第2話 悪女のレッテルと新たな敵③
夜の帳が降りると、公爵家の一角にある小さな書斎――私たち兄妹の“秘密の打ち合わせ部屋”に、ひそやかな灯がともった。そこでは私とレオンハルト兄さまの作戦会議が始まろうとしている。とはいえ、いつもこの時間帯になるとろくな話にならないのは分かっているのだけれど……。
「さて、妹よ。おまえが最近抱えている問題といえば、あの王太子。それから、調子に乗っているらしいコーデリアとかいう娘だったな」
レオンハルト兄さまが笑みを浮かべながら椅子に腰掛ける。その笑いが微妙に冷たくて、背中にゾクッとしたものが走る。私がこの書斎に呼び出されたときは、だいたい兄さまがとんでもない提案を持ちかけてくるパターンが多い。
「兄さま、まさか余計なこと考えてないでしょうね……? 例えば、彼らを闇討ちするとか」
「まさか。いくらなんでもそこまではしないさ。ただ――脅迫状を送るくらいは、すぐにでも実行できるだろう?」
サラリと口にされる危険な単語。脅迫状なんて、正気の人が口にするアイデアじゃない。私は慌てて手を振った。
「や、やめてよ兄さま! 脅迫状なんて送ったら捕まるじゃない。第一、公爵家の名誉にも関わるわ」
「姉妹が傷つけられるのを見過ごすくらいなら、それくらい覚悟するべきだと思うが。むしろ遅すぎるくらいだろ? あんな連中、黙らせるのにちょっとした脅し文句があれば充分だ」
強気な口ぶりだが、私は頭を抱えたくなる。もちろん、王太子だって敵に回すと怖い相手だけれど、だからといって犯罪まがいの行為で解決しようとするのは話が違う。
「捕まったらどうするつもりよ。私にはまだやらなきゃいけないことがたくさんあるのに」
「捕まると決まったわけじゃないさ、フフフ……」
「その笑い方やめて! 背筋が寒くなるから」
兄さまはうっとりした表情を浮かべて、私の頬に手を伸ばしそうになる。こっちが逃げ腰になっているのを見て、さらに楽しんでいるように見えるのは気のせいではないはず。
「妹が悲しむ顔なんて見たくないだろう? だからこそ、これくらいの手段は当然なんだ。……それに、もし失敗したとしても、誰かに罪をなすりつければ――」
「絶対やめて! そんなことしてたら本当に社会的に終わるわよ!」
思わず机に両手をついて声を張り上げる。兄さまは困ったように肩をすくめたが、その目はまるで「こいつは大袈裟だな」と言いたげだ。いったい私の話をどこまで聞いてくれているのやら。
「まあまあ、妹がそこまで反対するなら脅迫状の件はいったん保留にしておこう。じゃあ次は、やはり王宮に潜り込んで、殿下の秘密を盗み見るというのはどうだ?」
「……それはそれで危ない作戦ね。まぁ、情報を集めるなら良いけど、盗み見るって、普通に犯罪になるんじゃないの?」
兄さまは「あれれ?」と首を傾げる。どうやら彼の中では、法律や常識はそれほど大事ではないらしい。妹思いなのは嬉しいけれど、方向性がまるでギリギリを攻めているというか……。
「そう簡単に捕まらないようにするのが策の妙だろう? 俺は準備が得意だから、痕跡を残さない方法くらいすぐに思いつく。ああ、例えば城の地下水路を使えば簡単に――」
「ストップストップ! そんなに物騒な方向へ進めないでよ。もっとスマートに、周りに怪しまれない方法で解決したいの。分かる?」
思わずジェスチャーまで大きくなってしまう私。すると兄さまは腕を組んで考え込むような仕草を見せるが、しばらくするとニヤリと口角を上げた。嫌な予感しかしない。
「分かった。つまり妹は、もう少し優雅に相手を追い詰めたいということだろう? ならば毒をこっそり使って――」
「優雅でもなんでもない! むしろ一番危険よね、それ!」
「違うのか。なら何を望むんだ? 俺は妹が笑顔でいられれば、それでいいんだが」
兄さまは先ほどよりも落ち着きを取り戻したように見えるが、目の奥にはサイコな光がちらついている。このままでは話が進まないと思った私は、大きく息をついて立ち上がる。
「兄さま……私としては、もっと合法的というか、皆が納得する形で相手をギャフンと言わせたいの。分かる? 例えば、彼らが持っている悪い証拠を探し出して公表するとか、そういう方法ならまだ現実的でしょ?」
「なるほどな。まぁ、脅迫状よりは健全かもしれないな……いや、つまらないが」
「つまらないとか言わないで! 私は捕まるわけにはいかないの。王太子やコーデリアに仕返しする前に自滅するのはごめんだわ」
ここで兄さまが苦笑いを浮かべ、私を見つめた。その視線には、まるで「妹を最大限に守ってやる」という強烈な愛情が宿っているのを感じる。以前、私が傷ついているのを見て彼が物騒な発想をしたことがあったのを思い出すが、それを制御するのがどれだけ大変だったか……。
「分かった。合法的なやり方であいつらを陥れるってことだな? なら、まずは情報収集が先だろう。王太子の醜聞やら、コーデリアの裏事情とか……」
「ええ。それならノエルや家の使用人たちに根回しをして、噂や証拠を集めることくらいはできるわ。それから、王太子を支持していない貴族の人脈も探れば、何か出てくるかもしれない」
我ながら筋の通った方針だと思う。兄さまも「ほほう……」と興味深げに唸りながら頷いてくれる。しかし、その後に発せられた言葉がまた危険な香りを漂わせる。
「いいだろう、妹。俺も協力してやる。だが必要があれば、いつでも俺の凶器を使ってくれよ。相手を直接痛めつける手段も、いつでも整えておいてやるから」
「だからそういう話じゃないってば……」
「妹が本当に泣かされたら、そのときは迷わず俺を呼ぶんだ。ひとり残らず片付けてやるからな」
兄さまの瞳が妖しくきらめき、思わず寒気がする。これがある意味、彼なりの優しさなのだろうから、完全に否定するのも気が引ける。だけど、さすがに血の惨事は勘弁願いたい。
「ありがとう、兄さま。気持ちだけ受け取っておく。何かあったら相談するわ。けど、現時点での危険な策は全て却下ね。頼むから我慢してちょうだい」
「……仕方ない。まぁ、妹が幸せになるなら、俺も大人しく指をくわえて見ていようじゃないか。だけど面白い作戦が思いついたら、いつでも教えてやる。楽しみにしていてくれ」
「ぜんぜん楽しみじゃないんだけど……」
こうして、私が半ば説得する形で作戦会議は終わりの雰囲気になってきた。結局、兄さまからは脅迫や毒殺などの仰天発想しか得られなかったけれど、彼が本気で私のためを思ってくれるのは伝わってくる。そこは感謝している。もしくは、シスコンすぎて困っているだけとも言えるが……。
とりあえず当面の方針としては、情報を集めて、王太子やコーデリアの弱みを握る――という方向に落ち着きそうだ。相手がなんらかの醜聞を抱えているなら、それを公にすることで向こうの立場を悪くすることができる。それが一番スマートで安全な方法だろう。
「よし、今日はもう休むわ。長引けば父が来て、さらに物騒な話に拍車がかかりそうだし」
「確かにな。あの人が出てきたら、今度こそすぐ兵を動かしそうだ。妹を守るために国ごと燃やしかねん」
「……怖いわ、うちの家族。まぁ、とにかく夜も遅いし、ここまでにしておきましょう」
兄さまに礼を言って部屋を出る瞬間、彼がポツリと呟いた。
「妹……泣くなよ。おまえには笑っていてほしいんだ」
「泣かないわよ。……私が笑って勝つところを見てて。必ずや、あの王太子にも痛い目を見せてあげるんだから」
闇夜の中で交わす会話は少しだけ湿っぽい空気を孕んでいたが、それを吹き飛ばすように私ははっきりと胸を張る。今はこんなにも頼りない作戦会議だけど、いずれ必ず形にしてみせる。
部屋を後にすると、薄暗い廊下に置かれたランプの明かりが、私の影をぼんやりと照らした。王太子の理不尽な態度も、コーデリアの鼻につく振る舞いも、そして兄さまや父の過激な行動も、全部ひっくるめて受け止める気力が生まれてくる。どうせやるなら、誰もがスカッとする形で制裁を下したい。
「さて、どうやって二人を痛い目に合わせましょうか……。方法はいろいろあるはず」
そう呟いたとき、自然と口元に笑みが浮かんだ。できれば穏便に済ませたいけれど、このままおとなしくやられっぱなしになるつもりは毛頭ない。――この先、王太子とコーデリアがどんな動きをしても、その先に待つのはきっと痛快な結末だ。
もちろん、その過程で家族を暴走させない努力も必要だが、それもまた私の日常。負けるわけにはいかない。こうして夜の作戦会議を終えた私は、胸に密かな闘志を燃やしながら、自分の部屋へと歩みを進めた。