いつもの行い、異常の誘い(2)
それから三日後。俺は嵐流沙漠の地面にピッケルを突き刺して、水を一口飲んで盛大に溜め息を吐いた。
「──はぁ。疲れる」
腰を下ろした俺の横には、大きな荷車が鎮座している。俺はこれから、この荷車に載るだけの嵐砂岩を採掘しなければならない。
「迂闊だったぜ。肉屋以外にも砥石が必要なのは当たり前だってのに」
そう、迂闊だった。仲介所からの帰り道、肉屋以外の露店──魚屋や青果店、その他諸々──からも、嵐砂岩入手の依頼が殺到したのだ。
何より、肉屋の店主の口には一切のセキュリティシステムが存在していない事を失念していたのが最大の失敗だった。俺が嵐砂岩を採りに行く事は、仲介所で話し込んでいる間にあっという間に広まってしまっていたのだ。
結果として俺は、嵐流沙漠からおよそ五〇キロの嵐砂岩を持ち帰らなければならなくなった。安請け合いは禁物だと叫んで、三日前の俺に届けば良いのだが。
「──っし、掘るかぁ!」
気合いを入れ直して、俺は地面からピッケルを引き抜いた。暫く人の手が入っていないので量は充分だが、その分硬度が増していて随分と手が掛かる。さっきから何度もピッケルを降り下ろしているが、ヒビを入れるのも一苦労だ。
「せぃあっ!」
ギャンッ! と硬質な音が響き、何かが弾け飛んだ。それはヒュンヒュンと空中で円を描き、やがて砂の上に落ちた。黒く尖ったそれは、間違いなく俺の手に握られたピッケルの先だった。
「……マジかよ。安物は信用ならねぇな、クソッ」
ピッケルをくるりと回せば、もう一つの先端は残っている。しかし、成果は推して知るべし、だ。俺はピッケルを適当に放り投げて、腰に手を伸ばした。
「同じ突きならお前の方が上だ。頼むぜ相棒」
そう囁いて、俺は腰から鉄剣、鈍鉄を引き抜いた。
右手にしっかりと握り、肩の高さで地面と平行に構え、弓を引き絞るようにギリギリと力を溜める。先程までピッケルで掘り続け、砂壁の中で僅かに窪んだ場所に狙いを付ける。相対距離、およそ三メートル。
呼吸を深くして神経を集中し、スッ、と構えを一段低くして──。
「──シッ!!」
両足で地面を蹴り込み、〇から一〇〇へと一気に加速。運動エネルギーと全体重移動を右腕に、その先の鈍鉄に注ぎ──寸分違わず、狙った窪みに全力の突きを打ち込んだ。
ズシィィン!! と壁全体が震えたような音が沙漠に響き、砂の壁がミシミシと悲鳴を上げる。
が、そこから先は変化が無い。突きを放った姿勢のままで様子を見てみるが、やはり壁はそのままだ。
「仕方ねぇ、もう一発……?」
渾身の突きを叩き込んでやろう、と俺が思った時、上から砂の欠片がパラパラと落ちてきた。つられて上を見ると。
「──あ」
嵐砂岩の塊が、ダンジョンのトラップで定番の大岩みたいに転がり落ちてきていた。
真っ直ぐ、俺を目掛けて。
「ああぁぁぁぁぁああああ!?」
さっきの俺の突きを遥かに凌ぐ轟音が地面を砕き、めり込んだ。
「……し、死ぬかと思った」
正直、直前で軌道が変わって左に二メートル逸れてくれたのは運が良かったとしか言いようがない。おまけに、落下の衝撃で嵐砂岩の巨大な塊は複数の手頃な大きさに割れている。ここから砕いていけば、採掘のノルマは達成出来そうだ。
「さて、ここからはピッケルで事足りるな。割るぜ、砕くぜ、儲けるぜぇ?」
意気揚々と嵐砂岩に向かう俺は、さぞ楽しそうに見えただろう。
──そう。さっきから俺の様子を、遠くから覗き見ていた奴等には。
*
「──ぬおぉぉぉぉおおぅ」
前傾姿勢で荷車を引きながら、俺は唸り声を上げていた。が、その唸り声も聞こえない程に耳元で風が唸りを上げる。
「ヤバい! 向かい風ヤバい!!」
正直、前に進めているのかさえ怪しい。
全く、重量物運搬と強烈な向かい風は最悪の組み合わせだ。荷物の重さのお陰で後退してしまう事は無いが、前に進もうとすると筋力自慢が五人は必要なんじゃないかと思ってしまう程に抵抗が強い。
「……駄目だこりゃ。一旦戻ろう」
前進を諦めた俺は、一八〇度回頭して風が当たらない岩場の陰を目指し引き返す。
今度は追い風となった強風に押されて走るように目的の場所に辿り着くと、荷車の持ち手を下ろして座り込んだ。
「くっそ。いけるかと思ったんだけどなぁ。えっと、今日の風力予想は?」
ズボンのポケットに突っ込んでおいた四つ折りの紙片を取り出し、ガサガサと開く。事前にフィリンダで入手しておいた、嵐流沙漠の今日の風力変化を予測したデータだ。
懐中時計を見て時間を照らし合わせながら、紙に記されたデータをじっと睨み、くしゃっと丸めてポケットに突っ込んだ。
「今日の弱風予定時刻まであと二〇分か。それまでどう時間を潰そうかな」
保存食として持って来た干し肉を口に含み、煙草のように咥えたままで次の言葉を発する事にした。
「──アンタ等が暇潰しに付き合ってくれれば楽なんだけどな? 『嵐竜』さんよぉ」
直後、複数の場所から気配の揺らぎが感じられた。それはそうだ。俺がさっき通過を断念した地点こそ「風鳴りの谷」──嵐竜が採石屋の襲撃地点として利用していた場所なのだから。
そして、帰り道の正面から襲い掛かる馬鹿はそういない。谷に入る前のこの場所に潜み、時間差で背後から襲うのが盗賊としては常識だろう。
果たして、俺が休んでいる以外の岩場から、ゆっくりと人影が湧いて出る。その数……八。
「運良く気付いた程度で、調子に乗りやがって。俺たちを相手に、たった一人でどう暇を潰そうってんだ?」
その中のリーダー格と思しき男が、成る程、盗賊としては一人前な鋭い眼光で俺を睨む。
俺は肩を竦めると、ベストの胸ポケットから薄い直方体の箱を取り出してみた。
「あえてトランプとかどうよ?」
「ナメてんのかテメェ」
「へぇ、良く分かったな」
俺は残っていた干し肉を口の中に押し込んで、咀嚼しながら立ち上がる。砂埃を払ってから、この場では邪魔になるだけのバンカーコートを脱いで荷車に放り投げた。
「顔を出してくれて感謝するぜ、一五〇〇〇マール。俺の生活費になれる事を幸運に思うんだな」
高らかに宣言した俺の全身を眺めて、リーダー格の男は忌々しげに舌打ちをした。
「テメェ、やっぱりただの採石屋じゃねぇな」
「ご明察。俺は犯罪以外は何でもござれな万屋だよ。職種不定のアウトローって所は、お前等と似てるけどな」
「成る程。で、その万屋に聞いてみてぇんだが」
リーダー格の男が左手を上げると、それまで微動だにしなかった残りの七人が一斉に各々の武器を抜き放った。盗賊の割には統率が取れてるな、と感心していると、盗賊全員から明確な殺気を向けられた。
「一対八という状況が、どれだけ絶望的か知ってるか?」
言葉と同時、リーダー格の男の左手が降り下ろされ、手下の七人が次々と俺に殺到してきた。
対して俺は腰から鈍鉄を抜き、脱力した状態で盗賊の動きに注視する。
俺と最も近いのは、右から二番目の男。武器は、刃渡り七〇センチの曲刀。初動の勢いそのままに、上段から袈裟懸けに斬り付けようとしている。
俺はゆっくりと鈍鉄を持つ右手に力を入れていき、次の一瞬に全神経を集中する。
三、二、一……。
「死ねぇゃぁぁぁあ!!」
ゼロ。
「──らぁッ!!」
男が曲刀を振り下ろしたその瞬間、俺は右から左へ弧を描くように、下から振り上げた鈍鉄で曲刀の横──腹の部分を思い切り打ち払った。
耳障りな金属音を立てて、曲刀は半分以下の長さにへし折れた。男の顔が驚愕に染まるのを待つ事も無く、俺は左に振り切った鈍鉄を切り返し、脇腹を力任せに薙ぎ払った。
「なっ……げぇふっ!?」
二メートルくらい宙を舞い、男は砂地を弾みながら転がる。やがて砂壁に激突すると、そのまま動きを止めてしまった。
「な、に……?」
一瞬の出来事に唖然としている盗賊団を見回して、俺は足下に転がっていた曲刀の刃を蹴り飛ばしてから笑顔で言ってやった。
「安心しろ。コイツはどこが当たっても峰打ちだ」
「ッ! テメェ──」
盗賊の硬直が解けるより速く、俺は前方に短くダッシュして距離を詰める。さっき吹き飛ばした男の次に近い位置まで迫っていた、どこで手に入れたのだろう。騎士団が正式採用しているタイプのハルバードを構えた男に狙いを定めて、前方に突き出されたハルバードの長い柄、その中程を左手で掴んだ。
「なっ!? この」
男は両手に力を込めて反撃を試みるが、俺が掴んだハルバードはビクともしない。
「物理の基礎を勉強し忘れたのか? 柄の端に近い部分を握った状態で、満足に力が伝わると思うなよ」
そう、これはごく単純な「支点・力点・作用点」の問題だ。筋力を発生させる力点が腕、力を伝達する為の支点が両手、力を伝えたい作用点がハルバード全体プラス俺という成人男性一人分の重量。
重量物を一人で扱うなら、その重量が左右の腕に均等に掛かるようにするのがベストだ。誰だって、バーベルを持ち上げるのにどちらかの端を持とうとは思わない。
今の盗賊の男のような状態では、例え俺が掴んでいなくとも約八キロのハルバードを満足に振り回す事は不可能だ。恐らく、こういった武器を扱った事が無いんだろう。
御愁傷様、と呟いて、俺はハルバードを相手の方に押し込んだ。男が体勢を崩されまいと慌てて前に踏ん張ろうとした瞬間に、今度は思い切り引っ張ってやる。
「っ、おぁっ!?」
完全にバランスを崩して躓いたように前に出てきた男の胸に、俺は鈍鉄の先をピタリと押し当てた。
「──接衝穿」
直後に俺が取った行動は、周囲の盗賊の目には「押し当てた武器を、腕の曲げ伸ばしの差だけ突き出した」だけに映っただろう。
だが、実際には違う。もしそれだけの行動なら、俺の攻撃を受けた男が一〇メートル後方の砂壁にノーバウンドで叩き付けられる、なんて現象が起こるわけが無いのだから。
「……なん、だそりゃ」
余裕が完全に消え去り、未知の恐怖に直面した者特有の怯えたような表情でリーダー格の男が一歩後退る。
「メカニズムは単純だよ。俺の戦闘スタイルの根幹は『完全な脱力から瞬間の全力』って奴でな。一度停止した動作を次の瞬間に自身が体現し得る最高速度で実行するのさ。すると、人間の目はその急激な速度変化に対応出来ず、反応が遅れてしまう。止まった蝿を叩こうとして、逃げられた瞬間に動きを見失っちまうのと同じ原理だな」
「ば、馬鹿言ってんじゃねぇ! たったそれだけの事であんな吹き飛び方するか!!」
「そう言うなよ、これでも独自にアレンジして加減してるんだぞ? 本来は、二メートル程度離れた位置から移動する運動エネルギーも上乗せした形で放つ代物なんだよ。例えば──さっき、嵐砂岩の壁に使った時みたいにな」
「アレンジ……本来の、形」
俺の言葉を反復するように呟いてから、リーダー格の男は何かに気付いたように目を見開いた。
「待てよ。何か覚えがある。確かそんな形の対人殲滅剣技を使ってるのは、王国の騎士団……それも」
「──雑談が過ぎたかな」
俺が浮かべた微笑は、盗賊たちにどう映って見えたのだろうか。全員が戦意を喪失したように後退したのを見る限り、好意的に受け取ったという可能性は除外出来るが。
「風鳴りの谷が鎮まるまであと一〇分。そろそろ仕上げようか」
そして俺は、残る六人に向かって鈍鉄を構えた。
*
大口径の拳銃のような形をした専用の発射機の引き金を引くと、バシュンッ! という発射音を残して、白煙を引きながら打ち上がった弾は空中で弾け、大きな音と鮮やかな緑色の光を発生させた。
信号弾の行方を目で追って、俺は水を飲んでから一息吐いた。あの信号弾は、嵐流沙漠の外で待機している仲介所直属の護衛兵と護送屋への盗賊集団「嵐竜」確保の合図だ。あと五分もすれば、この場所で連中の引き渡しが行われる。
「ついでに嵐砂岩も運んでくれりゃ楽なんだけどなぁ」
肝心の嵐竜の面々は、一ヶ所に纏めてロープで拘束してある。丁度良い柱状の岩があったので、その岩を中心にしてぐるりと一周するように八人が並んでいる状態だ。
「──お前は」
ポツリとそんな声が聞こえて、俺は嵐竜の方に視線を向けた。すると、力無く項垂れていた筈のリーダー格の男と目が合った。
「お前は、あの部隊の人間なのか?」