いつもの行い、異常の誘い(1)
おはようからおやすみまで、暇を見付けてこの世を徘徊。
こんな奴知らん、という大勢の方は初めまして。またお前か、という少数の方、また俺です。どうも、春間夏です。
日々、フリーターという立場でバイトをしていると、世の中にはフリーターが居ないと回らない場所もあるんだなぁとしみじみ思ってしまう事があります。俺が辞めたらシフト埋められないとか言われたり。
そこでふと思い付いたんです。
「そうだ、フリーターを主人公にしよう。ただし異世界で」
自分でも発想が何処を経由したのか分かりませんが、そんなこんなで書いてみました第1話。暇な方はちょっと覗いていってください。
──ヴァルヘイル。
この世界は、そう名付けられている。誰が名付けたのか、何が由来なのかもよく分からない。
一説では、とある別世界の神話時代、神々が住まう地の名前をもじったなんて話もあるが、その別世界とやらの情報の仕入れ先も定かでは無いので、甚だ眉唾物な事だけは間違いない。
全体として、陸地四割、水地六割。水源は豊富だが、如何せん水地の実に八割が高濃度の塩分が含まれ、普通は透明な水も白濁した状態の白海と呼ばれる物で、生活に使用出来る純粋な水資源は潤沢とは言えない。
白海の元になる水は陸地にある泉や湖などの湧水なのだが、学者の話では白海の底に山脈級の塩の結晶が存在し、それが溶け出して塩分濃度が高くなるんだそうだ。確かに、白海の一部にはその塩の結晶が水面の上にまで顔を出している塩山があるくらいだし、こちらはあながち間違いではない推測だ。
その為、人の住む場所は自然と泉や湖、河川の傍になる。その水源が大きければ大きい程に、町の規模や人口も増えていく。
ヴァルヘイル最大の大陸、グランダース。その北西に位置する第三級大規模市街フィリンダ。ここは、別名を樹状街という。
上空から見ると、町を三日月状に囲む大きな湖を跨ぐように架けられた橋から主街地に続く大通りがあり、そこから枝分かれするように四方八方に路地が広がっているのだ。
その様子が大樹のように見える為、そんな通称が付けられた。
そのフィリンダの路地の一角を、俺は背中に大きな麻袋をぶら下げて歩いていた。
無造作に伸びた黒い髪。黒い半袖の薄地のベストの下に、白い七分丈のシャツ。足には丈夫な繊維を幾重にも織り込み、特殊な染料で濃紺に仕上げられたズボンを穿いている。売り文句は「毒蛇が寄り付かない、咬まれても傷付かない!」だったが、この前野良犬に噛まれて滅茶苦茶痛い思いをした。キャッチフレーズに難有りだ。
「おぅい、リュウト! こいつを買ってけよ、安くしとくぜ?」
不意に声を掛けられ、俺──カミカワリュウトは立ち止まって辺りを見回した。すると、髪と髭の分量が逆転してしまったような中年の親父が、俺の方を見ながら暑苦しい笑顔を向けている。顔馴染みの肉屋の店主だ。その右手には、何だか得体の知れない、生なのか干してあるのかも判別不可能な妙な肉塊を持っている。
一瞬、無視して立ち去ってしまおうかとも考えたが、ついには手招きまで始めたので仕方無く路地を横切って近付いていく。
「何が安くしとくぜ、だ。大体それ、何の肉だよ? 見た事ねぇぞ気色悪い」
「おぅ、俺も分からねぇ」
「テメッ、何が何だか分からねぇ肉が仕入れに混ざってて、どうにも扱いが悪いからって俺に売り付けて挙げ句毒味させようとしてやがったな!?」
「ガッハッハ! 心配すんな、所詮は肉だ! 焼けば食える!!」
肉屋らしからぬ適当な助言を豪胆に笑い飛ばす店主を、俺は思いっ切り睨み付けてやる。
「ならアンタが食えば良いだろ?」
「えっ、やだよ気持ちわりぃ」
「三秒前の自分の台詞を忘れんなよ焼けば食えんだろ!? 肉屋の鑑として体張ってみろ!!」
これ以上は付き合っていられない、と俺は肉屋の店主に背を向ける。そして、いざ歩き出そうとした俺の肩を、店主の無駄に逞しい左手がワシッ、と掴んだ。
「おおぅ、待て待てリュウト。それはそうと頼みがあんだよ」
「……頼み、だぁ?」
「肉を捌く包丁を研ぐのに使ってる嵐砂岩がそろそろ切れそうなんだよ。手頃な大きさのを五、六個くれぇ調達して来てくれねぇか?」
店主の頼みの内容に、俺はうげっ、と顔をしかめた。
嵐砂岩とは、フィリンダの北東三〇キロ地点に広がる嵐流沙漠で採れる鉱石だ。この沙漠は常に風速一〇メートル以上の強風が吹いていて、その風で巻き上げられた砂が切り立った岩肌に付着、堆積して出来上がるのが嵐砂岩で、非常に細かい砂の集まりなので、砥石として好まれるのだが。
「何で俺に頼むんだよ。採石屋に頼めば良いだけだろ?」
そう、そもそも環境が過酷な為、足を踏み入れようとする者が殆どいないのだ。それに、鉱石が欲しいと言えば、鉱石の採取・販売が生業の採石屋が伝票片手に飛んでくるだろうに。
だが、俺の反論に店主は困ったように頭に手を置いて溜め息を吐いた。
「そりゃそうなんだが、肝心の採石屋が嵐流沙漠じゃ働きたくねぇと言いやがるのさ」
「職務放棄かよ。何でまたそんな事になってんだ?」
「どうもなぁ、最近あの沙漠で出るらしいんだよ。嵐流沙漠の、本当の名前の由来がな」
「……んな、まさか」
店主の言葉に、俺は少し笑いながらそう返した。
嵐流沙漠の本当の名前──いや、昔の名前は、嵐竜沙漠。吹き荒れる強風を生み出しているのは、巨大な竜の翼の羽ばたきだと、そう言い伝えられていたらしい。
名前の由来が現れた。それはつまり、その竜が現れた、という事だ。
「有り得ない話だ。最近嵐流沙漠の風力が強くなって来ているのは確かだが、そりゃ季節的なものだろう? 今の時期は沙漠に入りたくないからって、古い言い伝えを掘り起こしてサボりに利用してるだけだって」
「俺も、少なくとも噂の域だとは思ってんだが。何にせよ、採石屋が動いてくれない事に変わりは無いんでな」
「はぁ……ったく、仕方ねぇか。別に今日明日に必要ってわけじゃねぇんだろ?」
「おぅ、そうだな。今残ってる嵐砂岩の数を考えると、一週間くらい余裕はある」
「一週間ね。で、依頼報酬は?」
「ん? あぁ」
店主は自分の店の中をキョロキョロと見回すと、肩を竦めてから俺に苦笑混じりで向き直った。
「んじゃ、嵐砂岩を持って来た時に店にある中で、最高の肉を三キロ。どうだ?」
「上等。最高の仕事を保証するぜ」
店主に最大限の営業スマイルを見せて、俺は今度こそ路地の奥を目指して歩き出す。そろそろ背中に担いだ麻袋を軽くしたいし、しっかりした金も欲しい。
行き交う人を避けながら歩いていくと、目の前にこの路地の中では一際大きい建物が姿を見せる。
職務・人材派遣仲介所。この麻袋の中身の届け先だ。
大きな木戸を開けて中に入ると、自分に合った依頼を探す者、仕事を終えて同業者と談笑している者、今から出向く場所の情報収集をする者。様々な人で混み合っている。
とはいえ、俺もこの場所は頻繁に訪れている。この光景も見慣れているし、中で迷う事も無い。
多少の顔見知りに挨拶をしながら、俺は仲介所の奥にあるカウンターに向かって歩いていく。すると、やはりそこには見慣れた顔が座っていた。
長過ぎず短過ぎずに整えられた銀髪に、細いフレームの眼鏡。その奥の眼に労働意欲は一切感じられない。それでもしっかりとスーツを着こなしている辺り、傍から見れば敏腕社員と受け取られる外観は得をしていると言える。
ヒムロレイジ。俺とは腐れ縁に近い付き合いの男だ。
「よぅ、レイジ。相変わらず真面目な顔してサボってんのか?」
右手を挙げながらそう声を掛けると、レイジは俺の姿を一瞥しただけで視線を再び手元に落とした。
「サボってねぇよ。勉強中だ馬鹿野郎」
「職場の応対カウンターで週刊漫画誌を読むのが勉強かよ」
「金・謀略・勝利。素晴らしい」
「随分歪んだテーマ掲げてんなオイ」
そこで漸く仕事をする気になったのか、レイジは漫画を閉じて俺の方に体を向けた。相変わらず眼にやる気は感じられないが。
「で、ここに来たって事は物が調達出来たと思って良いんだな?」
「当然」
俺は自慢気な顔を作ると、麻袋を肩からカウンターへ下ろし、中身を取り出していく。
「ウシクイピラニアの鱗とムラサキオオトカゲの牙、そんでオウカンヒフキワシの飾り羽。依頼の品は一通り揃えたぜ」
俺が手に入れたそれ等の素材──何でも伝統的な首飾りに必要らしい──を、レイジは一つ一つ検品していく。大きな傷が付いていないか、欠けていないか、落ちそうにない汚れが付着していないか、といった判定要素があり、その基準を満たしていない素材は入手し直す必要があるからだ。
「全て問題なし。ほら、成功報酬の四五〇〇マールだ」
そう言って、レイジはカウンター横の金庫から紙幣の束を滑らせる。それを受け取って、俺はその束の重みを噛み締める。この金額が手持ちに有れば、無駄な出費をしなければこの先の一ヶ月を楽に生活出来るだろう。
「サンキュ。ふぅ、仕事が終わったと思うと疲れが出るな。レイジ、コーヒー淹れてくれ」
「セルフだ馬鹿」
冷たくあしらわれ、俺は渋々と横にあるドリンクコーナーに向かって、紙コップにホットコーヒーを注ぐ。
「リュウト、俺のも頼む」
「さっきセルフだと吐いたのはどの口だよレイジ」
「カウンターから出るの面倒なんだよ」
堂々と言い放つレイジに溜め息を吐いて、仕方無しにもう一つコーヒーを淹れてレイジのいるカウンターへ、バーテンダーの真似事でコップを滑らせる。
結構多目に注いでおいたのだが、レイジは手だけ伸ばして一滴も溢さずに掴み取った。器用な奴だ。
「そういやレイジ。最近、採石屋の働きが悪いらしいじゃん。肉屋の親父が愚痴ってたぜ?」
「そうだな。特に嵐流沙漠に出向く数は実質ゼロと言って良いだろう。あまつさえ、沙漠の脅威を取り除いてくれ、なんて依頼まで出して来る始末だ」
「ほぅ」
コーヒーを飲みながら、俺は妙な引っ掛かりを覚えた。口に含んだコーヒーを飲み下してから、俺はその疑問をレイジにぶつけてみる。
「妙な話だな? 採石屋が嵐流沙漠に行きたがらないのは、沙漠に竜が現れた、なんて話があるからだって聞いたぞ。なのにその採石屋の連中は、脅威を取り除いてくれと言っている。言い伝えられた竜を相手にそんな依頼を出すとは思えねぇんだが」
「……相変わらず、妙な所で鋭いな。実際に話を聞いてみたが、どうやら鉱石を仕入れた帰り道で、何かに襲われて気絶させられるらしい。で、気が付いた時には仕入れた鉱石が消えて無くなってるんだそうだ」
「気絶させられる? 毎回、全員がか?」
「あぁ、一〇〇パーセントな」
「……なぁ、その依頼。報酬は?」
「やる気なのか? 胡散臭くて誰も手を付けない仕事だぞ」
俺の現金な質問に顔をしかめてから、レイジは諦めたように溜め息を吐いた。
「と言っても、お前には無駄な話だったな。どちらかと言えば、どう見てもリュウト好みの依頼だ」
「あぁ、誰も受けたがらない依頼ってのは俺の仕事だろ? 何せ俺は万屋だからな」
「職種不定のアウトローが偉そうに言うな」
「うっせぇ。どの道、採石屋の代わりに嵐砂岩を採って来いって肉屋の親父に頼まれてんだよ。ついでにそっちも片付けてやろうと思っただけさ。で、報酬は?」
「一五〇〇〇マール」
「最っ高じゃねぇか」
俺が笑顔で言うと、レイジは一枚の書類を手渡して来た。依頼明細と言って、依頼内容や成功条件が詳しく記されている。
「襲撃される地点は『風鳴りの谷』か。見通しが悪いし、風の音がやかましくて耳も頼りにならねぇ場所だな」
「狙う側としては格好のポイントだ。そんな頭が働くのは……」
「少なくとも野性動物じゃない、な。そもそも、動物が鉱石を奪う必要性なんて聞いた事ねぇし」
続く筈だった台詞を引き継ぐように俺が言うと、レイジは無言で肯定の意を示しながらコーヒーを飲み干した。空になった紙コップを握り潰して足下のゴミ箱に放り込んでから、レイジは新たな書類を取り出す。
「何だ? これ」
「最近になってウチに送られて来た警戒文だ。『鉱石の裏取引が活発になっている』とな。主導しているのは──この連中だ」
書類の中の一文をレイジが指差したので、俺はそこを注視してみた。そこに書かれていたのは──。
「……盗賊集団『嵐竜』。ハッ、成る程ね。採石屋の話も嘘は言ってねぇわけだ」
ともあれ、少なくとも相手が伝説の竜ではない事が証明されたわけだ。そうと分かれば、こちらの装備も決まってくる。
「って事は、嵐砂岩を採掘する為のピッケルと、砂塵対策のバンカーコート。それと、コイツで充分だな」
俺は残ったコーヒーを喉に流し込んでから、左腰に提げた相棒に目を向ける。
なめし革を巻いた柄の先に、鈍い光沢を放つ漆黒の鉄が続く。全長一二〇センチの刃を持たない鉄剣。木刀を鉄で作った、というイメージで想像してくれれば大丈夫だ。
傍から見れば棍棒にしか見えず、頼り無い印象を受ける相棒を軽く持ち上げてから、俺はカウンターに背を向けた。
「そんな軽装で大丈夫か? 相手の規模までは俺も掴めていないぞ」
「ガチガチに重装備で固めてたら、襲って来ねぇかも知れないだろ? 俺はあくまでも、噂が耳に届いていない採石屋として嵐流沙漠に出向くんだよ」
健闘を祈れ、と言い残して、俺は仲介所を後にした。