はソイツの持ち物だからな。面白そうだったから借りてみたわけよ」
「…………」
その言葉に、俺は思わず黙り込んでしまう。殺した相手の武器を使うという行いも誉められたものではないが、それ以上に気になる事が二つあったのだ。
仮に『梟』の話が本当だとすれば、床に転がる死体こそがアリスを誘拐し、ここに連れて来た誘拐犯だ。
つまりこの誘拐犯が、正体不明の頑強な素材を用いた、見た事も無い種類の武器を持っていた、という事だが。だとしたら、そもそもこの誘拐犯は何者なのだろう?
更に、『梟』は誘拐犯の武器を勝手に使っているわけだが、だとすれば『梟』本来の武器は一体何だ?
一見、この会議室の中に武器らしい物は置かれていない。暗殺者という事を考えれば、小さい武器を常備しているのかも知れないが、それにしたってあの服装ではまともな武器は隠し持てない。
だとすると、『梟』が最も得意とする武器はどこにあり、何だというのか?
──最悪、アイツは全力を出してないって事か。クソッ、余裕を持つ隙も無いな。
内心で舌打ちをして、俺は『梟』への有効策を探る。武器破壊を目的としたカウンターである『飛燕双閃』は、恐らくまともに通用しない。あの武器は破壊出来ない程に頑丈だし、『梟』自体も同じ攻撃を無防備に使わせたりしないだろう。
接衝穿は超至近距離じゃないと意味が無い。アイツの攻撃を掻い潜っていくのは骨が折れるな。となると──。
「いつまでも考え込ませると思うなよ、侵入者ァァア!!」
咆哮し、『梟』が再び突進してくる。横薙ぎの刃を屈んで躱したが、こちらが反撃に移るより速く切り返された刃が地を這うように迫ってくる。
「チッ!」
屈んで溜め込まれた足のバネを利用し、跳躍。攻撃を回避しつつ後方宙返りをして少しだけ間合いを離し、着地した際の前傾姿勢のまま踏み込んで懐に飛び込む。
槍の攻撃範囲なら、改めて距離を取らなければ有効打は放てない。顎を狙って下から鈍鉄を跳ね上げようとした瞬間だった。
「──チェンジコード・サイス」
そう呟きつつ、『梟』が小さなバックステップで僅かに距離を取った。
しかし、まだ俺の間合い。その上、槍の威力を最大限に活かすには今一つ物足りない後退。問題無い──そう判断して攻撃を続けようとした俺の耳に。
ガチャリ、という冷たく機械的な音が、背後から響いた。
疑問とほぼ同時に、形容し難い悪寒が背筋に警告を訴える。『梟』が獰猛な狂気を剥き出しにして、体を捻りながら右手の槍を引き寄せる。
ほぼ直線的に引かれたその軌道では、槍の刃は俺に触れる事無く横を素通りするだけだ。本来ならそこまで警戒する必要は無い動きだが、俺は自分の嫌な予感を信じて咄嗟に振り向き、鈍鉄を振り上げた。
瞬間、衝撃。
元々は俺の背後になる位置に振り上げた鈍鉄は、槍の刃を下から打って軌道を逸らした。結果、俺の首を切断しようとした刃は髪の先端を掠めるだけで頭上を通過した。
柄から直角に伸びた刃が。
「何、だそりゃ!?」
直感に感謝しながら、俺は慌てて『梟』が握る武器を見た。それは、刃渡り七〇センチはある立派な大鎌で──いや、待てよオイ。ついさっきまで刃渡り七○センチの槍だったろ!?
見れば、さっきまで柄と平行に取り付けられていた刃が直角に伸びている。横に突き出ていた筈の刃の芯は柄の先端側に移動し、同じく先端方向に突き出た菱形の部品に挟み込まれているのだ。まるで、刃がそのまま九〇度向きを変えたように──。
「そうか」
推測が確信に至り、俺は呟く。
『梟』はこう言っていたではないか。「チェンジコード」と。つまり……。
「その武器、変形機構を備えてるんだな。しかも、スイッチ操作を必要としない音声認識タイプ」
「ご名答。だから言ったろ? 面白いって」
大袈裟に口笛まで吹く『梟』の気持ちも分からないではない。
言っておいて何だが、音声認識型の変形武器なんて見た事が無い。状況証拠があったからこそ辿り着いた結論であり、ただ話だけを聞かされたら「妄想乙」とでも言ってやりたくなってしまうような代物だ。
──分からねぇ。ますます何者なんだ、今回の誘拐犯は。そもそも、こんなタイプの武器が市場に出回ってるのさえ見た事が……。
そこまで考えて、ふと俺の頭に妙な推測が浮かんだ。が、今はその推測の信憑性を考える余裕は無いので後回しにする。頭の隅には留めておくが。
それにしても、厄介だな。俺も大鎌を使う奴と戦った経験は殆ど無いし、何よりあの鎌の刃。槍だった時には、湾曲の外側が切断面だった。刃の向きが変わったからって、切れる場所までは変わらない。つまり、あの刃は両刃って事になる。普通、鎌の刃は湾曲した内側だけが切れるようになっている。故に、逆に言えば内側でなければ相手を切れない、非常に使いづらい武器だ。しかし、あの鎌は外側も切れる。使い勝手と攻撃範囲は段違いだろう。
──とは言え、あれが中距離戦闘を主眼に置いた武器って事は変わらねぇ。どんなに難しくても、やっぱ懐に飛び込んでいくしかないよな。
そもそも、こちらの攻撃が届かなければ勝てないのだ。圧倒的に経験値の足りない大鎌が相手でも、何とか攻撃を回避するしか──いや、手段はある。あれさえ使えば、回避・接近・攻撃。全て同時に可能だ。
だが、あれは威力の加減が利かない技だ。相手の命を奪いかねない以上、俺も使うのは躊躇われるのだが。
「なぁ『梟』。質問してもいいか?」
「別に構わねぇよ」
「アンタ、頑丈さに自信はあるか?」
「タフじゃなきゃ暗殺なんてやってられねぇぜ」
「そうか」
欲しかった答えを『梟』から聞き、俺は全身から力を抜いた。
「なら、その言葉を信じるとするよ」
「あぁ? ──よく分からねぇが、構えを解いたって事は殺して良いんだよなぁ!」
力強い踏み込みと共に、殺意を纏った鎌の刃が横薙ぎに俺の首を狙う。
鋒が迫る中、俺は神経を研ぎ澄ます。集中力が最大限に高まり、周囲の物体の動きが遅延し始める。
──まだ、まだ早い。もう少し。
そして、鎌が首に触れるかどうかという場所まで迫った。終わりを確信した『梟』が凶暴に笑う。