いつもの行い、異常の誘い(3)
「…………」
そうか。そう言えば、コイツは俺の技の原形に思い当たる節があったらしい。俺は酷く面倒臭そうに盛大な溜め息を吐いてから、その問いに答えてやる事にした。
「だった、と言うべきだな。最初に言った通り、俺は万屋だ。今はもう、あそこには籍を置いてねぇよ」
「そうか……そうだな。だからこそ、俺達が全員生きてるって事か」
自嘲するような笑みを浮かべるリーダー格の男に、今度は俺が持っていた疑問を尋ねてみる事にした。
「そもそも、どこで知ったんだ? 俺の剣術の原形は、目にした人間の記憶に残るような物じゃないぞ」
「その言葉の正しい表現は、目にした人間は生き残らない、だろう。俺も実際に見たわけじゃない。前にいた盗賊団の偵察役の奴が、その『部隊』と化け物の戦闘を覗き見た時の事を聞いただけだからな」
「化け物、ねぇ」
この世界──ヴァルヘイルに於いて、そんな表現を用いられる生物は稀だ。そもそも街の外には人間にはほぼ無害な野性動物はともかく、動物とは明らかに異なる進化を歩んだ異形・魔物が跋扈している。そんな光景に慣れているのだから、その枠を飛び越えて「化け物」と呼ばれる存在の方が珍しい。
──まさか、変異種? だが、遭遇する事すら稀で、破壊性能が桁違いな変異種と戦闘行為に及んだ、なんて事例があったか?そもそも、あの部隊の行動理念じゃ、変異種との遭遇は即時撤退に該当する筈。
そんな俺の思考を、複数の足音と大型の車輪の音が遮った。振り返ると、風鳴りの谷の方から前後を二人ずつの護衛兵に囲まれた護送馬車が姿を見せた所だった。
「相変わらず、でけぇ馬だよな」
俺の呟きが聞こえたわけではないだろうが、馬車を引く馬が小さく喉を震わせてフルルル、と鳴いた。この護送馬車を引いているのは、全高は約三メートル、体長は四メートルに迫ろうという巨躯を持つ「グランホース」という種類の馬だ。聞いた話ではこれでも未だ若い馬で、最大だと全高五メートル、体長六メートルにも達するらしい。確か、グランダース大陸南西部の高原地帯に生息している野生の馬を飼い慣らして、馬車を牽引させているんだとか。一頭で約三トンの重量を運搬出来るという、ある意味で馬車を引く為の進化を遂げたような馬だ。
その馬車がゆっくりと停車し、護衛の兵は俺に略式の礼をすると馬車の傍を離れて、捕らえられた嵐竜の方に歩いていく。
その様子を眺めていると、馬車から中年の男が降りてこちらに手を上げた。何度か仕事で世話になった事のある馴染みの護送屋だ。
「よう、久し振り。悪いな、物騒なモンを運ばせるけど頼むぜ」
「今更だろ? 最近じゃ、スリルのある運搬なんてのはお前からしか依頼されねぇからな。それに、こういうハイリターンな仕事は何度受けても飽きねぇしな」
笑顔と共に右手の親指と人差し指を付けて輪を作る護送屋に、俺は物好きめ、と肩を竦めた。
実際、犯罪者の護送は運搬業の中でも高収入上位三つに入るのだ。護送を完了すれば、運んだ犯罪者の人数に応じて危険手当が貰える。その額、一人頭で一五〇〇マール。つまり、今回は八人なので一二〇〇〇マールの危険手当が手に入る。通常報酬と合わせれば、この護送屋は俺と同程度の報酬を手にする事が出来るわけだ。
「そんなに機嫌が良いなら、ついでに向こうの嵐砂岩も運んで欲しいモンだな」
「金は貰うぞ」
途端に真顔で返す護送屋に、俺は苦笑と溜め息だけを渡してやる。
「オーライ。金の代わりに汗と体力を浪費する事にしよう。けど、嵐流沙漠を抜けるまでの風避けにはさせて貰うぜ?」
「それは好きにすれば良いさ。ま、お前が俺の馬に付いて来れればの話だけどな」
「おい、速度の加減くらいしてくれよ。あの馬の馬力なんて、自慢されなくても見りゃ分かるって」
俺の言葉に護送屋はつまらなそうに首を鳴らしているが、誰があんなデカイ馬の後ろで全力疾走したいと言うか。
そんな与太話をしている間に、嵐竜の構成員を馬車に詰め込む作業は終わったらしい。こちらに──正確には護送屋に、護衛の兵が手で合図を送っている。
「終わったか。んじゃ、一稼ぎさせて貰うぜ、リュウト」
結局は現金な台詞を言い残し、護送屋は俺に背を向けて馬車に戻っていった。
俺も簡単に体を解してから、再び荷車に手を掛けた。
*
嵐流沙漠を出て、フィリンダ方面へ一〇キロ程進むと、砂地は大地へ変わり、広大な森林地帯が姿を現す。平均二〇メートル級の大木が日光を吸収する為、年間平均気温は一八度という涼しさだ。
流石に疲労が溜まった俺は、この森の中程で護送屋と別れて休憩を取る事にした。地面に座り込んでいると、森の中特有の清涼感のある風が体を撫でていく。
「そう言えば、確か少し歩いた所に湧き水があったかな。持って来た水も温くなっちまったし、新鮮な水を頂いてくるか」
嵐砂岩を放置するのは少し心配だが、未だ沙漠から盗賊が駆逐された事は町の誰も知らない。となれば、進んだ先には沙漠しか無いこの道を訪れる者は殆どいないと見て構わないだろう。
それに、多少盗まれても問題無いように、予定より多目に採取して来たんだ。たかが五分くらい目を離す程度なら気にする必要も無いと判断して、俺は本来の道から逸れた獣道のように細い道を歩いていく。
基本的に誰かが整備をしているような森でも無いので、本来の道と表現した幅の広い通り道も、この細い道もただ単に踏み均された結果、草が生え辛くなって道らしく見えるだけだ。最近は人通りが少なかった影響もあり、道の所々に雑草が生え始めている。
「っ、と。確かそろそろ……あった!」
足を速める俺の目の前に、直径二メートル、深さ三〇センチ程の湧水泉が現れた。正式に泉と呼べる程の大きさでもなく、特別に名前が付けられているわけでも無い、フィリンダ周辺に住んでいる地元民しか知らないような湧き水だが、余り人が触れる事も無いので水としての純度は非常に高く、俺も通り掛かった時にはよくお世話になっている。
両手で掬った水で顔を洗ってから、改めて透き通った水を喉の奥に流し込む。ひんやりとした感覚が体の中に落ちていくのを堪能してから、俺は何気無く周囲を見回した。
「──ん?」
ふと感じた違和感の正体を確かめるべく、視線を足元に向けた。
目に入ったのは、俺が歩いて来た道とは別方向。森の更に奥へ向かって草が踏み倒された跡だった。さっきも言った通り、この森にある道は人が通らなければ出来上がらない。見た感じ、この草が踏まれたのはごく最近──数日以内のものだ。しかし、この奥には廃業した材木加工工場の廃墟が存在するくらいだったと思うのだが。
「嵐竜が根城にでもしてたか? だとすれば、まだ裏取引に流していない鉱石が眠っているかも知れないけど……ま、今は気にする必要も無いか」
そもそも、こっちは依頼された鉱石の運搬中で、更に盗賊捕縛の報酬を受け取りに行く道中だ。ここから余計な寄り道をしている暇は無い。
最後にもう一掬いの水で喉を潤してから俺は元の道を辿り、一応嵐砂岩の数に変化が無い事を確認してからフィリンダへの帰路を再び歩き始めた。
俺がフィリンダ入り口の橋を渡ったのは、一七時を回った所だった。
住民が食材等を買いに仲介所前の路地を利用するピークの時間帯は、一五時から一七時の間。これだけの大荷物を運び込むなら、人通りは少ない方が良い。計算していたつもりは無いが、良い具合の時間に到着出来たようだ。
俺が荷車を引いて路地に入ると、明日の仕込みをしていたらしい肉屋の店主が肉切り包丁片手にこちらに近付いてきた。とりあえずその凶器をしまってこい。
「おぅ、リュウト! 随分な量を持って来たなぁ!!」
「随分な量を注文したのはアンタ等だろうが。途中で五回は腕が千切れるかと思ったぞ」
俺と肉屋が会話している最中にも、俺に嵐砂岩を注文した面々が次々と近寄ってきて、特に感謝の意を感じ取れない労いの言葉を投げながら必要量の嵐砂岩を荷車から取り去っていく。そして店の中に姿を消すと、今度は各々の手に魚や果物、野菜を持って来て荷車に次々と載せていく。
つまり、これが今回の嵐砂岩採掘の報酬。肉屋の店主が現物支給にしたのに倣って、他の店の人も商品を適当に見繕うという事だったのだが、嵐砂岩の山と大差無い量だ。これだけの食材、どうやって保管しておこうか。どうせなら、せめて魚くらいは干物を選んで欲しかったというのが本音だが、貰える物にケチを付けるのは俺の理念に反する。ここは有り難く頂いておこうと結論付けて、俺はある意味で本命と言うべき目の前の男に視線を向けた。
「で、約束は忘れてねぇよな?」
「ったりめぇよ。今ある中で最高の肉を三キロだったよな?」
そう言ってニヤリと笑うと、店主は店に戻っていった。そして、再びこちらに歩いてきた店主は右手に持った物を掲げた。
「コイツが報酬だぁ!!」
それを見た俺は、ピシリと硬直した。
「おいコラ。テメェ、そりゃこの前のゲテモノ肉じゃねぇか!?」
確かに見覚えがある。この肉は間違いなく、嵐砂岩採掘を依頼する前にこの店主が俺に超特価(なのかどうかも分からない)で売り付けようとした謎の肉塊ではないか。
「待て待て、落ち着けやリュウト。俺も肉屋の端くれとして、この肉が何なのかを調べてみたわけよ。そしたらよぉ」
ちょいちょい、と指を動かして「近くに寄れ」と急に声のボリュームを絞る店主を訝しげに睨んでから、俺は仕方無く耳を傾ける。
「実はな、俺も実物は初めて見たんだが。これ、グリムドラゴンの肉らしいんだわ」
「なんっ……!?」
だと、と言い切る余裕も無く、俺は眼前の奇妙な肉を凝視した。
ドラゴンと言っても、本物の竜を指した名称ではない。グリムドラゴンは、全長八mを超える世界最大のトカゲだ。肉食動物として最凶と言われる程に気性が荒く、縄張りに侵入した生物を例外無く噛み殺す。その顎の力はおよそ五トン──どんなに鎧を着込んでもチーズのように噛み千切られてしまう。皮膚を覆う強靭な鱗は並大抵の攻撃では欠ける事も無く、走る速度は最高で時速七〇キロ。揃って欲しくない走攻守の三拍子を備えた様は、文字通りの悪夢。
故に、生息地は危険区域に指定され、本来なら近付こうとする者はいない筈なのだが、このグリムドラゴンを狩ろうとして負傷したり死亡する者が後を絶たない。
理由は一つ。グリムドラゴンの肉が、恐ろしく美味なのだ。噂では、一口でも食べたら一週間は他の肉を食べる気がしないとも言われているような伝説じみた肉で、その価格も非常に高価。一キロ五万マールもする超を突き抜けた高額食材だ。
そんな物が、俺の目の前に実在するだと?
「冗談だろ? マジだとしたら、嵐砂岩調達の報酬としちゃ度が過ぎてる。三キロだと単純計算で一五万マール相当。普通に売った方が良いだろ流石に」
「それがそうとも言えねぇんだよな。こんな飛び抜けて高い肉、この町じゃ誰も買えねぇよ。だからって手が届くような値段まで下げたら、『またこの値段で手に入るかも』なんて期待を持たれちまうだろ? 俺としちゃ、置いておくだけ面倒事が増えてく悩みの種ってわけだ」
だから持ってけ、と右手の肉塊を突き出され、俺は遠慮が消えないままにそれを受け取った。正体が分かった途端に美味そうに見えてくるのだから、人間の目というのは便利なものだ。
「本当に良いんだな?」
「他の肉なら『俺の気が変わらねぇ内に~』なんて言う所だが、コイツに関しちゃ気も変わらねぇよ。遠慮しねぇで持ってけ」
「分かったよ。ありがたく貰ってく」
「おぅ、お疲れさん」
ヒラヒラと手を振りながら去っていく肉屋の店主を見送ってから、改めて食材が山と積まれた荷車を見た。どうやら、これを家に持ち帰るのが先決のようだ。
*
「……俺の家、床下収納なんかあったんだな」
あまり大きくない冷蔵庫と、駄目元で探してみたら発見出来た床下収納に食材を詰め込む事に成功し、俺は再び仲介所前の路地まで戻って来た。
正直、床板が鳴る度に「ガタがきてるな」と思っていたが、まさかあれが床下収納だったとは。住み始めて四年になる物件を使いこなせていなかった事に若干気が落ち込みそうになる。
「ともあれ、今後活躍させてやれば良いだけさ。今は気持ち良く報酬を受け取りに行くとしよう」
呟いて、俺はポケットから書類を取り出す。護送屋と別れる前にサインして貰っておいた、依頼対象引き渡し証明書だ。捕縛者用と護送者用の二枚があり、お互いに不足無く仕事を遂行した事を証明する物で、これが無ければ報酬を受け取れない大事な物だ。
記入漏れが無い事を確かめて、俺は証明書をポケットに戻した。そして、人通りの少なくなった路地を抜けて、仲介所の扉を開く。
「…………?」
仲介所の中は静かだった。
と言うより、静か過ぎる。一八時になろうというこの時間でも、ざっと見積もって二〇人は居るのに、空間を支配するのは不気味な沈黙。
そんな中でカウンターの奥、仲介所の職員だけが、忙しなく、しかしやはり静かに動いている。一切喋っていないわけではないが、話し声は全て隣の人物に聞こえる程度の囁き声で、ここからでは細やかな雑音くらいにしか聞き取れない。だからこそ、更に不気味としか言い様が無い。
──何だ? この感じ。こんな雰囲気は初めてだな。
とりあえず、カウンターに向かって歩いて行くと、レイジと目が合った。
途端、俺は思わず立ち止まってしまった。普段は大した感情も見せないレイジの表情が、間違い無く困惑に染まっていたからだ。
「何だよその顔、縁起でも無いぞ。明日の天気が硫酸雨になっちまったらどうすんだよ」
「あぁ、リュウト」
俺の皮肉に苦笑すら返さず、レイジはただ俺を真っ直ぐ見据えた。
そして切迫した声で、唐突にこう切り出した。
「最悪の依頼が飛び込んで来た」
…とまぁ、こんな感じの物語でした。別にフリーターが仕事を頑張って家を買うような話ではないです。
こっちの小説も不定期の更新になります。気分と調子と思い付きの質で執筆速度が大きく左右されます。予めご了承ください。
またいつかまで、ではらば~