『匿名情報』(2)
「そうか……グリムドラゴンが警戒しているのが、自分にじゃなく『幼体』に対しての脅威だと仮定すれば──!」
「多少の物音に過剰反応を示し、柵を修繕する為の工具を持った人間を襲う理由として成立します。そして縄張りにした場所から身動きを取らないという事は」
「既に産卵を終えて、孵化を待っている可能性が高い……」
意見が合致した興奮をそのままに一気に言葉を交わし、俺達は一度息を吐いた。
成る程、今こそまで全く立てられなかった推測が一気に完成した。現状で最も信憑性が持てる可能性を手にした事は確実。
だが、だけれど──。
「……だとしたら、厄介過ぎるだろこの状況」
「ですな。『触らぬ神に祟りなし』と言いますが、この場合は『触らぬ母に』でしょうか」
全くその通り。動物に訪れる習性のサイクルに於いて、「繁殖期の雌」は最も危険性が高い組み合わせだ。しかもそれがグリムドラゴン――どうしてそんな時に人里に下りて来たのかと小一時間問い詰めたい……。
「そうだよ。どうして下りて来たんだ」
「……はい?」
「だってそうだろ。繁殖期で、しかも産卵寸前って状態だった筈だろ? だったらどうしてわざわざ人里の方に下りて来たんだ? どう考えても森の中の方が安全だろうが」
「──っ! ……少々お待ちを」
再び俯くと、『匿名情報』は自分の中の知識を読み返すように猛烈な勢いで呟き始めた。
「危険に近付く理由。それ以上の危険の存在。成体にとってではなく幼体にとって。それは、つまり……!!」
求めた答えに辿り着いたのか、『匿名情報』は勢い良く頭を上げて俺に向かって結論を告げた。
「──天敵の、存在……!!」
「天敵……居るのか? グリムドラゴンに?」
「正確には、孵化直後から一ヶ月程度の幼体に限られますが。確かに存在します──それが居るとしたら、人里に下りて来るという不可解な行動も納得出来ます」
孵化したばかりの幼体にとって天敵となる存在……そんな物が森を彷徨っているなら、確かに人里近くの方が安全だろう。
「けど、幼体にとっての天敵だよな? 成体になったグリムドラゴンが居る状態でも警戒するような相手なのか?」
幼体が対処不可能。だとしても、その幼体の傍には成体である親が居る。
孵化直後の幼体にとって天敵……それ以降は脅威から外れると言うなら、成体なら容易く蹴散らせるんじゃないのか?
「それが無理なのです。その巨体故に」
「……? 巨体だから、無理……」
巨大さが不利に働く相手。つまり、小さ過ぎる相手。動く際の風圧だけで揺らぎ、それ故に本命の一撃が当たらず排除出来ない相手。
それでいて、孵化直後の幼体にとって天敵……孵化したばかりなら、グリムドラゴンと言えど皮膚が弱い。なら蟻か? いや、流石に蟻の顎に負ける皮膚ではないだろう。だったら菌?いや、それなら「巨体故に」という言葉が成立しない。菌を相手に体の大きさは関係無いし。
けれど、それに似た──いや、菌そのものではなく。
「細菌を媒介する、虫? 蚊とか蝿みたいな奴って事か?」
「……リュウト殿。過去に名探偵を排出した家柄の出身でしたかな?」
どうやら正解だったらしい。
「って事は、その天敵を排除すれば──孵化した幼体が動けるようになったら、グリムドラゴンは森に帰るのか? だったらその方が楽そうではある……」
「楽、とは言い難いでしょう。例によって、その蝿も普通ではありませんので」
「普通ではない、蝿?」
「──死蝿群」
「……おい、それって」
「見た目は蝿と変わりありませんが、口が鋭い棘状になっています。その口を皮膚に突き刺して体液を吸うのですが……その際に『腐溶病』という病気の原因となる細菌を媒介するのです。その症状は、体内のあらゆる臓器が腐り、溶かされて死ぬ。まぁつまり、体の全てを吸い尽くす為の細菌でございます。その致死率は一〇〇パーセント、血清も存在しない最悪の病。故に第一級の疫病指定を受ける──変異種でございます」
…………。
「またか……また変異種なのか。もう勘弁してくれませんかねぇ……今すぐ帰ってアリスと和やかに過ごさせて貰えませんかねぇ」
もうどういう事なの。変異種ってこんな頻度でエンカウントするような個体数じゃなかった筈なんだけど。時代が変わったの? 取り残されてるの? おかしいと思っているのは最早俺だけなの?
「……心中お察しします。が、しかし。グリムドラゴンと死蝿群、どちらの方が対処可能かと聞かれれば……確実に死蝿群でございます」
「……何でそう言い切れる? 死蝿群の細菌には人間もやられるんだろ? そうじゃなきゃ第一級の疫病指定なんてされないからな。だったら死蝿群には口で刺されたら終わり、しかも外見が蝿と変わらないなら俺達にとっても小さ過ぎる。狙って潰すのは難しいし、数の暴力に出られたら打つ手が無い。グリムドラゴンも死蝿群も、『こっちの攻撃が通り辛く、一撃貰ったら致命傷』という事実は変わらない……正直、詰んでるだろ俺たち」
溜め息と共に希望も吐き捨ててしまいたくなるくらいには、状況が芳しくない。死蝿群を森ごと焼き払いたくなってしまうが、そうするとグリムドラゴンが帰る場所を失ってそのまま居着いてしまう可能性がある。自然破壊良くない。
「確かに、死蝿群は小さい蝿型の魔物です。しかし、小型の死蝿群はあくまで端末。その全てをコントロールしているのは一匹の王と呼ぶべき巨大な蝿でございます。これさえ倒してしまえば、小型の死蝿群は自然消滅するのです」
……親玉さえ潰せば子分も消える。成る程、見た目が蝿でもこっちは変異種、その在り方は大分違うらしい。
「……けど、巨大って言っても蝿だろ? 結局は小さいんじゃねぇの?」
「体長はおよそ五〇センチ程度だったと記憶しておりますが」
「デカっ!? 気持ち悪っ!!」
予想を遥かに超えるサイズに、思わず悲鳴を上げてしまった。五〇センチの蝿……うっわ、うっっわ。想像しただけで減量効果が期待出来るぞこれ。暫くは食欲が働かない気がする。
「確かに気分は悪くなる外見ですが、耐久性は蝿より硬い程度。他の魔物と比べてもかなり脆い部類に入ります。つまり、当てれば勝ちでございます」
「お前が言いたい事は、まぁ……理解した。確かにそれなら、死蝿群の方が勝ち目はありそうだ」
五〇センチという大きさがあるなら、こっちの攻撃も当てようがある。そして、当てればほぼ勝ち──条件だけを考えれば、死蝿群を相手にする方がよっぽど現実的だ。
「けど結局、近付けるのか? その王には」
「いえ、厳しいでしょう。周囲に相当数の端末が居ますし、王は羽から腐溶病の細菌を散布出来ますので。半径二メートル以内は踏み入ったら死にます」
「おいコラ」
「はて。私の持つ情報では、リュウト殿ならその外から殺せるのでは?」
「……噂通りの情報網なのはもう疑ってないけどよ。どこから仕入れてるんだよその情報」
どうせ答えるつもりは無いであろうその質問に、『匿名情報』は仮面の奥から小さな笑いを漏らした。
「──誰にも見えず、どこにでも居る。それ故に私は『匿名情報』なのでございます」
「……はいはい、分かっちゃいたけど。情報の仕入れ筋をうっかり喋ったりはしないよな」
語調の滑らかさから推測するに、今のは決まり文句みたいな物だろう。それだけ多く、同じ事を言われ続けて来たという事だ。
何故なら、情報が正確すぎて笑えねぇ……信用を通り越して不信感が募る程の情報力だからな。
ここまで詳しいと、情報が正確な物だと判断出来ても「何でそんな事まで知ってるの?」と思ってしまう。試験で実力によって満点を取り続けても、どこかで不正を疑われるように。
「……何つぅか、損してるよな」
「お気遣い痛み入ります。ですがそれより……」
そこで言葉を切ると、『匿名情報』は俺と話し始めてから初めて、マントの中から右腕を出した。
「……そろそろ、頂けますか?」
……あぁ、そうだよな。
「悪い、正直忘れてたわ。……トータルで幾ら? 何だかんだで結構な数の情報を貰ったからなぁ」
「そうですね。情報のレアリティを考えれば三万マール程度になりますが……」
……わぉ、半端ねぇな。
「ですが、今回はただの情報提供だけではありませんでした。私としても有意義な会話をさせていただきましたので……一万マールに割引いたしましょう」
「それは助かる……けど」
呟きながら、俺は財布を軽く開いて中身を確認。……うむ。
「かなり突発的に呼んだから、情報料を支払う前提の手持ちが無いんだよな……ちょっと支払い待ってくれないか? 今回の依頼が終わったらその報酬で払うとかじゃ駄目?」
「──ふむ。失礼ですが、今の手持ちは?」
「四八〇〇マール」
特に隠す理由も無いので、『匿名情報』にも見えるように財布を広げて見せた。それを実際に見て、『匿名情報』は今度こそハッキリと笑った。
「フフッ……面白い方ですな。普通は情報屋に対して支払う料金は、ある程度の駆け引きを経て決める場合が多いのですが。まさか私の希望を全面的に飲もうとし、本当に手持ちが足りない事を正直に仰られるとは」
「そんなシステム知らねぇしなぁ……俺達が書庫に籠って調べても辿り着けない情報を貰ったんだ、一万マールは妥当な価値だと思ったから払おうとしただけだし」
これまた正直に話すと、『匿名情報』は本当に面白そうに低い笑い声を続けた。
「──分かりました。今回の情報料は結構でございます」
「……いやいや、それは流石にサービスが過ぎるんじゃないか?」
「良いのでございます。私としても面白い方にお会い出来たという収穫になりましたので……そうですね、今後ともご贔屓にしていただければ」
「……オーケー。その情報力が必要な時が来たら頼らせて貰う。助かったぜ『匿名情報』、噂以上だった」
「有り難きお言葉……では今回はこれにて」
深々と頭を下げると、闇に溶け込むように『匿名情報』の姿が消える。試しに感覚を研ぎ澄ませてみるが、微塵も気配を追う事は出来なかった。
「……俺の感覚の外に一瞬で出たのか? 人間とは思えない速さだな」
『匿名情報』の正体も気になるが、今は置いておくとしよう。それよりも先に確かめなければならない事があるわけだし。
「さて、とりあえず書庫に戻って……ミッドを起こす所から始めようか」
*
書庫の中に、鈍い音が響いた。
「…………ぁん? 何だ、朝か?」
机からゆっくりと起き上がったミッドが頭を抱えながら自分の周囲を見渡し、俺が居る事を認識し、俺の手元に視線を移して。
「……なぁリュウト。お前が手に持っているのは一体……何だ?」
「目覚ましのつもりだけど、何か問題があったか?」
「半分程度が木っ端微塵に砕け散ったワインの空き瓶を目覚ましとほざいた事を問題提起してない事が問題だな」
「三本目で漸く目を覚ました奴が言う台詞か? 頭に弩を叩き込まなかっただけマシだと思いやがれ」
つぅか頑丈過ぎるだろオッサン。空き瓶が粉砕されてるのに無傷とかどういう素材の頭してんだ。
そんなミッドは未だに眠そうに欠伸をしてから、「で」と俺に切り出した。
「……随分長かったな。『匿名情報』から何か手掛かりを掴めたのか?」
「壁を借りるって言っただけで伝わったのか。思ってたより有名なんだな」
「騎士団の諜報隊も仕事はしてんだよ。『匿名情報』は確かに存在しているって事くらいは認知してる」
「仕事はしてる、ねぇ。『匿名情報』に情報の質で惨敗してる件についてはツッコまないであげた方が良いのか?」
「反感を買って私生活を丸裸にされたいなら好きにしろ……で、何か分かったのか?」
騎士団に於ける隠密行動・情報収集のエキスパート、諜報隊。そんな連中に追い掛け回されるのは嫌なので、俺は本題に入る事にする。
「どうせなら諜報隊に働いて貰うか。グリムドラゴンの討伐は後回しだ、付近の森を調査して欲しい」
「森を調査、だぁ……? 何を調べろって言うんだ」
「──死蝿群の存在だ」
俺の言葉に一瞬で表情を険しくしたミッドが沈黙し、ゆっくりと息を吐いた。
「……それは確かなのか?」
「それを確かめて欲しいんだよ。あのグリムドラゴンは恐らく雌、繁殖期を迎えて産卵直前だった。にも関わらず人里近くに陣取って……多分、産卵を終えて幼体の孵化を待っている。その状況を作り出しているのが、孵化直後の幼体にとって天敵となる死蝿群……ってのが、俺と『匿名情報』が導き出した推測だ」
「……冗談だろ? グリムドラゴンに加えて死蝿群だぁ? グランサス全域に避難指示を出す事も考慮しなきゃならないような緊急事態じゃねぇかよ」
ミッドが頭を抱えるのも仕方無い。グリムドラゴンがグランサスの近くに居座っているだけでも異例なのに、そこに重なるように死蝿群という疫病指定を受けた変異種が存在するかも知れないと住民が知ったらどんな騒ぎになるか。
「……リュウト、明日になったら一旦帰って良いぞ。諜報隊に要請はするが、調査対象が死蝿群となれば動きも慎重になるだろうからな……時間は掛かるだろ。何か分かったら改めて連絡する」
「分かった、そうさせて貰う。レイジにも話してみるか?」
「協力するとは思えねぇけどなぁ。好きにしろ、アイツなら情報を漏らしたりはしねぇだろうしな」
やる気は無いが適当な事もしない──成る程、レイジに対するミッドの評価は実に正しいようだ。
「じゃ、そこまで決まった所で……何か食いに行こうぜ。腹減った。ゴチ」
「スムーズに奢らせようとしてんじゃねぇぞコラ……と、言いてぇとこなんだがな。とりあえず今日の進展はお前の成果だし……しょうがねぇ、行くぞ」
「え、マジで良いのか?」
「もう一度確認したら取り消すぞ」
「あざっす、ゴチになりまぁっす!!」
その後、ミッドの奢りで食事を堪能した俺はグランサスの宿に一泊。
翌日の朝一で馬車に乗り、フィリンダへの帰路についた。
白いのはグリムドラゴンの成体→超硬いから逃げる必要も無いぜ(キリッ)→……あれ、そんな泰然と構える存在がちょっと音を立てただけの騎士を襲う理由って……→そうだ、繁殖期の雌だという事にすれば万事解決!完璧だろこれ→……じゃあ繁殖期のくせに人里に下りる理屈って何ぞや?→……orz……。
こんな流れで死蝿群が生まれました。脳みその隙間からにゅるっと生まれましたよえぇ。あと正直言えば成体のグリムドラゴンは人類の手に負えませんな。誰だこんな異常生物を作ったの。俺だよ分かってるよ畜生
……さて、ここから再び曲がりくねった展開の帳尻を合わせませんと。ではまた




