第3話 侍女ノエルの暴走と兄の怪しい策略①
今朝の食堂は、いつにも増してにぎやかだった。父は遠出の公務で留守だというのに、この熱量はいったい何事だろうと思うほど。私は少し重めの朝食を済ませたい気分だったけれど、そんな余裕を削ぎ落とす勢いで、ノエルが目を輝かせて報告を始めた。
「お嬢様、おはようございます! 私、いい作戦を思いつきましたよ!」
「おはよう、ノエル。ええと……朝からそのテンション、どうしたの?」
手に持ったフォークが空中で止まる。ノエルはいつも私を熱心にサポートしてくれる侍女だけど、今日はさらに力が入っているようだ。瞳がきらきら輝いていて、まるで宝物でも見つけた子どものよう。
「実はですね、王宮に潜入して情報を集めちゃおうかと思いまして!」
「王宮に……潜入?」
その単語を聞いて、私は思わず飲みかけていたスープをこぼしそうになる。ノエルいわく、最近私を貶めるような噂を流している連中がいるらしく、その“黒幕”が宮廷に潜んでいる可能性が高いということだが……。まさか朝食の席で、いきなり潜入作戦なんて言い出すとは想像の斜め上だ。
「そうです! 早く正体を突き止めなければ、お嬢様への風評被害がますます広がってしまうかもしれませんし。だったらこちらから突撃していくのが手っ取り早いですよ!」
「いや、突撃って……そんな物騒な。王宮って、誰でも気軽に入れるようなところじゃないわよ?」
冷静に考えると、無断侵入はアウトだし、見つかったら確実に捕まる。私はあくまで穏便な手段で解決したいのに、ノエルは相変わらず行動力が空回り気味だ。
「大丈夫ですよ、お嬢様。私、意外と顔が広いですし、使用人ルートを活用すれば案外なんとかなるかもしれません。もしバレそうになったら、そのまま“お嬢様の秘密調査”を正々堂々と謳えば……」
「こら、そんな恥ずかしい言い訳を出してどうするの! 余計に怪しまれて終わるわよ」
途中で思わず大声を上げてしまう。隣の席でのんびりパンをかじっていた兄レオンハルトは、私たちのやり取りを面白そうに聞いていたらしい。にやりと笑って口を開く。
「ノエル、悪くないな。その度胸、嫌いじゃないぞ。せっかくだ、うちの影響力を使って王宮を好きに動き回ったらどうだ?」
「兄さままでそっち側に乗っからないでよ。王宮を好きに動き回るって、そんなの問題しかないでしょう?」
兄は相変わらず物騒な発想に満ちているし、ノエルはノエルで突拍子もない行動力をちらつかせる。朝食を落ち着いていただく間もなく、私の脳裏には“また余計なトラブルが起こるかも”という警戒音が鳴り響いた。
「お嬢様、周りから変な噂が流されてるんですよ。だったらこちらも目にもの見せて、逆にやり込めてやるべきです!」
「そうそう、悪意を持って動いている連中がいるなら、先手を打って制裁してやらないとな」
兄とノエルは目を合わせて「ふんっ」と息をそろえる。まるで息ピッタリな共犯者同士のよう。その光景に、私はため息しか出てこない。頼もしいけれど、方向性が怖すぎる。
「……あのね、私だって黙ってるつもりはないわよ。だけど、やり方を選ばないと大変なことになるでしょう? もし王宮に勝手に忍び込んで捕まったら、笑い話では済まないんだから」
「そこは心配ご無用です! 捕まらないようにうまく潜り込むのが私の仕事ですから。気配を消すの、得意ですよ?」
「どんな才能なのよ、それ……」
ノエルの目が完全にやる気で充血しているのがわかる。私を守りたい気持ちはわかるけれど、彼女の過激な案はいつも危うい。先ほど兄さまとの会話でも痛感したけど、本当にうちの家族や家来は“やりすぎ”が当たり前な人が多すぎる。
「ま、ノエルの言うことも一理ある。おまえが変な噂で苦しむくらいなら、あちらを先に叩いて黙らせるほうが建設的だろう?」
「建設的の意味がおかしい! どうしてそうなるのよ」
兄さまの言う“建設的”は、たぶん暴力的もしくは強引な手法のことでしかないだろう。朝からこんな議論をするなんて、普通の貴族家庭ではありえない光景だと思うけど、うちの家族だから仕方がないのかもしれない。
「それに、お嬢様のお名前を悪く言う連中を黙らせるのは、私にとっても重要な使命です。ああ、早く真相を暴き出して彼らを震え上がらせたい……!」
「ノエル、落ち着いて。あなたはやる気がありすぎるのよ。朝からキラキラオーラ全開で暴走しないでちょうだい……」
私はなんとか彼女をなだめようと、テーブルの上にあったガラスの水差しに手を伸ばす。そして冷たい水をコップに注いで、ノエルに差し出した。
「はい、これでも飲んで一回深呼吸してね。さすがにそのままだと危険すぎるから」
「……はっ、すみません。少しテンションが上がりすぎました」
ノエルは水を一気に飲み干すと、フーッと大きく息をついた。若干落ち着いたようで、表情からは先ほどの殺気めいた輝きが少しだけ消えた。ほっとする半面、まだ油断できない気もする。
「しかし妹よ、実際問題、王宮での情報収集は必要だろう? おまえがこの前言っていた『相手の弱みを探す』っていうのにも有効だと思うが」
「それは……そうね。どうせ私たちが外でいくら騒いだところで、あちらが動いている証拠がなければ説得力に欠けるもの。だから情報は大事に違いないけど……」
私は考え込む。ノエルのように強引な手段ではなく、あくまで合法的かつ誰にも怪しまれない形で情報を得ることはできないだろうか。宮廷の使用人や下働きの人たちに接触して事情を聞く――その程度なら、そこまでリスクが高くないかもしれない。
「やっぱり侵入はやりすぎ。けど、王宮の使用人をお茶会やサロンに招くとか、そういう方法で協力してもらうのはアリかもしれないわ」
「なるほど。つまり情報提供をお願いするわけですね。直接忍び込まなくても、現地の人たちの口からいろいろ聞ける可能性がありますね!」
ノエルが同意してくれて、思わず胸をなで下ろした。なんとか平和的な方向に話を導けたかもしれない。
「兄さまも、いきなり潜入なんて危ないことには反対してくれるわよね? ……ね?」
「うーん、そうだな。確かに捕まるリスクは減らしたほうがいい。せっかくの戦力が消えるのはもったいないしな」
「戦力って、ノエルを何だと思ってるの?」
兄さまは悪戯っぽい笑みを浮かべ、モグモグと朝のパンを食べ続ける。うちの兄は私を守りたい思いが強い反面、どうも過激な手を使うことに抵抗が薄い。私はそこを警戒しつつも、今はこの程度の合意が得られれば上出来だ。
「というわけで、ノエル。今すぐ王宮に潜入はしないでね。代わりに使用人ルートで情報を集めてくれるとありがたい」
「承知しました、お嬢様。ここは一旦、ソフトに攻めてみます!」
ノエルが変に覚悟を決めたような返事をするのが気になるけれど、思い切った強行策よりはマシだろう。兄さまも楽しそうにそれを聞いているし、朝食の続きをなんとか平穏に済ませられそうだ。
「よし、じゃあ私は父が戻る前に、いくつか手紙を出しておこうかな。貴族仲間にも情報を求めるつもりなの」
「いいですね、連携プレーで情報収集ですね。もし裏で殿下の取り巻きが不穏な動きをしていたら、すぐわかりますし」
「そうそう、そうすれば王太子がどう動こうが、こちらに対処の余地が出るってわけ」
そんな話をしながら、私はトーストを一口かじる。思っていたよりも胃が軽くなっているのは、ノエルの狂気じみた提案が少し落ち着いたからだろうか。それとも、兄さまがこちらの話に耳を貸してくれたおかげだろうか。
「しかし妹よ、気をつけることがひとつある。もし王宮に引き寄せた使用人たちが殿下側だったら、逆に隙を突かれる可能性もあるからな」
「ああ、そうね。それは承知してる。けど、このまま何もせずに待っているのも得策とは言えない。慎重に立ち回るわ」
「フフ……まあ、おまえのことだ。下手に出るばかりじゃないだろうし、うまくやるに決まってる。万が一失敗したら、俺がこっそり後始末してやるさ」
兄さまのその言葉には、やはり物騒なニュアンスが混ざっている。でもきっと、家族なりの愛情表現なのだろう。ノエルは「私もお嬢様にお仕えする限り、全力で協力します!」と熱を上げているし、これはこれでうちの常識かもしれない。
「ふう……まあ、朝からこんな話ばかりで頭が痛いわ。でも一歩前進した感じかしらね」
「お嬢様、ファイトですよ! 私、たくさん動いてお役に立ってみせます!」
「ほどほどにね。あなたが燃えすぎると本当に戦場みたいになるから」
私は冗談めかして言いつつも、内心ではちょっとだけ期待している。ノエルの大胆さと兄さまの策略が、ちゃんと制御できれば、王太子やコーデリアたちの情報をかなり集められるかもしれない。それはつまり、私が仕返しをするための大事な材料ということだ。
遠くで小鳥のさえずりが聞こえる平和な朝。だが、公爵家の朝食テーブルでは、潜入やら情報戦やら、物騒なワードが飛び交っていた。こんな日常にも慣れてしまった自分が怖いけれど、これが私の現実なのだから仕方がない。
――さあ、ぼんやりなんてしていられない。噂を流している輩を突き止め、王太子にもきっちり報復するために。ノエルの燃える瞳と兄さまの薄ら笑いを横目に、私は今日も一歩ずつ前に進んでいくつもりだ。