あるボクシングジム最後の日
この潮の香りと生臭い魚のニオイが立ち込める地元の港町に俺がジムを出してから12年。ここまでよくやってきたと思うよ。プロ選手なんて数えるほどで、立派な成績を残したやつはいない。ここ数年は奥様方のボクササイズでどうにかこうにか糊口をしのいできたもんさ。俺のせいでカミさんが調子に乗って困るだなんて苦情ももらったな。あんたもうちに通いなよ、防御の仕方教えてやるからって返しといた。
そういえばひとりだけ、西日本新人王戦の決勝まで進んだやつがいたなあ。あいつは俺が指導したなかでもピカイチの才能だった。まあ漁師のカミさんの次くらいか。それでもちょっと教えただけでメキメキ伸びていってな。俺も楽しくってしょうがなかったよ。どこ行っちまったのかねえ。決勝で初めて負けた後、ある日ふらっといなくなっちまったんだ。
まあそんな感じで、いろいろあったボクシングジムだけど、さすがにもう限界だ。町そのものがすっかり寂れちまって、人がいねえ。若者は外に進学していって戻ってこねえし、肝心の漁業も縮小傾向で、よそ者も入ってこなくなった。昔は港に寄港した外国船の船員が腕試しに来たりもしたんだがな。
そんなわけでジムは今日でおしまいだ。さっき最後の教え子である奥様方を送り出したところだ。入門したての頃はブクブク太っていた彼女らも見違えるようにシャープになった。我ながらたいした指導力だと思うよ。夫たちは困るって言うけどな、自分の妻がこんなにキレイになったんだ。内心は喜んでると思うよ。
ジム内を清掃して表に出る。本格的な撤去は明日以降だ。みんな手伝いに来てくれると言っていた。だから今日はお別れって雰囲気でもなかったんだ。俺だってまだ町を出るかは決めてないしな。お付き合いはまだ続くのさ。いつもの通りドアを施錠しようと鍵を取り出したその時、俺は壁にもたれて座り込んでいる人影に気がついた。
「おやっさん⋯⋯元気そうだなあ⋯⋯」
その人影は苦しそうにそう言うと激しく咳き込んだ。ボロボロの服にボロボロの顔。鮮血が薄汚れたシャツを赤く染めている。その血に塗れた顔を見て俺はすぐに誰だかわかったよ。
「ご、吾朗、おめえ吾朗じゃねえか !? 」俺はそばに駆け寄って、その肩に手をかけた。
「イテテ、おやっさんお手柔らかに頼むぜ⋯⋯」吾朗の怪我は顔だけじゃないようだ。服をめくってみるといたるところにアザができている。
「おめえいったい、なんだってこんな⋯⋯」俺は絶句した。長年殴りっこを商売にしてきたんだ。見ればわかる。それは激しく殴られた傷だった。それも拳で。いくら長く離れていたからって、この天才にここまでの怪我を負わせる相手がいるのか?素人ならありえない。複数人にやられたに違いない。
「とりあえずおやっさん、俺ちょっと追われてんだ、ちょっとでいいから匿ってくれよ」
俺は吾朗に肩を貸してジムのなかへ連れてった。ベンチのうえに寝かせて、あらためて怪我の具合を確認する。よかった、骨には異常なさそうだ。しかし⋯⋯敵は相当な手練だぞ。身体についたアザが物語っている。それは人体の急所を的確に突いていた。
「吾朗、その傷は殴られてできたもんだな?」俺は厳しく問いただした。「どうやられたんだ?お前もそこまで腕が鈍ったってわけでもあるめえ。何人かに囲まれたのか?」
「フフ」吾朗は自嘲するように笑い、イテテテと脇腹をおさえた。「いやあ違うよ。相手はたったひとりさ。俺もここまでされるだなんて思ってもみなかったんだけどな。アイツ⋯⋯とんでもなく強かった⋯⋯」
たったひとり!まさかかつての西日本新人王戦準優勝の吾朗をここまでボコボコにできるヤツがこの町にいるだなんて⋯⋯上には上がいる世界だとはいえ、にわかには信じられなかった。
俺は困惑しながらも手慣れた処置を吾朗に施した。医者じゃないが、この手の怪我は玄人はだしだ。あとはゆっくり休めば回復するだろう。手当てが終わり、さあ事情を聞かせてもらおうかと思っていたその矢先だった。ドンドンドンとドアが激しく叩かれた。
露骨に怯えるような様子を見せる吾朗。俺はおとなしくしていろと、吾朗に上からシートを被せ、応対に出ていった。
「はいはい、いま開けるよお」俺は平静を装って返事をし、ドアを開けた。
そこにはさっき別れたばかりの漁師の妻、静子が立っていた。彼女は顔を真っ赤にして肩で息をしている。走ってきたのだろうか?Tシャツに汗がにじんでいた。
「あれ、おシズさん、どうしたんだい?忘れ物?」俺は一気に気が抜けた。強張っていた表情が自然と緩むのを感じる。
「先生、ここに変な男が来ませんでした?吾朗っていうんですが」静子は前かがみで息を切らしながら尋ねた。
「ん?吾朗って⋯⋯あんた吾朗のお知り合いだったのかい?」
「イヤだ、先生、知らなかったの?吾朗は私の弟だよ」静子はようやく顔を上げてニコッと笑った。
「吾朗だったらさっき⋯⋯」俺はシートの方をチラッと見た。事情はまだわからないが、姉が迎えに来たのなら大丈夫だろう。静子も俺の視線に誘われてそっちを見る。
「ごぉろぉおぉ、そこにいたんだね!」静子はそう言ってツカツカと歩いていきシートを引っ剥がした。
「ヒィィィ」吾朗の悲鳴が響き渡る。「姉さんごめんよごめんよもうしないから勘弁してよ」
子どものように泣きじゃくりながら身を縮める吾朗。俺は唖然としながらその様子を見守ることしかできない。
「うるさいッ!こんな、先生にまでまた迷惑かけてッ!いちいち逃げてんじゃないよッ!」
静子は怯える吾朗の耳を掴んで立ち上がらせる。吾朗は目で助けを求めるが、俺にはどうにもできなかった。
「じゃあ先生、ホントにお世話になりました。また明日お手伝いに来ますからね」それだけ言い残すと吾朗を引きずり去っていった。
俺の最高傑作はどうやらおシズさんだったようだ。たしかに、あれは苦情が来ても仕方がないな⋯⋯
これまでのことをいろいろ反省しながら、俺はジムをあとにした。
了
あとがき
ChatGPTくんに遊びでなにか書いてやるからお題をひとつよこしやがれとお願いしたら、
港町の古びたボクシングジムで、元世界王者が「今日で最後だ」と言ってシャッターを下ろそうとした瞬間、行方不明だった弟子が血だらけで戻ってきた。
ってのが返ってきたので即興で書きました。これでだいたい50分くらいですかね。けっこう楽しいのでオススメの遊びです。しかしAIくん、お題出せと言われて私が好きそうな格闘技の題材出してくるあたり、忖度が窺えますね。ChatGPTはいちばん付き合いの長いAIですからね。




